第39話

「さあ、ライカ。オイレ。準備は良い?」


女は両手を広げ、歌うように囁いた。


「殺しなさい。ひとり残らず。逃げられると思わせないで」


その言葉は祈りにも祝福にも似ていた。

次の瞬間、獣人の影が炎の中へ飛び込み──

背を向ける者を、膝を折る者を、泣き叫ぶ者を、

躊躇なく屠ってゆく。


「な、何をしているのじゃ……?」


老魔法使いは、炎から身を守る薄い障壁の内側で震えていた。

弟子たちは間に合わず、地面で燃え転げている。


女はゆっくりと視線を向ける。


「何って……ゴミは片付けるでしょう? 私は綺麗好きなのよ」


老魔法使いは歯を剥いた。


「我らは、キッシンジャー子爵の兵ぞ! これはアルケイン王国への反逆!

 貴様らの命など──死刑ですら足りぬぞ!」


女は乾いた笑い声をもらす。


「死刑? それがどうしたっていうのよ……

 あなた、幸せな頭してるわね」


そして、肩に抱えた猫の獣人──カーターを指で示した。


「よりにもよって獣人の魔法使いじゃと? 忌み子め!」


老魔法使いが吐き捨てた瞬間、

カーターの表情がわずかに曇る。


女は彼の頬に指を滑らせ、囁いた。


「カーターくん。見て。あれをよくみるのよ。

 誰かの決めたルールを騙って、誰かの力で奪い、踏み潰す者。

 あなたは好きじゃないでしょう?」


「……はい。嫌いです」


「いい子。じゃあ今、怒りなさい。

 私が肯定してあげる。あなたの魔法は正しい力よ」


カーターの瞳が赤く燃える。

その一瞬、背後の炎よりも、少年の内側の炎のほうが眩しかった。


「──《燃えろ》」


老魔法使いは絶叫すらできなかった。

紅蓮の光に呑まれ、音も形も飲み尽くされる。


ヴェロニカは微笑みながら見つめる。


「可愛いわ、カーターくん。

 力は使いなさい。貴方を否定する者は、

 全部焼き払ってしまえばいいのよ」


枯れ木のように痩せた老人の身体が、

断末魔を漏らしながら赤い炎の中でのたうった。

燃えて、崩れて、灰となりながら──まるで歓喜でもしているかのように。


「…とても上手。よくできましたね、カーターくん」


背後からそっと腕が回され、ヴェロニカは少年の身体を抱き寄せた。

耳を撫で、喉元へ唇を寄せる。


「どんな気分? あなたを侮った人間が燃えているわ」


カーターの肩が震えた。

目を伏せ、言葉を探すように震える唇。


「……ぼ、僕は……」


迷いを断ち切るように、ヴェロニカはさらに頬を寄せた。

囁き声は毒のように甘かった。


「いいのよ。潰していいの。

 貴方の力を否定する者より、肯定してくれる人の言葉を信じなさい。

 私は“できる”カーターくんが好き」


その一言が、少年の胸の奥で何かを決定的に砕いた。


カーターはゆっくり顔を上げた。

涙は消え、震えも消え、そこにあったのは──


──笑顔だった。


燃やせばいい。

邪魔なら焼けばいい。

自分を否定する声は、こんなにも簡単に消せる。


炎に照らされる視界の端で、ひとりの兵士が腰を抜かしていた。

助けを乞うように手を伸ばしながら、這って逃げようとしている。


カーターは歩み寄り、杖を向けた。


「ヒ、ヒィィ! あ、降参だ! 助け──」


炎が咆哮し、兵士ごと呑み込んだ。

輪郭が崩れ、叫びが消える。


カーターは光に照らされた顔のまま、ゆっくりと笑った。


その笑顔は、幼いはずなのに──

どこか、とても幸福そうだった。




兵士たちはもはや兵ではなかった。

統率は崩れ、武器を振り回すだけの暴徒と化していた。


立ち向かう者はライカに叩き斬られ、

背を向けた者はオイレに殺され、

跪いて祈る者はカーターの炎に包まれた。


ヴェロニカは満足げに惨劇を眺めていた。

ちょうど良く演奏が仕上がったオペラを静かに楽しむ観客のように。


だが、ひとつだけ気に入らない要素があった。


──何人か逃げている。


森へ消えた兵が、恐慌から立ち直って再集結すれば、

数の暴力で形勢がひっくり返る可能性もある。


そんな展開は、つまらない。


「逃げは許さない。理不尽に殺すなら徹底的に。中途半端は嫌い。」


そうつぶやくと、ヴェロニカは戦場に背を向けた。

視線の先には──膝を抱え、震えていたヒエンがいた。


役に立たないから放っておく?

いや、違う。


三人だけでは、手が足りない。


だから。


ヴェロニカは微笑みながら歩み寄った。

まるで、次の幕の主役を呼び出すかのように。


ヴェロニカはつかつかと歩み寄り、

倒れたヒエンの頭のすぐそばにヒールを突き立てた。

燃える惨劇の光を背に受けたその姿は、まるで地獄の門から現れた悪魔だった。


「ごきげんよう、ヒエン。調子はどうかしら?」


世間話のような声色で、しかし慈悲の欠片もない。


ヒエンは縋るように手を伸ばした。


「……た、助けに来てくれたのか?」


「助ける?」


ヴェロニカは笑い、胸ぐらを掴んで強引に立たせた。

細い身体は軽く、まるで玩具のようだった。


「そうね。助ける価値があるから助けるだけ。」


顔を寄せ、愉悦に満ちた瞳で告げる。


「魔法鉱石の場所──知っているのでしょう?

 人間どもを追い払って あげる から、案内しなさい。」


拒否を許さない声音。

“救った”のではなく、“利用するために生かした”と断言する言葉だった。


逃げ場はない。

ヒエンはその事実を、喉から絞るような息で理解した。


「あ、あんたも結局、ソレかよ……」


ヒエンは掴まれた襟元を押さえながら、喉を震わせて言った。


「俺たちは……人間に助けられた。

 だから……いつか、“対等”になれるんじゃないかって……そう思ってたのに……」


彼の脳裏に、幼い頃から聞かされてきた伝承がよぎる。

獣人ビースト・マンから追われた蝙蝠族が、

迷い込んだ森で出会った“人間の遁術師”。

幻影・体術・忍びの技を授け、蝙蝠族に生きる術を与えた存在。


だから蝙蝠族は、人間を信じられると思っていたのだ。


仲良くなれる。

手を取り合える。

いつかは、獣人ビースト・マンとも、人間とも“対等”に──


「……“対等”?」


ヴェロニカは喉の奥で笑った。軽蔑でもなく、同情でもなく。


胸ぐらを掴んでいた手を離し、撫でるように服の埃を払ってやりながら、

優しく囁く。


「勘違いしないで。ひとつ教えてあげるわ、ヒエン」


赤い瞳が笑っていないまま、言葉が落とされた。


「この世に“対等”なんて存在しないのよ。」


それは断言だった。

優しい声なのに、逃げ道のない断頭台の刃のように──


──続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る