第46話
荷馬車の前に、ひしめくように人が集まっていた。
服は擦り切れ、包帯だらけの者すらいる。
皆、腹を空かせ、顔には焦りと怒りが浮かんでいた。
「ふざけんな! 俺たちには分けらんねぇってどういうことだ!!」
怒号が通りに響く。
ここは港湾都市ハーフェンの中央通り。
海賊襲撃の爪痕がまだ残り、街全体が沈んだ混乱の気配に満ちている。
詰め寄られた兵士たちは、必死に強がるような声を返した。
「何度言わせる! これは“艦隊用”の補給物資だ!
お前ら一般人の食料じゃない!!」
だが、民衆は引かない。
海賊に家を焼かれ、財産を奪われ──
今日食べる物もない。
普段であれば王国軍に逆らうなど考えられない。
だが、今は飢えと怒りが全てを上回っていた。
「ふざけんなよ!!
海賊相手に何もできなかった腰抜けどもが!!」
一人が叫べば、それが火種となる。
「そうだ!! いつも偉そうにしやがって、いざって時は逃げてただろ!!」
「軍がちゃんとしていたら、誰もこんな目に遭ってないわ!!」
「返せよ! 俺たちの生活を返せぇ!!」
罵声は雪崩のように兵士へ向かう。
兵士たちは押され気味で、声をあげることすらできない。
無理もない──
日頃から“ハーフェン防衛”を口実に、店で支払いを踏み倒し、
横暴な振る舞いを繰り返してきたのだ。
そして最近では、
“獣王”と呼ばれる狼藉者の影響で
海賊のアジトも近海にある。
そのせいで住民はもともと不満を溜め込んでいた。
海賊が襲い、家が焼かれ──
いざ軍が必要な時、彼らは何の役にも立たなかった。
実際には、戦列艦のおかげで海賊が撤退したのだが、
民衆にとってはそんな事実など、どうでもよかった。
守ってくれなかった──それだけが真実だった。
怒りは止まらない。
通りには、抑えきれない憎悪の熱が渦巻いていた。
通りの騒ぎから、ひとしきり離れた場所。
喧騒を、ぼんやりと眺めている男が一人いた。
海軍高級将校の制服を着ている──はずなのに、まるで似合っていない。
肩章は立派なのに、本人の雰囲気が追いついていない。
覇気ゼロ。
疲れ切った顔。
眠たげな目。
海軍兵は外見に厳しいことで有名だが、
この男のだらしない無精髭とよれた紙巻きタバコは、
もはや“田舎の小作人”のほうがまだ身なりがマシというほど。
「あ~……大変だねぇ~」
まるで他人事のように、くぐもった声を漏らす。
そこへ、必死の形相の兵士が駆けつけた。
「こちらにおられましたか! ハロルド大佐!!」
背筋を折るほどの敬礼。
だが当の本人は──
「はいはい、おられましたよ」
ひらひらと気の抜けた手の振り。
「大佐、戻っていただかねば! 既に休憩時間は一刻前に終了しています!」
「え? あ~……そう?
いやぁ~俺の時計が狂ってたんだろうなぁ……中古だからさ。悪い悪い」
絶対嘘だ。
兵士は思った。
彼はタバコを地面に投げて踏み消すと、
兵士のイライラが限界に達しつつあるのを感じ取り、
ようやく重い腰を上げた。
「……わかったよ……行けばいいんだろ……面倒くせぇ……」
「だ、大佐……!!」
もう泣きそうな部下を横目に、
ハロルドは気怠そうに、面倒そうに、歩き始める。
──この男、ハロルド・フェンリック海軍大佐。
誰がこの覇気ゼロの男を、
王国海軍第三艦隊 第十二即応艦隊の艦長
だと信じるだろうか。
しかし、事実なのだ。
そしてこの男が、いずれヴェロニカの運命を大きく狂わせることを、
まだ誰も知らない。
「それで……本隊への連絡は?」
歩きながら、眠そうな声で問いかけるハロルド。
「はい。艦隊本隊は“明日の昼には近海へ到達できる”とのことです。
それまでに──」
兵士が続けようとした瞬間、
ハロルドは深く、長い溜息を吐いた。
言われるまでもない。
その先が、もうわかっている。
「“即応艦隊は王国の威を示せ”。……そういう命令です」
要するに──
『本隊が来るまでに、海賊どもを片付けておけ』
ということだ。
「シャチ相手に、俺たちだけで?
……あの連中、本当にシャチを見たことないんだろうな~」
肩をすくめる大佐。
シャチ
先に上陸させた陸戦隊も、ハーフェン守備隊も壊滅寸前。
それを一番理解しているのが、この覇気ゼロの男だった。
「ですが大佐。戦列艦の砲撃があれば、海賊など──」
もっともな意見。
だがハロルドは鼻で笑う。
「お前なぁ……シャチって泳げるんだぞ。追い風の高速船より速いんだぞ?
そんな連中が乗り込んできたら……はい終わり、だ」
兵士は信じられないという顔をする。
“
──そう信じて疑わない典型的な王国兵士。
「まあいい。物資は積んだか? 明日の朝一で出港だ」
「はっ。規定分はすべて積み込み済みです」
ハロルドは二度目の深いため息をついた。
「馬鹿。そんな少量じゃ持たないよ。倍、積め。倍」
「……海賊討伐程度で、そこまで……?」
兵士の疑問が口に出る前に──
ドォォン!!
港のほうで爆発音が上がった。
二人とも思わず振り向く。
夜空を赤く染める炎。
船の影が揺れ、叫び声がかすかに聞こえる。
「……ほら見ろ。おいでなすった」
ハロルドは呆れたように眉を下げ、
吸おうと思い、取り出したばかりのタバコを投げ捨てる。
「走るぞ、童貞坊主」
「ど、童貞ではありません!!」
怒鳴り返す兵士より早く、
ハロルドは港へ向かって駆けだした。
──覇気もやる気も無さそうなのに、
誰よりも状況を正確に把握していた男だった。
「クソッ! 離せ! この
甲板に響く悲鳴。
海軍兵がシャチ族の腕一本で軽々と持ち上げられていた。
手足をばたつかせても、子供の癇癪と変わらない。
「軽いなぁ、人間。ちゃんと飯食ってんのか?
ほら、ご馳走してやるよ。海の底には山ほど魚がいるぜ!」
豪快な笑い声とともに、放り投げられた兵士は弧を描いて海へ消えた。
「梯子を落とせ!! 乗り込まれる前に外せ!!」
怒号とともに海軍兵が殺到する。
だが、すでに海からかけられた縄梯子を次々とシャチ達がよじ登ってくる。
濡れた身体が月光を弾き、甲板に次々と影が躍り出る。
──その瞬間。
ドンッ!!
爆発。
船体が大きく揺れ、全員がバランスを崩した。
「ぐっ……! 軍曹! 左舷が爆破されています!
穴が……大穴が開いて──船が沈みます!!」
海面から白い泡が吹き上がっている。
浸水の速さは異常だ。横腹に穿たれた穴から海水が怒涛のように押し寄せ、
まるで船が海に引きずり込まれていくようだった。
「……夜襲だと……?」
軍曹の額に汗が伝う。
補給に上がった兵士たちを休ませていた、この“最も隙が大きい瞬間”を狙った奇襲。
狙いすました、完璧なタイミング。
甲板ではシャチ達がさらに増えていく。
水飛沫を上げながら、笑いながら。
「ほら、急げよ?
修理したきゃ金槌を探しに行くんだな。
それまで……沈まなきゃいいけどなァ?」
「俺ら放置して逃げてもいいぜ?
“お前らが生きてれば”の話だがな!」
ヘラヘラと笑う声が耳を刺す。
その間にも縄梯子を越えて、シャチの数は倍々に膨れ上がっていた。
軍曹は理解した。
(退却は不可能……
背を向ければ、全員海に叩き落とされる……)
肺が焼けるほど息を吸って、叫ぶ。
「舐めるな……海賊風情がァ!!
小隊──突撃準備ッ!!」
声は震えていた。
だが、戦うしかなかった。
勝率が何%であろうと。
いや──ほぼゼロだとしても。
背を向ければ、一瞬で全滅だ。
それでも、兵士たちは槍を握り直した。
──続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます