第44話
街はすっかり別の喧騒に包まれていた。
燃え上がった家屋の消火、生存者の救助、逃げ惑う人々の誘導。
その忙しさの中では、お尋ね者の私たちなど誰も目に入らない。
シャチの海賊団は沖合に見える新たな艦影に気づいた。
帆には、錨の上に王冠の紋章。
王国海軍──しかも戦列艦。
巨大な船体が海面を押し分けるように進むその姿は、
まるで“海を泳ぐ砦”だった。
それを見た瞬間、シャチの海賊たちは荷物を抱えて一斉に退いた。
まとまりのある動きで、潮が引くように港から姿を消していく。
……なんて見事な撤退なの。
この機敏さ、統率、判断の速さ……プロの海賊ね。
え? 海賊に詳しいのかって?
ええ、もちろんよ。
お姉さんも若かりし頃──いや、今も若いけれど──
海賊をしていた時期があるの。
そこへ、街を偵察していたヒエンが駆け戻ってきた。
「駄目だ、ヴェロニカ。
船は殆ど略奪済みで、残った船も海軍の臨検を受けてる。
今はとても乗船なんてできない」
「へぇ~、そうなの。別にいいわ」
「え? なんで? 密航して海外に行くんじゃなかったのか?」
ヒエンが首をかしげるので、私は満面の笑みで教えてあげた。
「あのシャチの海賊団よ。
彼らを従えて、この海を私のものにするの!」
壮大すぎる計画を聞かされ、ヒエンは文字通り固まった。
その背後で、ライカちゃんにひそひそ声で言う。
「……なぁ、ヴェロニカっていつもこんな感じなのか?」
「うん。お姉さんは基本、何も考えてない。全部行き当たりばったりだ」
……あのね。聞こえてるわよ。
臨機応変って言うのよ、それ。
あなたたち
「う~ん……それは難しいと思います……」
珍しくカーターくんが弱気な声を出した。
「あら? カータくん、何か懸念でもあるの?」
見ると、いつも食べ物の味に文句を言っているオイレちゃんまで渋い顔だ。
「私は獣王様なのよ。シャチさんも、話くらい聞いてくれるでしょ?」
だって
なら、獣王である私の眷属みたいなものでしょう?
カーターくんが、指をもじもじさせながら言葉を探す。
「以前……ヒエンさんが言っていた“海王との同盟締結”の話……覚えてますか?」
ああ~……なんか言ってた気がするわね。
神話っぽい何か。
「“神獣相対”──獣王様と人間の神が初めてぶつかった戦いは、
獣王側の敗北でした。
勢力を立て直すため、獣王様は海へ向かい……海王様との同盟を結んだのです」
へぇ~……
なるほど、それがこの世界の神話なのね?
でも、それなら──
「なら問題ないじゃない。
同盟相手が会いに来たのよ? 邪険にされるなんてありえないでしょ?」
そう言うと、四人はそろって顔を見合わせ、苦い顔をした。
全員、口を開きたくなさそう。
……え?
なにその空気。
なに? 獣王様、何をやらかしたのよ……?
「海を生活圏にする獣人は、古来より海王を信仰している。
人間にも信者はいるくらいだ」
オイレちゃんが淡々と言ったあと、
ヒエンが壁に刻まれたレリーフを指した。
そこには──巨大なクジラが描かれていた。
「海王様は、とても大きなクジラだと伝えられています。
この海そのものが、海王様の潮で生まれた……とも」
ほう……スケールがでかいわね。
「海王様は獣王様と同盟を結ばれました。
海の
互いの生存のために、力を合わせたのです」
……なるほど、まさに神話って感じね。
「だけどな~……」
ライカちゃんが、言いにくそうに頭を掻いた。
嫌な予感しかしない。
「何よ……その後どうなったの?」
「獣王様は──海で戦ってた獣人たちを見捨てて、
自分だけ陣地で休養したのさ」
「ハァァァッ!?!?」
ちょっと待って!?
何よそれ!?
人間でもそんなクズな真似しないわよ!?
カーターくんが慌てて補足する。
「も、もちろん! 獣王様は酷い深手を負っていて……
本当に戦える状態じゃなかったんです!
見捨てたわけじゃ……!」
でもオイレちゃんが冷静に言葉を重ねた。
「ただ──海の
“捨て駒にされた”と信じている」
……あまりの衝撃に、言葉を失った。
つまり、まとめると──
海王の海域では、獣王は嫌われ者。
「え……ちょっと待って……
わたし今から、そんな相手に交渉しに行くの……?」
膝が笑いそうになった。
ハーフェンから歩いて数日。
海賊たちの根拠地は、山肌の奥に隠れるようにある“入江”だという。
険しい獣道ばかりで、大軍を通す平地は一つもない。
少人数で向かえば──
鯱族の怪物じみたフィジカルで跳ね返されるだけ。
さらに入江の海底は迷路のように入り組み、潮の流れも不規則。
間違えれば船体が岩に削がれ、
運がよくても、海賊船の砲撃が飛んでくる。
まさに天然の要塞。
だからこそ、拠点の存在が知られても滅ぼされないらしい。
「ハァ~……ハァ~……まだ着かないの?」
私は肩で息をしながら文句を漏らす。
「まぁ……隠れ里みたいなもんだからな。地図にも載ってねえし」
ヒエンは地図を広げ、カーターくんと険しい斜面をにらんでいた。
「もう……道は悪いし、看板の一つでも立てておいてほしいわ……」
「“この先、海賊の隠れ家”なんて看板、誰が立てるんだよ……」
ライカちゃんが呆れた目を向ける。
「ライカちゃん、決めつけは良くないわ。
世の中にはフレンドリーな犯罪者だっているはずよ?」
「……どこにいるんだよ。そんなやつ」
「ここよ!」
私は胸を張って自分を指差す。
一瞬の沈黙。
──からの──
「ア~ハッハッハッハ!!」
ライカちゃんと私は盛大に笑い、
つられてカーターくんも、オイレちゃんも、ヒエンも笑った。
ほんの束の間、疲れがふっと溶ける。
その暖かい空気を──
一滴で凍らせる声が落ちた。
「……ほう。じゃあ俺らも“楽しく”歓迎してやらねぇとなぁ」
背筋がひやりと凍る。
ゆっくり振り返ると──
岩陰から、
黒光りする肌に、白い模様。
にやりと笑いながら、指をポキポキ鳴らしている。
海の捕食者の顔だった。
最初に感じたのは──
お尻の痛みだった。
どうやら突き飛ばされて床に転がされたらしい。
視界は真っ暗。頭から袋を被せられ、腕もぐるぐる巻き。
完全に拉致。
「痛いわね! 私はレディなのよ! 丁重に扱いなさいって言ってるでしょ!!」
床の上でビタビタ暴れてやった。
「ハァ〜……うるせえな。少しは黙ってられねぇのか?」
呆れた声がして、袋がばさっと外される。
潮の匂い。木の軋む音。ほんのり揺れる床。
──船の上だ。
「くっそ! 斧返せってんだよ!!」
「貴様ら、夜道を歩けると思うなよ!?」
「燃やし尽くしてやる! 命乞いは遅いですよ!!」
隣で縛られたライカちゃん・オイレちゃん・カーターくんが三者三様に暴れている。
……うん、元気でなによりね。
ヒエン?
ええ、いません。どこかで勝手に逃げたわ。アイツ覚えてなさい。
「あのよ……ここに来るまで喋りっぱなしじゃねえか。静かにしろや」
シャチの船員が眉をひそめて言う。
「うっさいわね!! 私を誰だと思ってるの!?
あんたら全員、水族館に叩き売ってやるんだから覚悟しなさい!!」
その瞬間、海賊たちの動きが止まった。
これ、ひょっとして私、勝った?
決して呆れられたわけじゃないわよね? ね?
「なんだぁ……威勢のいい獲物が混じってんじゃねぇか?」
低く、重い声。
海賊たちが道を開くように左右へ退く。
「お頭。アジトの周りをウロついてた奴らを捕まえたんですが……
ずっとこの調子で……」
お頭──と呼ばれた者は、
他のシャチと比べて明らかに“別格”だった。
皮膚の白黒模様は残っているのに、顔立ちは人間のように整っている。
鋭い眼光。切り傷の跡が何本も走る頬。
背びれと太い尾が、その肉体が“
そして船長帽を斜めにかぶり、余裕の笑み。
「アタイら“大海の咆哮”のアジトに来ておいて、
その態度はなかなか面白ぇじゃねぇか。」
ふん……?
悪の美人対決ってわけ?
どっちが上かしら?
もちろん──私に決まってるでしょ。
──そうよね?
──続く。
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