第3話 無装飾の告白を

「黒瀬君」


「っ!?」


 3限目の終わりの休憩時間。飲み物を買いに行くつもりで廊下の角を曲がった先に白雨が立っていて、反射で肩が跳ねた。待ち構えていた、と直感する立ち位置に息が半拍ずれて、歩幅が勝手に詰まる。


 やけに目立つ白髪が強い輪郭で視界を占める。色の情報が一気に塗り替えられて、視点がその一点に固定される。近い。逃げ道を探す前に、名前で呼ばれることで体勢が固まった。


「な、なんだよ、待ち伏せしてたのか?」


「うん、黒瀬君と話すためにはこうするしかないから」


  あぁ、そういえばそうだ。今朝は時間が足りなくて先の話に触れていないし、連絡先も交換してない。だったら、会話をするにはこうして顔を合わせる他ない。説明は筋が通っていて、白雨に落ち度はない。言い返せない分だけ、バツの悪さが足裏に残る。


「はぁ、何の用だよ」


「誰かと食べる約束がないなら私と一緒にお昼ご飯食べようよ」


 誘いの文面はやさしいのに、声の抑揚は不気味な程に平坦だ。嬉しさや高揚はどこにも付着していなくて、必要だから言葉にしただけ、という乾いた手触りが残る。


 こんなに楽しそうじゃない誘い方が他にあるのかという苦言が内心でこぼれた。


「嫌だ。今日は朝から慌ただしかったんだ、昼飯くらいゆっくりさせてくれ」


「黒瀬君は何も話さなくていいよ、隣で見たいだけだから」


「食べづらいわ!」


 絵面が頭に浮かんで顔が引きつった。弁当を食べる俺、その横に座って眺めてくる白雨。嫌すぎるな。箸を動かすたびに視線の重みが乗ってきて、味が分からなくなる未来がありありと見える。ゆっくり食べるどころではない。拒否の言葉が反射で出たのは、自己防衛として妥当だ。


「一緒にいる話だったら、せめて放課後にしてくれ」


「放課後に何するの?」


「寄り道」


 今の俺はどの部活にも属していないし、風紀委員の腕章とも無縁だ。だから時間ならかなり余っている。中学の頃に時間を潰していた場所へふらっと寄る。そんな曖昧な行動で十分だ。具体性は薄いが、嘘ではない。


「いいよ。それじゃあ私はどこで待ってたらいい?」


 靴箱や校門の前は論外だな。人の出入りが折り重なる場所は、視線が滞留して剥がれにくい。目立てば余計な噂がさらについてくる。静かに動くには、もう少し人の流れから外れた地点がいい。


「学校の近くにコンビニがあるのは知ってるか?」


「うん」


「なら、そこに集合で」


 単純な理由だが、校外なら人目が分散する。俺にとっても白雨にとっても、それが無難な選択だろう。最低限のやり取りだけ済ませ、俺は一旦白雨と別れた。


 それからの授業は、篠原の鋭い視線に襟元を軽く引かれつつも淡々と終わり、黒板の字も、ページをめくる音も、どれも通過儀礼の手触りで、気づけば放課後は定刻どおりにやって来た。時間は時々、水のように抵抗なく流れる。


 そうして学校を出て少し歩き、俺はコンビニの方へ向かう。本当は反対側へ折れて、そのまま帰宅ルートに乗りたかった。しかし、翌日以降の不確定要素を増やすと面倒が雪だるま式に膨らむ。被害の最小化を優先して、足を向ける。


「⋯⋯」


 面倒事を嫌う俺がやけに白雨を素直に受け入れているのには理由がある。端的に言えば、白雨が自分の感情を過大評価している。これに尽きる。


 白雨は俺を珍しいと言った。興味があるとも言った。だが、それはあくまで一時的な衝動に過ぎない。


 興味というものは、ある日を境に唐突に退潮することがある。あるいは、俺というつまらない存在を隅々まで把握した時点で飽きが来る可能性もある。感情の起伏が薄い白雨は、その当たり前に気づいていないのだろうが、俺への興味なんてどうせ近いうちに透けて消える。俺はそう見積もっている。


 つまるところ、俺の作戦は白雨を満足させてさっさと飽きられる。ということだ。求められている範囲で必要な情報を与え、それで満腹にさせて関心の矛先を別へ向けさせる。それが一番、後腐れがない。


 そうした考えを頭の中で転がし続けながら、俺はコンビニの敷地に沿って歩幅を整えて店先の方へ視線を滑らせた。夕方の風はビニール袋をくすぐる程度の弱さで、アスファルトの匂いに、自動ドアの開閉が吐き出す冷気が薄く混ざる。駐輪スペースの白線は日焼けで少し掠れていて、その縁に影がひとつ、揺れもせず貼り付いていた。




 白雨だ。




 店の明滅に釣られもしない背筋の通り方が、遠目にも分かる。


 今時スマホにすら触れず、両手を下ろしたまま俺を待つ白雨の立ち姿は、現代の風景から少しだけ浮く。通知に肩を引かれもせず、画面の明かりに顔色を変えもしない。待つという行為を装飾なしで引き受け、時間の質感だけを手の内に留める。その簡素さが物珍しさを連れてくる。


 そうした白雨を視界に収めながら歩みを進め、声が届く射程に入ったところで俺は言葉を投げた。


「待ってたか?」


「ううん」


「⋯⋯」


「⋯⋯」


「そうか」


「うん」


 短い応答の往復で、白雨の方針は大体読めた。白雨は俺の傍にいるという当初の目的に徹するつもりで、余計な会話を投げる気がないらしい。問いが来れば答えるが、自分からは広げない。完全に受け身の構えだ。


 無言の気まずさが額の裏を鈍く締めつけてくるが、だからといってここで立ち尽くしていても何も動かない。とりあえず場所を変えないと、話題も空気も固まったままだ。


「それじゃあ行くか。大体俺が行くのは運動できる場所か、カフェとかの甘い物が食べれる場所だけど」


「へぇ、黒瀬君は甘い物が好きなの?」


「⋯⋯まぁ」


 なんだ?この負の感情は。


 言葉の隙間からつい零れた嗜好が、白雨の掌に握られた気がして、胸の奥が小さく軋む。甘い物が好きだと無意識に口にしたのは俺の不用心の産物だが、俺という情報の欠片がひとつ、白雨側に滑り落ちたという事実が思った以上に"不快"を呼ぶ。


 今し方、俺のことをさっさと知ってもらって諦めてもらう方針で腹を括ったばかりだというのに。俺という存在が白雨の中で少しずつ立体化されていく過程が、どうにも落ち着かない。平面図で渡したかった情報が、勝手に斜投影で起こされていく感覚。輪郭だけのつもりが、陰影が塗られて厚みが出る。


 白雨の中で俺の情報が完成に近づいていくこと。



 それが。



 どうしようもなく。



 堪らなく。



 気に入らない。



「それじゃあカフェに行きたいな」


「! あ、あぁ⋯⋯」


 白雨の返事に俺は形式的な相槌をひとつ返すに留め、進行方向をカフェの方角へ切る。交差点の信号が切り替わるたびに歩幅を微調整しながら、舗道のタイルに足音を置いていく。街の匂いは甘くも苦くもない中立の温度で、俺の思考だけが淡々と熱を持つ。


「⋯⋯」


「⋯⋯」


 カフェに向かう道中、白雨とは何も話さなかった。口の中で言葉が形にならず、舌の奥で砂粒みたいに転がっては消えていく。会話の糸口が見つからない上に、さっき胸に走った感情の残り香がまだ渦を巻いていて、整理の棚にきちんと収める作業が追いついていない。だから、二人分の足音だけがアスファルトの上に均等な拍子を刻んだ。


 そうして歩いていく内に、目当てのカフェに俺たちは到着した。木枠のガラスに午後の光が柔らかく落ち、控えめな黒いチョークボードには本日のブレンドと焼き菓子の名が整然と並ぶ。白い小さな看板に店名、古びた真鍮のドアノブ、植木鉢のオリーブがわずかに風に揺れて、過剰ではない歓迎の気配を店先に留めている。


「ついたぞ」


 扉に手を掛けて押し開けると、肌に触れる温度の層がふっと切り替わる。外気の乾きが背中に遠のき、内側からは焙煎の甘苦さに微かな酸のニュアンスが混じったコーヒーの良い香りが鼻先をくすぐる。そのまま視線を巡らせると、平日の午後らしく客席は半分ほどの入りで、ノートを広げて何かを記す人、パソコンを開いてキーボードを叩く人、窓辺で外の往来をぼんやり眺める人。それぞれが自分だけの静かな半径を作り、音量を互いに侵さない距離感で座っていることに気がついた。


 そして、暫くもしない内にこの店に通っている俺には見覚えのある店員が近づいてくる。制服の襟はきっちり整っていて、会釈の角度もいつも通り。


「いらっしゃ──」


 しかし、定型句を並べようとしたその声は途切れた。喉の手前で音が詰まったのがよく分かる。


 理由は単純。店員の視線が俺の後ろを掬い、白雨にぶつかったからだ。


 白雨の短い白髪は窓辺から差し込む光をほどけさせ、金色の瞳は照明の灯りを受けても濁らない。制服の着こなしにも隙がなく、背筋の線も、歩き方も、頭のてっぺんからつま先までが過不足なく整っている。作為のない完成度は、目に入った者の思考を一瞬だけ奪う。


「あ、す、すみません!い、いらっしゃいませ!空いている席にどうぞ」


「⋯⋯どうも」


 店員からの案内を受けた俺は人目が少なそうな奥側の席に向かう。壁際のテーブル席なら通路の視線は流れていくし、出入り口の喧騒も届きにくい。余計な注目を避けるには、こういう場所がちょうどいい。


 その席に向かう途中も白雨は周りの視線を独占していた。他の客は露骨に首を傾けたりはしないが、会話の合間に言葉が途切れる瞬間や、カップをソーサーへ戻す刹那に、静かに白雨へ焦点を合わせる。キッチンの影からもエスプレッソの抽出を見守る手持ち無沙汰な時間に、気づかれない角度で覗き見る試みが増える。


 しかし、そんな動きは白雨に筒抜けだ。俺が見ても容易に察せられるほど分かりやすいのだから、白雨の視野から零れるはずがない。


 ただ、白雨にとってはこれが日常風景なのか、周りからの注目に全く動じていなかった。歩幅は常に一定で、背筋は緊張も弛緩もしない。肩も指先も余計な情報を帯びることはなく、表情は静かな無表情を保つ。視線の波が寄せても、水紋ひとつすら生まれない。


 そういう平坦さこそが逆説的に目を離せなくするのだと俺は思ったが、無駄な考えだな。



 そうしてテーブル席に腰を沈めて、店員が水とおしぼりをそっと並べる一連の所作を見届けたあと、俺は卓上に伏せてあったメニュー表へ手を伸ばす。


「先に見るか?」


「ううん、もう決めてるから」


 言葉尻に引っかかるものを感じたが、深堀るほどの話でもない。恐らくは入口のチョークボードに書かれたおすすめをそのまま採用するつもりなのだろう。合理的で、そして味気ない選択だが、白雨らしくはある。


 だから俺は白雨の存在を一旦無視して、メニュー表を開いた。ページをめくる指先に伝わるのは、コート紙特有のつるりとした感触。しかし、メニューに並ぶ品は見慣れた定番ばかりで、新鮮な驚きはない。


 結局俺はいつものアイスラテに落ち着き、さらに夕食へ影響が出ない程度の、小ぶりなシフォンケーキをさっさと選んだ。甘さは欲しいが、胃袋の配分は崩したくない。そういう折り合いだ。


「すみません」


「はーい」


 軽く手を上げると、店員は明るい足取りで反応した。目の焦点が一瞬だけ白雨に吸い寄せられ、次いで接客の笑顔へ戻るのが分かる。


「先に頼んでいいよ」


 白雨からの促しを素直に受け取り、俺は口を開いて、必要事項だけを滑らせる。


「アイスのラテとシフォンケーキをお願いします」


「はい、かしこまりました」


「私も同じものをお願いします」


「!」


 肩が小さく跳ねて、視線が白雨に吸い寄せられる。俺の選択をそのまま真似された事実に、筋の細い苛立ちが立ち上がる。同調は時に親切に見えるが、今は俺の領域に無断で足跡を刻まれた、無神経な感覚に近い。


「おい、なんで俺と同じものを頼むんだよ」


「黒瀬君の好みが知りたかったから」


 店員が一礼して離れていったのを見届けてから問いただすと、白雨は無機質な声でそう返した。言葉以上の色合いはなく、透明な理由だけがテーブルに置かれる。


「それに、私は飲みたい物も食べたい物も特にないよ。だからなんでもよかった」


「はぁ?だったらそもそもカフェに来る必要なかっただろ」


 カフェを選んだのは白雨自身の意思で、俺が強制した覚えはない。


 その無関心さを理由にこの場所の価値を"無"に寄せるのは、どうにも腑に落ちない。自分で選んだのなら、そこに少しは色が乗っていてほしい。



 というのは、俺の勝手な期待なのか?



「同じだよ。食事をする場所を選んでも、運動をする場所を選んでも、結果は変わらない。何を選んでも私にはやりたいことなんてないから"必要"で決めることなんてない。黒瀬君の傍にいること以外は、何もね」


 白雨には、この世界が無色透明に見えているのかもしれない。色味のすべてが薄く拡散して、輪郭だけが研がれたガラス片みたいに整っている。騒がしさも華やかさも、白雨の視界では澄んだ水音のように遠のいていき、残るのは必要最低限の輪郭だけ。彩度を落とした風景の中で、白雨はただ静かに呼吸をする。


 その瞳は、何に対しても関心を失っている。だから興奮の火は点かないし、楽しさの泡も立たない。そして物事は、感情や損得といった実利で選び取られることもない。白雨の判断は、秤に埃ひとつ落とさないまま、揺れない指針だけで決まっていく。


 その指針が指し示すのは────俺。


 唯一の指針は俺だけ。


 旧校舎の片隅で偶然出会って、何かが琴線に触れた俺への興味だけ。偶然の角が白雨の感覚に引っかかった、それだけの話だ。必然でも運命でもない。ただの接触で生じた微細な音を、白雨は珍しがって聴いている。俺はその音の出どころとして、しばらく観察台に乗せられているに過ぎない。


 そんな異端な判断基準を前に、俺の中で異物感が顔を出す。靴の中に紛れた小石みたいに、歩くたびに存在を主張してくる不快な感覚。


 馴染まないものは、どうやっても馴染まない。


「⋯⋯白雨さんは疲れてるのか?」


「どうしてそう思うの?」


「いや、別に」


 こいつとは絶対に相容れないと俺は思った。



 水と油、炎と氷、月と太陽、俺と白雨。



 白雨とは交わることがない。相性の問題じゃない。軌道が根本から別の空を回っている、そういう種類の隔たりだ。


「⋯⋯」


 いや、だめだな。これ以上白雨の内面を測ろうとする考えを巡らせても意味がない。やめにしよう。推測は推測を呼ぶだけで、結論は薄まる。余計な感想の芽を摘み、目の前の用件だけをテーブルに残す。


 気持ちを切り替えるのも兼ねて、俺は二人分のアイスラテとシフォンケーキが運ばれる間に、気になっていた問いを投げることにした。


「前に白雨さんは言ったよな、好きにさせて欲しいって」


「うん」


「だったら、仮の話だけどいつか俺のことを好きになれたとして、その後はどうする気なんだよ」


 そうだ、その先が分からない。仮に白雨が俺に好意を抱けたとして、そこからどこに歩みを進めるのかが不透明だ。


 分からない。分からないから、俺は聞いた。推測で埋めるより、白雨の口から定義してもらった方が早い。


 すると、白雨は艶のある唇を緩やかにほどいた。ほんの少しだけ喉の奥に熱を灯して、ことさら無駄のない動作で言葉を零す。




「恋がしたい」


「⋯⋯は?」




 出会ってから初めて、白雨の何かが揺れたことに気がついた。


 白雨が初めて、声色を変えた。ほとんど無機質から変わらなくても、それでもほんの少しだけ声に温度が乗った。


「こ、恋って⋯⋯具体的になんなんだよ」


「お互いが好きになって、それから恋人関係になることじゃないかな」


「そういう一般的な定義を聞いてるんじゃない!⋯⋯あ」


 自分の声が思ったより高く跳ねて、店内の空気にさざ波を立てたのが分かった。カップ同士が触れ合う微かな音や、ミルの低い唸りが流れる静けさの中で、俺の語気だけが浮いている。視線がいくつかこちらに触れて、それが頬を刺す。


 俺は深く息を吸って、胸の熱を一段落とし、喉元で声量を絞る。店という密度のある箱の中では、言葉の音量もまた調整が要る。


「はぁ、つまりあれか?白雨さんは俺と付き合うつもりなのか?」


「そのつもりだよ」


 今の確認はもう限りなく告白に近いものだった。けれど、白雨は少しも身じろぎせず、湿度のない声で肯定を置く。頬が赤らむことも、視線が泳ぐこともない。金色の瞳は水面のように澄んで、俺の顔を静かに映すだけだ。


「変な希望を持たせたくないから優しさで先に言っとくけどな。俺がお前と付き合うことなんてないぞ」


「うん、"知ってるよ"」


 その物言いにまた引っ掛かる。白雨は知っていると断言した。


 知っている?何を?どの程度だ?


 俺たちは出会ったばかりだというのに、短絡的な理解の形を綺麗に切り出して、さも全体像のように掲げてくるのがまた癇に障る。


 俺のことはそんなに簡単に読めるのかと反射的に腹が立つ。


「俺の何を────」


「知ってるよ、黒瀬君が私のことをどう思っているかくらい。だから私が先に君のことを好きになりたい。好きになって、それから私のことを好きにさせる」


 白雨は恋愛に疎い。俺よりもさらに不器用で、色気の演出なんてひとつも持ち合わせていない。なのに、告白は告白として成立している。惚気の予感も余韻もなく、ただ宣言だけがテーブルの中心に置かれた。飾りを嫌う書体の見出しみたいに、読むしかない文面。理屈の骨格がむき出しで、感情の肉付けは後回しらしい。


「そんなの⋯⋯」


「黒瀬君」


 遮るように名前が呼ばれて、舌の先で整えていた反論が霧散した。


「なんだよ」


「私のこと、さん付けだけじゃなくて"お前"って呼ぶこともあるんだね」


「⋯⋯気にでも障ったか」


「そんなことないよ。ただ、さん付け以外の呼び方って案外耳に残るんだね」


 至極どうでもいい、呼び方の話題で会話の熱が意図的に下げられると、不自然なほどに良いタイミングで店員が現れた。注文していたアイスラテとシフォンケーキがテーブルに置かれ、氷の触れ合う小さな音、冷えたグラスに生まれる薄い水滴、フォークの銀が照明を拾って瞬く。その一連の所作に、会話の角はたやすく丸められる。


 呼び方の話題が時間稼ぎなのは分かっている。白雨がわざと緩い話を持ちかけて、俺の動揺を冷ましたのも分かっている。それでも、もう蒸し返す気力は残っていなかった。ストローを氷の間に差し込む音が、思考の端を撫でていく。


 今日の放課後だけで、俺は白雨に対して充分すぎるほど疲れた。それなのに、ここから先も俺はこの調子で白雨に付き纏われるのか。


「はぁ⋯⋯」


 暗いため息が漏れた。


 グラスの表面に集まる水滴が、ひと粒ずつ落ちて輪を作る。その薄い円が広がるたび、面倒だという感情だけが静かに増えていった。

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