第45話

「それで? お前たちはこんなところまでコソコソ来て、何の用だ?」


シャチ女が腕を組み、こちらを見下ろすように言った。


さて……どう返してやろうかしら。


「その前に自己紹介しない?

 名前も知らない相手と話すのは不便だわ」


「……たしかにな」


女はあっさり頷き──そして。


……沈黙。


「……おい。こういう時は、自分から名乗るのが筋ってもんだろうが」


「へぇ~、そうなの?

 初耳ね。シャチ族の文化かしら?」


私が首を傾げると、メアリードは本気で目を見開いた。


「……まあいい。

 アタイは“大海の咆哮”船長、メアリード。

 “噛み千切りメアリード”って呼ぶ奴もいる」


痛いほど物騒な二つ名ね。

これを無視するのは流石に失礼だわ。


「ヴェロニカよ。

 獣王と言ったほうがわかりやすいかしら?」


堂々と言ってやった。

船の上の空気がピタッと止まる。


「おいおい……面白ぇ女だな?」


メアリードがゆっくりと手を上げる。


その合図一つで、海賊たちの手が一斉に伸び、

私たちの頭を乱暴に掴み上げた。


冷たい刃が喉元へ──ひやりと触れる。


「アタイらの前で“獣王”名乗るとはな。

 命なんざ惜しくねぇって意味で間違いねぇよなァ?」


金属音が耳元でチリ……と鳴った。

普通なら震え上がる場面だけど──


「ふふ。過去のことで怒るなんて……意外と可愛らしいのね?」


その一言に、メアリードの鋭い眼が揺れた。


「センチメンタルな昔話に興味ないわ。

 私が話したいのは“今”よ」


私は刃に押されながらも、顔一つ動かさず言ってやった。


「多人数で女をなぶってる暇なんて──

 あなた達には、もう残ってないのよ?」


ピシッ。


海賊たちの指がわずかに震えた。

数人が無意識に周囲を見回す。


“この女は、何を言っている?”

そんな空気が甲板に満ちていく。


メアリードの眉が、ゆっくりと吊り上がった。


「……どういう意味だ、テメェ?」


潮風が一瞬止まった気がした。


「ヒエン! いるのでしょう! さっさと出てきなさい!」


私が叫ぶと、海賊たちが一斉に周囲をきょろきょろ見回す。


「……なんだ。バレてたのか」


いつの間にいたのか、

甲板の手すりの上にひょっこりと影が立っていた。ヒエンだ。


おん──」


指を組み、静かに印を結ぶ。


次の瞬間。


「う、うわっ!?」

「な、なんだこれ……!?」

「足が……立てねぇ!!」


私達を押さえつけていた海賊たちが、

見えない大波に揺さぶられるように転げ回った。

甲板はピクリとも揺れていないのに、彼らだけが錯乱している。


「大波だ!! 沈む!!」

「水が……水が来る!!」


完全なパニックだ。かわいそうに。


「ほらよ、受け取れ!」


ヒエンは布袋を投げつけてきた。

中には斧、短刀、杖、ナタ──私たちの武器。


「武器庫にあった。鍵もかけてなかったぞ。海賊ってのは意外と雑だな」


得意げに笑うヒエン。

その間にオイレちゃんが短刀で縄を器用に斬り、全員を解放する。


私は立ち上がり、髪をかき上げてヒエンに言った。


「上出来よ、ヒエン。褒めてあげるわ」


ヒエンは首をかしげた。


「……なんで、オレが隠れてたのがわかったんだ?」


私は優雅に笑って答える。


「簡単よ。もしこの場に居なかったら──

 生首になっても、あなたを殺すつもりだったから」


ヒエンの顔が固まった。


「……助けに来て……本当に……よかった……」


心底ほっとした表情で胸を押さえていた。


私たちが武器を握り、ゆっくりと立ち上がった瞬間──

シャチ海賊団の殺気が、甲板を覆い尽くした。


さっきまで幻術に惑わされていた海賊たちも、

仲間から遠慮なしの平手打ちを浴びて次々と正気に戻る。


「……あらあら。ずいぶん簡単に解ける魔法なのね?」


「無茶言うなよ!!

 ナイフ持ったシャチ四人を幻覚に落としただけでも褒めて欲しいぞ!?」


ヒエンの叫びは震えていた。

それも当然だろう。


シャチ達の殺気は“圧力”そのものだった。

獣人ビースト・マンといえど、もはや別の生物。

本能が警鐘を鳴らすレベルの強者だ。


「で──?」


メアリードがゆっくりと腰からカトラスを抜いた。


陽光を受けた刃が青白く光り、

ハンドガードには彫金と宝石がちりばめられている。

美しさと殺意が同居した武器。


シャチ海賊団も一斉に構える。

カトラス、モリ、船斧。

刃だけでなく、思考まで研ぎ澄まされた“狩人の目”がこちらを射抜く。


「逃げた野郎が合流したところで、何も変わらねぇぞ?」


絶望的な光景──

そう評するのが一番早い。


ライカ、オイレ、カーターもそれが分かっている。

握った武器は汗で濡れ、指が白くなるほど力が入っていた。


私はというと、

この状況で奇妙に冷静になっていた。


「別にもういいわ。

 そんなことより──早く帰らせてもらっていいかしら?」


私は肩の埃でも払うような気軽さで言った。


メアリードは目を細める。


「……おいおい。この状況で“帰れる”と思ってるのか?」


シャチ海賊たちは武器を構えたまま、じり、と距離を詰めてくる。


だが私は優雅に手を振った。


「帰るわよ。

 使えると思ったけど──話も聞かないみたいだし。

 あとは好きに喧嘩でも略奪でもしていれば?」


その態度に、メアリードの眉がぴくりと動く。


「……お前、なにか知ってやがるな?」


甲板の空気が一瞬で凍りついた。


私はゆっくりと振り返り、

背後に潜んでいた影へ声を投げた。


「──ヒエン。教えてあげなさい」


その瞬間、海賊たちの視線が一斉にヒエンに突き刺さる。

潮風さえ止まったような沈黙。


「……オレかよ」


ヒエンは肩を竦め、ため息をついた。





「……戦列艦はハーフェン港で補給を受けてる。

 だけど、あんたらが根こそぎ奪ったから──今は完全に動けねぇ」


「おうよ! 今頃、桟橋で魚でも釣ってるだろうな!」


海賊の軽口に、どっと笑いが起きる。


……ヒエンが次を言うまでは。


「──だけどな。

 さっき、ミーティア方面から“荷馬車の列”がハーフェンに入っていくのを見た」


笑いが、ピタリと止まった。


「輜重隊列。補給物資でしょうね」


私は懐から葉巻を取り出す。

オイレちゃんが無言で火をつける。

ふぅ、と紫煙を吐きながら、ヒエンを促す。


「それだけじゃないわよね?  続けなさい」


ヒエンは小さく頷き、状況を淡々と述べた。


「港には戦列艦一隻、フリゲート二隻、スループもいた。

 ──で、問題は“所属”だ」


「……なんだい。何を知ってる、蝙蝠?」


メアリードの声が低く沈む。

さっきまでの余裕は跡形もない。


ヒエンははっきりと言った。


「王国海軍第三艦隊。

 その“即応部隊”だ」


ざわ……


海賊たちの背が強張る。

空気が重く沈む。

誰よりも海軍の恐ろしさを知っているのは、海賊自身だからだ。


私は微笑む。

紫煙がゆっくりと渦を描きながら流れた。


「つまり──本隊が来る前に派遣された“先行部隊”。

 本隊は数日以内に来る。

 いえ……もう沖に入ってきているかもね?」


海賊たちの顔から血の気が引く。


「さて、どうなるのかしらね?

 戦列艦が……一隻で済むかしら?」


葉巻の煙が、甲板に重苦しい影を落とした。


「ここは俺達のアジト──

 “デス・コーブ”だぞ!

 潮の流れは入り組んでて、人間の船が入れるワケねぇ!」


海賊の一人が胸を叩き、他の船員たちも「そうだ!」と頷き合う。


……だけど。


その中で──

メアリードだけが、こめかみに薄い汗を浮かべていた。


状況を理解しているのは、彼女だけ。


私はにこりと笑い、葉巻の灰を落とした。


「うふふ、そうねぇ。

 “入江の外から砲撃が届かなければ”いいわね。

 それに──」


「……入江の入口が海上封鎖されたら、アタイらは干上がる」


メアリードが低く言い、海賊たちが一瞬、固まる。


あら、気づいたのね。やっぱりこっちは見所あるわ。


私はぱん、と手を叩き、笑顔を向ける。


「ご明察!

 つまり──桟橋で魚を釣ることになるのは、

 人間じゃなくて“あなたたち”だったみたいね?」


ぐらり。


海賊たちの自信が、一気に崩れ落ちた音がした。


「というわけで忙しいでしょうし、私たちは帰るわ。──行くわよ」


軽く手をひらひら振ると、

ライカ・オイレ・カーターの三人はすぐに武器を収め、

ヒエンも当然のように私の後ろに続いた。


コツ、コツ……

私のヒールが甲板を叩く。


その前に、海賊が一人、震える脚で立ちふさがる。


「ふざけんな! 勝手なこと──」


「──どけ」


“少し”声を低くしただけで、

海賊はビクリと肩を跳ねさせ、後ろへ一歩下がった。


あら、思ったより素直じゃない。


その背に──


「待ちな」


声の質が違った。

女の声。


メアリードがゆっくりと歩み出てくる。


「……そこまで知っていて、ここに何をしに来た?」


ふふふ……聞く気になったのね?


私は振り返り、葉巻の煙をくゆらせた。


「解決策。解決してあげに来たの」


海賊たちがざわつく。

メアリードだけが沈黙したまま、鋭い目で私を測っている。


「ふん……聞いてやる。言ってみな」


まっすぐな殺気と知性が向き合う。


私はゆっくりと笑い、紫煙を広げた。


「海賊でしょう? やることは一つだけよ」


わざと、ゆっくりと言葉を落とす。


「みんなで“船を襲って”、ガハハと笑って酒を飲む──

 それだけでしょう?」


甲板の空気が止まった。


誰かが、息を呑んだ音がした。



──続く。

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