雨日和


「降水確率は0%です」

「げっ」

 反動で立て掛けた傘をつま先で小突く。金属がカツンと軽く鳴った。店主は目を細め、出来上がった炒飯を無言で置く。


「だぁから言ったろ。雨なんてふらねぇって」

「…天気予報なんて、もう信じない」


 店内の時計が、湿った針音で大きく鳴る。外ではほつれた暖簾が風に揺れる。視線を逸らすと、目の前には油と卵をまとった米が艶やかに輝いていた。レンゲを手に取ると、自然と口が動く。幸福が、ふっと体の奥に広がった。


「荷物になるだろうに」

店主の声は遠く、もう届かない。



 外に出ると、青空が広がっていた。

手に握る傘は、ただの鉄とビニールの塊。重みだけを携えている。心もまた、知らず知らず鉛をまとう。


 近くのベンチに腰掛け、スマホを開く。


ごめん。今日は友達と飲み


 簡素な通知に、思わず石を蹴る。返事は出せない。すぐにもう一つ通知。


また今度声かける


 それが嘘でないことも、私には分かっている。でも「今度」は訪れない。


私と店主を結ぶのは、あの炒飯。

私と彼を結ぶのは、雨の日だけ。

傘の下だけ、特別だった。

私は、都合の良い女。

彼は言った。「お前は雨の日の恋人だ」と。


 背もたれに深くもたれ掛かる。太陽が私の頭を焼き、思考を溶かす。考えがこぼれ落ちる。抗う方法も、戻る方法も、誰も教えてくれない。


一目惚れだった。

それだけは真実。


 ふいに、傘がそっと私の肩に触れる。

冷たくも柔らかい。心臓が一瞬止まった。

傘は雨を防ぐためのもの。

 でも、私の傘はもう、雨の日以外に役立たない。


 立ち上がる。面倒くさくて、傘をベンチに置く。

振り返ると、傘は小さく揺れていた。

通知が鳴る。

溶けた思考の隙間に、言葉が零れ落ちる。


 足を進める。傘はそこに残して。

雨はもう降らない。私の傘も、彼の言葉も、降らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る