第5話 屋敷の地下と沈黙する影
朝の光が差し込む貴族屋敷の食堂。
銀のカトラリーがきらりと光り、香ばしいパンの匂いが漂っていた。
――が、俺の胃は全く落ち着かない。
「……なんでまだこの屋敷にいるんだ俺」
昨夜の婚約騒動。あの修羅場。あれを経て、普通なら「じゃあ帰ります」って言える流れだったはず。
でも気づけば、俺はまだここ。
ミリア様の「泊まっていって」と、リサとセレナの「監視のために私たちも泊まるわ」というW圧力に負けた結果だ。
「悠真くん、パンもう一枚どう?」
「ありがとう。でも食欲はもう誤解で満たされてる」
苦笑するリサの隣で、セレナがコーヒーを口に含みながらぼそっと言う。
「昨夜の件、忘れてないから」
「わ、わかってる! 俺だってトラウマだから!」
ミリアはというと、まるで何事もなかったかのように微笑んでいる。
「昨日は騒がしくてごめんなさいね。お父様、すぐに冗談を言うから」
(あの冗談、笑えないレベルだったけど!?)
俺が心の中でツッコミを入れていると、部屋の端でメイドたちがひそひそと話す声が耳に入った。
「地下倉庫の鍵、また変わってましたわよね?」
「ええ、昨日も夜中に物音がして……気味が悪いですわ」
――ん?
俺のフォークが止まる。
地下? 鍵が変わった? それ、完全にフラグじゃないか。
「悠真? どうしたの?」
「いや、なんか……“婚約”より怖いワード聞こえた気がして」
ミリアが一瞬だけ、瞳を揺らした。
その反応が妙に引っかかる。
昼過ぎ。
中庭を散歩していた俺のもとに、ミリアがひょいと現れた。
「――悠真、ちょっといい?」
「うおっ!? 心臓止まるかと思った!」
「ふふ、ごめんなさい。ちょっと話があるの。……ここじゃ人が多いから、温室へ」
彼女に案内され、花の香りに包まれた温室へ入る。
ガラス越しの光が彼女の髪を透かして、まるで絵画のようだった。
……って、いやいや! 見惚れてる場合じゃない。
「それで、話って?」
ミリアの表情が一瞬で引き締まる。
普段の柔らかい笑顔とは違う、鋭い瞳。
「約束、覚えてる? “今夜、地下へ行く”って言ったでしょう?」
「……マジだったの!? あれ冗談かと思ってた!」
「冗談じゃないわ。お父様の屋敷、何かおかしいの。
ここ数日、夜になると誰かが“地下”に出入りしてる。
しかも――お父様の鍵じゃ開かない扉があるの」
「……つまり、“裏鍵”を持つ誰かがいるってことか」
俺の口から自然と探偵っぽいセリフが出た。
自分でも驚く。
「そう。だから今夜、確かめたいの。……でも一人じゃ怖くて」
「……ああ、なるほど。俺が同行するわけね」
「ふふ、あなた、“誤解される体質”でしょ? きっと誤解で切り抜けられるわ」
「いや、その能力いらねぇから!」
彼女の笑顔に押され、俺はしぶしぶ頷いた。
「……わかった。夜な夜な地下、な。ホラー映画だったら全滅コースだけど、まぁ行くよ」
夕暮れ時。
俺とミリアは屋敷内をそれとなく歩き、地下への手がかりを探していた。
「たぶん、父の執務室の近くに“隠し階段”があるはずなの」
「いやその情報、もっと早く共有して!?」
言いながら資料室に潜り込み、古い設計図を探す。
紙の匂い、微かな埃。静かすぎて心臓の音がうるさい。
――が、その静寂をぶち壊す声が聞こえた。
「ねぇセレナ、あれ見て。ミリアさんと悠真くん、二人でこそこそ……!」
「やっぱり婚約話、続いてるのね」
リサとセレナ!? なんで尾行してんだお前ら!?
俺は咄嗟に資料棚の陰に隠れた。
ミリアはというと、少し困ったように笑っている。
「ふふ、人気者ね」
「いや誤解の人気っていらないから!」
物音を立てないように図面をめくると、古い設計図に赤い印があった。
“西棟裏階段(封鎖済)”
「……あった」
俺とミリアは顔を見合わせる。
そして――夜。
月が屋敷の外壁を照らす中、俺たちは静かに地下への扉を開けた。
「……冷たいな」
ひんやりとした空気が流れ込み、蝋燭の火がわずかに揺れる。
足音を殺して階段を降りると、石壁に湿気が滲み、どこからか水滴の音が響いていた。
「本当に……誰かが出入りしてるのか?」
「ええ。夜な夜な、物を引きずる音が聞こえるの」
その言葉に合わせたかのように――
“ガラガラ……ギィィ”と、奥から何かを引きずる音がした。
「っ!? 本当に聞こえた!」
「……誰かいる!」
俺は反射的にミリアの手を掴んだ。
冷たいけど、確かにそこに命の温もりがある。
通路の奥に進むと、小さな扉があった。
鍵穴は新しく、誰かが最近付け替えたようだ。
ミリアが持っていた合鍵を差し込む。
カチャ、と音がして扉が開く。
中は――ほこりっぽい部屋だった。
古い木箱、壊れた祭壇、そして……赤黒く染まった布。
「これ……血、じゃないよな……?」
「わからない。でも、紋章が刻まれてる」
ミリアが指差す。布の中心には、翼を持つ剣の紋章。
どこかで見た気がする。いや――祭りのときの英雄像と、同じだ。
「この屋敷、ただの貴族の家じゃない……?」
その瞬間――。
“ギィィィ……バタン!”
扉が閉まった。
「ちょっ!? 閉まった!? おい誰か――!」
「鍵が……外から!?」
暗闇の中、ミリアの肩越しにランタンの光が揺れる。
息が触れ合うほど近い。緊張と恐怖で喉が乾いた。
「落ち着いて。……誰か来る」
足音が近づく。ゆっくり、確実に。
やがてランタンの光がもう一つ現れた。
「……誰だ、ここに入ったのは」
その声に、ミリアが息を呑む。
「お父様……!?」
ランタンを掲げて立っていたのはヴァレン村長。
しかしその顔は、昨夜の温和な笑顔ではなかった。
瞳は虚ろで、口元がわずかに震えている。
「ここは……誰にも見せてはいけない場所だ」
「お父様、これはいったい――」
「ミリア、なぜ約束を破った……?」
冷たい声。
まるで別人のようだった。
「悠真、下がって」
「いや待って、俺、ただの一般人だから!」
ミリアが一歩踏み出すと、父は一瞬ためらい――
そして低く呟いた。
「……封印を、見られてしまったな」
「封印……?」
「この地下には、かつての“英雄”の記録が眠っている。
だが、真実を知る者はもういない方がいい」
――その言葉の重さに、俺は息を詰めた。
ミリアが悲しげに首を振る。
「お父様、そんなこと……!」
「帰りなさい、ミリア。君まで巻き込みたくない」
ヴァレンの声は苦しげだった。
俺には、彼が“何かを守ろうとしている”ように見えた。
どれくらい時間が経ったのか。
俺たちは地下からなんとか脱出し、庭園に出たころには夜明けが近づいていた。
「……お父様は、何を隠してるの?」
ミリアがぽつりと呟く。
夜明けの光がその横顔を照らして、儚げに見えた。
「少なくとも、“英雄”ってやつの真実は、俺が誤解されてるのより数倍ヤバそうだな」
「ふふ、誤解されるのも才能かもね」
「いや今の状況で笑えるの君だけだよ!?」
そんな軽口を交わしていたその時――
「――悠真くんっ!!」
派手なドア音とともに、リサとセレナが飛び出してきた。
「ミリアさんと夜中に!?」
「説明してもらおうか、悠真」
うわぁ……よりによって今!?
「違う! 誤解だ! 今度のは本当に誤解なんだって!」
「誤解って言葉、何回目?」(セレナ)
「まぁ、今のタイミングで“夜中に一緒”はアウトだよねぇ」(リサ)
「神様……俺の人生、誤解で構成されてません!?」
そんな俺の叫びもむなしく、二人はじりじりと詰め寄る。
ミリアは苦笑しながら口を押さえていた。
そして――
“ガチャリ”
背後の地下扉が、誰も触れていないのに小さく音を立てた。
振り返った瞬間、冷たい風が吹き抜ける。
地下の奥から、微かに誰かの影が動いた気がした。
「……今の、聞こえた?」
「ええ。けど、誰もいじってないはずよ」(セレナ)
「まさか……まだ誰か中に?」
俺はそっと息を呑んだ。
空が白み始め、屋敷の塔の上に朝日が差し込む。
――屋敷の“沈黙する影”は、まだ目を覚ましきっていなかった。
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