氷の華 人の理
闇が叶えた祈りの果ては、人の形を変えてゆく。
氷に閉じたその町は、時の流れの外にある。
ぬるき微睡みは、在りし日々を映し続ける。
静寂。拒絶。凍った世界。
その地に座すは、黒き衣を纏う華。
夢を被り、願いを背負う。
手に収まる小さな杖は、暗い光を携えていた。
月明かりの下を鎧は馬と駆けていた。女の声が響く。
「お急ぎください。救いを求める声が、小さくなっています」
林を抜け、石を踏む。一つの矢となり突き進む。その果ては、肉と鳴き声が満たしていた。
村へと続くその道に、命であった物が散らばっていた。男も女も老いも若きも区別無く。死が満ちていた。女の声が響く。
「なんと......
鎧は肉片に塗れた道を歩む。兜の奥の視線は、村の中へ向いていた。
開かれていたのは宴だった。散らばる人であったものと、それらに影を差す大きな毛玉達。
胴より下は
鎧は剣を抜き、猿達に近寄る。猿達は鎧を見やり、騒ぐ。その表情に恐怖は無かった。
鎧を見つめるものから一匹、鎧へ近寄るものがいた。首を握っていた猿だ。鎧を
鎧の視線が首へと向いた時、猿が爪を振るった。
猿にとって、狩りとは娯楽であった。獲物を追い立て、いたぶる。苦悶と絶叫を浴び、仕留める。喰らうためでは無く、ただ殺す。そこに理由は無く、故に救いは無い。無意味に、無価値に殺された命は、
首が飛ぶ。猿の胴より離れたそれは、赤き血を撒きながら地に引かれ、落ちた。鎧は片手に人の首を抱きながら、猿達へ歩み寄る。一閃。銀が
動くものは、鎧を除いて居なくなっていた。
女の声が響く。
「騎士様...彷徨う魂に救いを...」
鎧は村と村の入り口から亡骸を運ぶ。
肉片や両断された部位、猿達の腹に収められていた眼球や指すらも集めた。亡骸と集めた部位を一つの場所にまとめる。その最中、一つの亡骸より泣き声が聞こえた。赤子の泣き声だ。
その亡骸は、胸に固く赤子を抱き抱えていた。髪は頭皮と共に剥がされ、背中は幾つも切り裂かれている。目を固く閉じ、口より血を流しながらも、赤子を放すことは無かった。
鎧は亡骸に近づき、赤子を抱き抱える。
布に包まれた赤子は、声を上げ続けていた。
鎧は布を胸元に巻き、赤子を抱えた。
鎧は亡骸と集めた部位をまとめ、その前に立つ。静かに剣を抜いた。右手で剣を立てて構え、その腹に左手を置き、祈る。熱と光が剣へ込められた。剣を両腕で構え直し、祈った。
──それは、彷徨う魂へ向けられた
熱と光が並べられた亡骸と集められた部位へと降り注ぎ、一つ一つを包む。亡骸が、形を変えていく。折られ、奪われ、切り取られた部位が亡骸へ還る。表情は和らぎ、光の粒へとなった。
光の粒が流れを作り、天へと昇ってゆく。その流れより、二つ。鎧へと向かってきた。
光の粒は人の輪郭へと変わる。若い夫婦だった。
鍛えられた身体に、剣を腰に帯びた男。男に寄り添い、微笑みを向ける女。
二人は鎧の胸元へと顔を向ける。そして深々と頭を下げた。輪郭が風に溶け、光の流れに戻る。女の声が響いた。
「この先、山の山頂に修道院があります。そちらへ」
鎧は光の粒に背を向け、歩き出した。背に負う薔薇と剣の縫い付けられた布が、光の粒を眺めていた。
修道院の門前に鎧は立っていた。門を潜り、畑の間を進む。建物の中で、一際大きな物。鎧はそれへと歩んだ。
建物の扉、その下に木箱があった。綿と布が敷き詰められ、文が寄せられている。
──赤子をこちらへ。
胸に抱えた赤子を木箱へ乗せる。祈りを捧げるように。鎧は拳を握り、力を込めた。
手より現れたのは、赤き紋章。薔薇と剣の描かれたそれを、赤子と共に木箱へ納めた。
鎧は立ち上がり、修道院を出る。声は何も言わなかった。
雲が空を隠していた。分厚く、硬い氷の上を鎧は歩いていた。
兜の奥の視線は、氷によって覆われた城門を映す。
固く閉ざされ、凍った城門は、冷ややかに鎧を見下ろしていた。
静寂。建物が並ぶその通りは氷に包まれていた。
道行く人に声を掛ける店主。並び歩く恋人達。噴水に腰掛けた老人。親へ手を振る子供。
凍っていた。まるで──時間を切り取ったように。
鎧が進む。踏みしめた道の氷は、鎧の熱で溶け、水へと変わる。氷像と化した人々は、何も言わずそこにあった。
女の声が響く。
「聞こえます。人々の
「──なんて、物悲しいのでしょう」
鎧は何も言わない。ただ、道を行く。兜の奥の視線は、街の背後にある、大きな城へ向けられていた。
城の中の空気は淀んでいた。石畳を氷が覆い、敷き詰められている。壁には石の燭台が並び、
冷気が強くなる。一際大きな扉が現れた。
中は
「我が領土へよくぞ参った。顔を見せよ」
細い体に、黒く染められた装いが纏わりつく。肩から流した白い毛皮は、何かの獣だろうか。右手には杖が握られ、暗く光った。頭に戴いた冠は、宝石が色とりどりに散りばめられ、七色に輝く。──人々の夢のように。
鎧が歩み寄り、玉座の前に立つ。女が口を開いた。
「我が街をどう見る?騎士よ。微睡みの中で永遠を過ごす領民は?これぞ慈悲、人への救いなり」
「──否」
「救うは生かすに
鎧は女王を見やる。その視線に熱はない。
人の
女は人に生まれた。人の身でありながら、人を率いる。その目に映るは時の流れ。形を変えながらもそこにある。人の世を女は、愛していた。
日が陰るまでは。人の手より夜は
燃えている。女が愛した人々が。人の身を捨て、遺そうとした国が。炎が氷を包み、溶かしていった。
女は胸を剣で刺され、床へと縫い付けられていた。血を吐き、虚ろな瞳は焼ける城を映している。女は口を開く。
「我は、道を
鎧は女の傍らに
「人の世は移ろいゆくもの。定められた理など無い」
その身を炎が包んでゆく。
女の目は閉じられ、小さく呟いた。
「......そうか」その声は、炎に溶けた。
融けてゆく。
氷は水に、記憶は大地に沈み込む。
我は記録を
華が残したその遺志は、地より広がり、世へ芽吹く。
人は変わらずそこにある。人から人へと遺される。
我は綴ろう。人を愛した女王を。
大地に咲いた、氷の華を。
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