第7話「傾き始める王国」

 エレオノーラが王国を追放されてからひと月が過ぎた頃。グランツ王国では、誰もが予期しなかった異変が静かに、しかし確実に進行していた。

 始まりは、王都近郊の村々で、ゴブリンやオークといった低級な魔物の目撃情報が急増したことだった。これまで、王都周辺は強力な結界によって守られており、魔物の被害など皆無に等しかった。


「またか! これで今週に入って三件目だぞ!」


 王城の会議室で、騎士団長が忌々しそうに報告書を机に叩きつけた。国王や大臣たちは、深刻な表情で眉をひそめている。


「原因は何なのだ。結界に異常でも見つかったのか?」


 国王の問いに、宮廷魔術師長が困惑した表情で首を振る。


「それが……結界を維持する魔術装置に異常はございません。しかし、なぜか、結界そのものの魔力が日に日に弱まっているのです。まるで、魔力の供給源が枯渇していくかのように……」


 供給源? 王都の結界は、王城の地下にある巨大な魔石を動力源としているはず。それが枯渇するなど、あり得ないことだった。誰もが、その異常事態に首を傾げるばかり。

 そして、その不安は王太子アルフォンスにも向けられた。


「殿下、聖女リリアナ様のお力で、結界を強化することはできないのでしょうか?」


 ある大臣の言葉に、アルフォンスは自信満々に胸を張った。


「無論だ。リリアナの聖なる力があれば、結界の修復など容易い。すぐに祈りを捧げさせよう」


 アルフォンスにとって、これは好機だった。エレオノーラという悪女を追放し、真の聖女であるリリアナを側に置いた自らの判断が、いかに正しかったかを証明する絶好の機会だ。

 早速、リリアナは王城の礼拝堂に人々を集め、大々的に祈りの儀式を執り行った。純白のドレスに身を包んだ彼女が、天に祈りを捧げる姿は、まさに聖女そのもの。人々は、彼女の神々しい姿に希望を見出した。

 しかし。


「……おかしいわ。何も起こらない……」


 リリアナがいくら祈っても、結界の魔力は一向に回復する気配を見せなかった。それどころか、弱まり続けている。額に脂汗を浮かべ、必死に祈りを続けるリリアナの姿に、人々は次第に不信感を抱き始める。


「聖女様、まだですか?」

「本当に、力をお持ちなのでしょうか……」


 ひそひそと交わされる声が、リリアナの耳にも届く。彼女の顔から、みるみる血の気が引いていった。


『なんで!? 私の聖なる力は、本物のはずなのに!』


 彼女が持つ聖属性魔力は、ごく微量なものだった。それを、さも強大な力であるかのように見せかけるために、彼女は代々伝わる魔道具を密かに使っていた。魔力を増幅させ、奇跡のように見せかけるための道具を。

 しかし、その程度の力では、国家規模の結界に影響を与えることなど、到底不可能だった。

 儀式は、何一つ成果を上げることなく終わった。民衆の期待は、失望へと変わる。アルフォンスは、リリアナを庇いながらも、内心では焦りを募らせていた。


「リリアナ、どういうことだ。君の力は、こんなものではなかったはずだ」

「で、殿下……。これは、きっと……そうですわ! これは、あの女の呪いです!」


 追い詰められたリリアナは、咄嗟に嘘をついた。


「あの女……エレオノーラのことか!?」

「はい! 私を妬んだ彼女が、追放される間際に、この国に呪いをかけたのです! だから、私の聖なる力が阻害されて……!」


 それは、苦し紛れの言い訳だった。しかし、リリアナに心酔しているアルフォンスは、その言葉をあっさりと信じ込んだ。


「やはり、あの悪女の仕業か! どこまでも、この国を貶めようというのだな!」


 アルフォンスの瞳に、憎悪の炎が燃え上がる。

 彼は知らなかった。いや、王国にいる誰もが気づいていなかったのだ。

 これまで王都を魔物から守っていた強固な結界。その本当の魔力供給源は、王城の魔石などではなかった。

 それは、王太子妃となるべく、幼い頃から王城で生活していた一人の少女――エレオノーラ・フォン・ヴァイスが、無意識のうちに放出していた、規格外の聖属性魔力そのものだったという事実には。

 彼女がいなくなったことで、王国は最大の守護者を失った。そのことに気づかないまま、王国の歯車は、破滅に向かって静かに、そして確実に狂い始めていた。

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