第40話

「人間は──支配するか、支配されるかの二択なのよ。他は存在しないわ。」


その一言で、ヒエンは声を奪われた。


「対等? 友好? 協調?」


ヴェロニカは笑みを深める。


「それは“うかつに手出しできないほど強い相手”に対して初めて使う言葉。

 あなた達のように、簡単に踏み潰せる相手には絶対に使われない。」


「じゃ……じゃあ、オレ達は……支配されて、

 奪われて……それで終わりなのかよ……?」


「ええ。今のままでは、それしかないわ。」


ヒエンの視線が落ちる。

心の奥で頼っていた幻想が砕ける音がした。


だが──


「……今のままではね?」


ヴェロニカは言いながら、そっと顎を持ち上げさせるように視線を誘導した。


木が揺れた。

草が揺れた。


怯えながら、しかし逃げずに耳を立てる蝙蝠族たちが、そこにいた。


本来なら見つかるはずもない。

隠密を誇る彼らがわざわざ音を立てたのは──


ヴェロニカの言葉を、一語も聞き漏らすまいとする意志の表れ。


ヴェロニカの口元がわずかに上がる。


(──いい子たち。丁度、見せ時ね)


注目が一点に集まるこの瞬間。

彼女はここから「取り込む」準備を完了させていた。




「……お前たちは何がしたい?」


その声は今までの女の声とは違う、地を震わす低い声だった。

森の炎も、崩れ落ちる家も、死の呻きも──一瞬、音を失った。


獣人ビースト・マンからも嫌われ、人間からも利用され、

 泥水をすすってまで“誰か”にすがりたいのか?」


ヴェロニカは手を広げ、夜空を切り裂くように声を放つ。


「薄汚い裏切り者。嘘つき。詐欺師。

 そう呼ばれ続けてなお──友好を望むのは、何故だ?」


ヒエンは顔を上げた。

喉が震え、声にならない息が漏れる。


「……それしか、出来ないからだよ」


掠れた声。

溜めていた後悔が、堰を切ったように溢れる。


「身体は細い。力もない。畑も耕せない。

 “働け”って言われても働けないんだ……!」


視界が涙で揺れる。


「だから……そうするしかないんだよ!

 利用して、いい顔して……嫌ってる相手に笑って……

 そうしないと、生きられないんだよ!!」


ヒエンの肩が震える。

一度吐き出した言葉は止まらない。


「悪い事だってわかってる…!

 でも、そうするしかなかった……!

 他に、他にどんな生き方があるんだよ……!」


喉が詰まる。

涙と嗚咽で言葉にならない。


「……教えてくれよ……頼むよ……どうすればよかったんだよ……」


その慟哭は炎の音すら越え、木々の間に潜む蝙蝠達の胸に突き刺さった。

誰も姿を見せない──けれど涙の音は、森中が聞いていた。


「聞け──この森に潜む蝙蝠どもよ。

 我が声に、震えながら耳を傾けよ」


ヴェロニカの声が森を貫く。

炎の揺らぎよりも冷たく、よく通る声だった。


「貴様らは醜い。手は羽、足は鉤爪、耳は無駄に大きく、牙は獣のもの。

 その姿だけで忌避される。それが現実だ」


淡々とした否定。

怒鳴り声ではないのに、反論を許さぬ圧があった。


「そして──嘘つき。

 利用し、騙し、盗み、擦り寄り、被害者面をする。

 そんな者たちを“友としたい”などと思う種族が、この世のどこにいる?」


ヒエンは言葉を飲み込む。

わかっていた。

けれど、真っ直ぐに突きつけられると胸が痛む。


ヴェロニカは続ける。


「生き延びるため? 仕方がなかった?

 ──そんなものは言い訳だ。騙された者には関係がない」


ヒエンの喉がひくりと動く。


「結果を招いたのは、おまえたち自身。

 それを認める勇気も持たず、現実から目を背け、ただ他者に縋る。

 自業自得だ」


その言葉は、炎より鋭く、救いの欠片すらなかった。


「……だが」


ヴェロニカの声が、不意に落ちた。

苛烈さが消え、まるで喪失を嘆くような調べに変わる。


「この光景は──あまりに悲しい」


彼女が指し示した先には、折り重なる蝙蝠族の幼い死体。

切り刻まれた痕は、苦痛より“玩具のように扱われた”ことを示していた。


「無垢な子どもたち……この者たちが何を犯した?

 彼らも“騙した罪人”なのか?」


ヴェロニカは静かに跪いた。

白いハンカチを取り出し、そっと小さな頬についた血を拭う。


その横顔に、涙が伝った。


「違う!!」


木の上から、女の叫びが落ちてきた。


「ゴロウは……飛ぶ練習さえまだだったのに……!

 里の外の空を見るのを楽しみにして……ああ、ゴロウ……!」


別の場所から、掠れた声が重なる。


「ヒ、ヒナは……騙すなって、いつも俺を叱って……

 人と仲良くしたいって……ヒナぁ……!」


ヴェロニカは二人の声を聞きながら、

黙って子どもたちの顔をひとりずつ拭っていく。


「……そうか」


俯いたままのその表情は、悲嘆に沈んでいるように見えた。


だから──

誰も気づかなかった。



その口元が、

酷く、醜く、楽しげに歪んでいたことに。



「子どもたちに、何の罪がある?」


静かに問うた声が、森を震わせた。


「親が罪人なら、子もまた罪人なのか?」


木々の葉がざわめく。

そこに潜む蝙蝠たちの心が、揺れた音だった。


「違う。違うのだ……」


ヴェロニカはゆっくりと立ち上がる。

涙を宿した目で、折り重なる幼い死体を見つめた。


「この子たちは、未来を信じていた。

 蝙蝠と獣人ビースト・マンと人間が、共に生きられる未来を──信じていた」


声は震えず、淡々としていた。

だからこそ、悲嘆が鋭かった。


「それを踏みにじったのは誰だ?」


森から悲鳴があがる。

木の上の母親、草陰の父親。

ヴェロニカはただ、その悲鳴に耳を傾けた。


「……お前たちが死ぬことに、私は涙を流さない」


言葉が、ひどく冷たく落とされた。


「だが──子どもたちのためには涙を流す!」


宣言の通り、頬を一筋の涙が伝う。


「蝙蝠よ。私は許せない。

 無垢な子を殺し、玩具のように嘲る者を、決して許さない!」


その言葉に呼応するように、草が揺れた。

怯えではない。怒りだった。


「見よ。あれが我が従僕だ」


ヴェロニカは戦場を指した。

ライカ、オイレ、カーターが、人間の部隊を圧倒している。


「お前たちの代わりに裁きを下している。

 それを、ただ震えて見ているだけか?」


蝙蝠たちは戦いの光景を見た。

涙で伏せていた瞼を開き──


月光と炎に照らされ、紅の瞳が次々と輝いた。


「……お前は……何者だ?」


震える声が落ちてくる。


ヴェロニカはゆっくり振り返り、笑った。


「ヴェロニカ。

 ──獣王ヴェロニカだ」


その名が森に落ちた瞬間、

紅い光点が一斉に走り出した。


「さあ、蝙蝠たちよ。

 我と共に戦え!

 すべては──子どもたちが笑う未来のために!」


森の闇が、彼女の言葉に従うように動いた。




「ふぅ……助かりましたね、隊長」


道なき森をかき分けながら、一人の兵が息を吐いた。


「当たり前だ。ああいう時はな、まず引く。戦場の定石だ」


胸を張って言う隊長。

キッシンジャー子爵の私兵の中でも珍しい“戦場帰り”──と本人は豪語している。


(実際は補給所で荷物を捨てて逃げた逃亡兵だが、誰も指摘はしない)


「とにかく、急いで子爵のもとへ戻るぞ。獣人どもの反乱を報告せねばな」


部下たちは黙って頷いた。

(報告っていうより“逃げ帰る理由”だろ……)

そんな空気が滲んでいた。


その時、先頭の兵が急に立ち止まる。


「おい。何してる、歩け」


「た、隊長……あれ……」


震える指が、木々の暗がりを指した。


最初は黒い塊に見えた。

風に揺れている。ただの影のように──


だが違う。


細い足。鉤爪。

枝に絡みついて逆さにぶら下がり、黒い翼で体を覆い隠す異形。


ゆっくりと、翼の隙間から顔が覗いた。


大きすぎる耳。

そして、月と炎を映した──


赤い瞳。


蝙蝠族の女が、何も言わずにこちらを見ていた。



──続く。

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