第8話「聖女の嘘と王太子の暴走」
「エレオノーラの呪い」。
聖女リリアナが口にしたその言葉は、王国内に瞬く間に広がった。魔物の被害に怯える民衆は、格好の標的を見つけ、こぞって追放された元公爵令嬢を罵った。
「やはり、あの女は悪女だったのだ!」
「聖女様に呪いをかけるなど、許しがたい!」
エレオノーラを断罪したアルフォンスの判断は、一時的にではあるが、民衆から喝采をもって受け入れられた。アルフォンスは、自らの正義が証明されたとばかりに、さらに自信を深めていく。
しかし、現実問題として、結界の弱体化は止まらない。ついに王都の城壁近くにまでオークの群れが出現する騒ぎとなり、騎士団が出動してかろうじて撃退したが、多くの負傷者を出してしまった。
国王主催の緊急会議は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
「もはや、一刻の猶予もない。聖女リリアナ様、本当に呪いを解く手立てはないのですか?」
憔悴しきった表情の大臣が、リリアナに懇願するように尋ねる。居並ぶ重臣たちの視線が、すべて彼女一人に突き刺さる。リリアナは、ドレスの裾をきつく握りしめ、顔を青ざめさせていた。
『どうしよう……どうすればいいの……』
もう、嘘を重ねるしか道はなかった。ここで無力だと知られれば、待っているのは破滅だけだ。
「呪いを解く方法は、ただ一つ。呪いの元凶であるエレオノーラ様を捕らえ、その邪な魔力を、私の聖なる力で浄化するしかありません」
リリアナは、震える声を必死で抑えつけ、そう言い放った。
「なるほど、元凶を断つというわけか」
「しかし、彼女は魔の森に追放されたはず。あの森に立ち入るのは、危険すぎるのでは?」
重臣たちの間で、意見が割れる。その議論を、アルフォンスが一喝して黙らせた。
「何をためらう必要がある! 元はと言えば、あいつが撒いた種だ! この国の危機を救うためだ、多少の犠牲は覚悟の上! 私が直々に騎士団を率い、あの悪女を捕らえてみせる!」
アルフォンスは立ち上がり、高らかに宣言した。その瞳は、正義感と、エレオノーラへの憎しみで燃えている。
一部の冷静な貴族たちは、その暴走ともいえる判断に懸念を示した。
「殿下、お待ちください。エレオノーラ嬢が本当に呪いをかけているという確証はどこにも……」
「黙れ! 聖女リリアナの言葉が信じられぬと申すか! 貴様は、あの悪女の味方をするのか!」
アルフォンスは、諫める声を一切聞き入れようとしない。もはや彼の頭の中では、エレオノーラ=絶対悪という図式が完成してしまっている。自分に恥をかかせ、聖女をいじめた許されざる存在。その彼女を断罪し、国を救うことで、自らの権威を不動のものにしようと目論んでいた。
「リリアナ、安心するがいい。私が必ず、君を苦しめる元凶を連れ戻してやる。そして、君の力で浄化し、悔い改めてもらおう」
「まあ、アルフォンス様……!」
リリアナはアルフォンスに寄り添い、うっとりとした表情で彼を見上げた。その演技が、さらにアルフォンスを煽る。
国王は、息子のあまりの思い込みの激しさに溜息をついたが、他に有効な手立てもなく、最終的に彼の出兵を許可してしまった。
「精鋭騎士団を選抜し、直ちに出撃準備を整えよ! 目標は魔の森、罪人エレオノーラ・フォン・ヴァイスの捕縛だ!」
アルフォンスの号令が、王城に響き渡る。
こうして、王国最強と謳われる騎士団が、一人の少女を捕らえるためだけに、魔の森へと派遣されることが決定した。
彼らはまだ知らない。自分たちが向かう先が、ただの森ではなく、一人の少女によって守られた、聖域と化していることを。
そして、自分たちが「悪女」と信じて疑わない少女が、実はこの国を救う唯一の鍵であり、自分たちはその鍵を自らの手で破壊しに向かっているという、致命的な矛盾にも気づかずに。
王国の暴走は、もう誰にも止められなかった。破滅へのカウントダウンが、静かに始まっていた。
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