第8話「枯れゆく王都、実りの辺境」

 カイと結ばれ、運命の番であると知った僕の心は、かつてないほどの安らぎと幸福感に満たされていた。

 ヒートは穏やかに過ぎ去り、僕たちの関係は領民たちの公然の秘密、というよりも祝福の対象となった。誰もが、まるで自分のことのように僕たちの幸せを喜んでくれた。


「エリアス様、顔色がすごくいいですね!」


「恋をすると、オメガは綺麗になるって本当なんだなぁ」


 そんな風にからかわれることさえ、くすぐったくも嬉しい。僕は、照れながらも充実した毎日を送っていた。僕とカイ、二人の関係が深まったことで、【緑の手】の力も、さらに安定し、強力になった気がする。辺境領は、まさに黄金時代を迎えていた。

 収穫された作物は、山のように館の倉庫に積まれていく。それらは、行商人を通じて、近隣の国々へと売られていった。辺境領の作物は、その味と栄養価の高さから、たちまち評判となった。「奇跡の野菜」「黄金の小麦」と呼ばれ、高値で取引されるようになる。辺境領は、経済的にも急速に豊かになっていった。

 その一方で、王都の状況は悪化の一途を辿っているという噂が、途切れることなく僕たちの耳にも届いていた。


「王都レオンハルトは、今や『灰色の都』と呼ばれているそうです」


 ある日、交易を終えて帰ってきた行商人が、深刻な顔で語った。


「作物は全て枯れ果て、市場には物がなく、パンの値段は十倍に跳ね上がっているとか。民衆の不満は爆発寸前で、暴動さえ起きかねない状況だと」


「……そんなに、ひどいのですか」


 僕の問いに、行商人は重々しくうなずいた。


「ええ。原因不明の奇病まで流行りだしたと聞きます。聖オメガであるリオル様が、毎日祈りを捧げているそうですが、全く効果はなく……民衆の間では、もはや『偽りの聖オメガ』とまで囁かれている始末です」


『やはり、リオルの力は偽物だったんだ』

 そして、僕の力が、僕が思っていた以上に、国全体に影響を与えていたのだという事実を、改めて突きつけられる。


「アラン王子は、近隣諸国に食料援助を要請しているそうですが、どこも自国の備蓄で手一杯。誰も、枯れゆく国に手を貸そうとはしないようです。むしろ、弱ったレオンハルトをどう切り分けるか、探り合っているとか」


 国の危機。その言葉が、重く僕の胸にのしかかる。

 僕を追放したアランやリオルがどうなろうと知ったことではない。けれど、飢えや病に苦しむ民のことを思うと、どうしても心が痛んだ。僕の力があれば、彼らを救えるかもしれない。でも、そうすれば、僕はこの平穏な暮らしを失うことになるだろう。

 僕の葛藤を見透かしたように、隣にいたカイが、僕の肩を強く抱いた。


「エリアス。お前が悩むことはない。これは、王都が自ら招いたことだ」


「ですが……」


「お前が王都に戻れば、どうなる?あいつらは、お前を再び鳥籠に閉じ込め、その力を自分たちの都合のいいように利用するだけだ。お前の幸せなど、考えもしないだろう。俺は、それだけは絶対に許さん」


 カイの金色の瞳が、強い怒りの色を宿していた。僕が傷つけられることを、彼は何よりも恐れている。その想いが、痛いほど伝わってきた。


「……分かっています」


 僕は、小さくうなずいた。カイの言う通りだ。僕が戻ったところで、待っているのは利用されるだけの未来。この辺境で手に入れた、温かい居場所と愛する人を、手放すことなどできはしない。

 僕たちは、王都の動向を注視しつつも、自分たちの生活を守ることを選んだ。辺境領は、高い柵を築き、見張りを強化した。カイは領民の中から志願者を募り、屈強な男たちで構成された警備隊を組織した。それは、王都からの略奪や、近隣国の侵略に備えるためだった。僕が育てた薬草は、傷薬や回復薬として大量に備蓄された。

 僕の育てた作物が、皮肉なことに、王都をさらに追い詰めていく。

 辺境領と交易のある国々は、僕たちの作物のおかげで、凶作の影響をほとんど受けずに済んでいた。その結果、王都レオンハルトの衰退と、他の国々の安定という、明確な対比が生まれる。

 やがて、賢い者たちは気づき始める。

 なぜ、レオンハルトだけが枯れ、その周辺国は豊かなのか。そして、その豊かさの源泉が、かつて不毛の地と呼ばれた北の辺境領からもたらされているという事実に。


「『豊穣のオメガ』の噂、ご存知ですか?」


 行商人が、今度は興奮した様子で新しい噂を運んできた。


「なんでも、北の辺境には、大地を蘇らせる奇跡の力を持ったオメガがいる、と。その方が現れてから、あの不毛の地は、世界有数の穀倉地帯に生まれ変わったのだ、と」


 その噂は、あっという間に大陸中に広まっていった。

 それは、僕の存在を、世界に知らしめることになった。

 そして、その噂は当然、最もその情報を必要としているであろう、枯れゆく王都の、愚かな王子の耳にも届くことになる。

 僕の平穏な日々に、暗い影が忍び寄ってくるのを、ひしひしと感じていた。

 実りの辺境で、僕はカイと寄り添いながら、静かに、しかし確実に近づいてくる嵐の気配に、備え始めていた。僕たちの幸せを、誰にも奪わせはしない。その決意を、胸に秘めて。

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