声なき祭りの秘匿

をはち

声なき祭りの秘匿

第一章:霧の鳥居


秋の終わりの冷たい風が、木々の葉を震わせていた。


羽瀬宏樹は、背負ったリュックに地質学の調査道具を詰め、山奥を歩いていた。


大学の研究室からの依頼で、奥多摩の未踏地域の岩石を調査しに来たのだ。


だが、予定していたルートを外れ、GPSは圏外を示し、携帯の電波も途切れていた。


薄暗い森の奥、霧が立ち込める谷間に迷い込んだ彼は、朽ちかけた鳥居を見つけた。


鳥居は苔に覆われ、まるで何百年もそこに佇んでいるかのようだった。


赤い漆は剥がれ、木の表面はひび割れていたが、不思議な威厳を放っていた。


その先に続く石畳は、湿った苔に埋もれ、足音を吸い込むように静かだった。


宏樹は、好奇心と不安が入り混じる中、鳥居をくぐった。


石畳の先には、粗末な木造の家々が点在する集落が現れた。


地図にも記録にもない、名も知れぬ村だった。


家々の窓は閉ざされ、煙突からは煙が上がっていない。


まるで村全体が息を潜めているかのようだった。


宏樹は背筋に冷たいものを感じながら、村の中心へ向かった。


広場に辿り着くと、12の木箱が円形に並べられていた。


古びた木箱には、異様な仮面の彫刻が施されていた。


12枚の仮面は、それぞれ異なる表情を浮かべ、まるで生きているかのように宏樹を見つめていた。


目が合った瞬間、胸の奥に言い知れぬ恐怖が広がった。


広場の周囲には、松明を持った村人たちが集まり始めていた。


彼らはみな仮面を被り、誰も声を上げなかった。


松明の炎が揺らめく中、彼らの動きは滑らかで、まるで舞踏のように統制されていた。


だが、仮面の隙間から覗く口元は、不自然に閉じられていた。


まるで、唇が縫い合わされたかのように。


祭りが始まった。


村人たちは一斉に木箱に手を伸ばし、仮面を取り出した。


宏樹は物陰に隠れ、息を殺して見守った。


仮面を被った者たちは、中央の石碑に集まり、身振りで何かを語り合っているようだった。


声は聞こえない。


代わりに、低いうなり音が風に乗って宏樹の耳に響いた。


それは、助けを求める声か、それとも呪詛か。背筋に冷たいものが走った。




第二章:声を奪う神


宏樹は、村の外れにある古い祠に逃げ込んだ。


祭りの不気味な空気から離れ、頭を整理したかった。


祠の中は薄暗く、埃と黴の匂いが漂っていた。


床に落ちていた煤けた巻物を見つけ、彼はそれを手に取った。


そこには、村の伝承が記されていた。


数百年前、結城晴朝という武将がこの地に莫大な埋蔵金を隠した。


外部に漏らす者を排除するため、村人たちの舌を焼き、声を奪ったという。


以来、村は“声を奪う神”を祀り、毎年「声なき祭り」でその神に捧げものをする。


捧げものは、声。声を失った者は、二度と話すことができない。


巻物にはさらに、12枚の仮面に埋蔵金の在処が刻まれていると書かれていた。


6枚の仮面に分断された地図が、結城家の子孫にのみその秘密を明かす。


だが、仮面の所持者は毎年変わり、祭りの後、誰が仮面を持っているのかは誰も知らない。


祭りで飲まされる苦汁は、声を潰し、高揚感から秘密を漏らすことを防ぐ。


仮面の所持者は、数ヶ月間、声を発することができないのだ。


祠の奥で、宏樹はもう一つの記述を見つけた。


「晴朝の面を被る者、掟を破る者を裁く」


その言葉が脳裏に焼き付いた瞬間、背後でかすかな足音が響いた。


振り返ったが、誰もいない。だが、確かに聞こえた。助けを求めるような、かすれた声が。


「ここから…出して…」


宏樹の心臓が激しく鼓動した。祠の外では、祭りのうなり音が遠く響いていた。


彼は巻物を握りしめ、闇の中を走り出した。





第三章:祭りの後に残るもの


その夜、宏樹は再び広場に忍び込んだ。


仮面を被った村人たちが、円形に並び、奇妙な舞を舞っていた。


中央には、晴朝の面を被った者が立っていた。その姿は、他の村人とは異なり、威圧感に満ちていた。


仮面の奥の目は、まるで闇そのものを宿しているようだった。


突然、舞が止まった。


晴朝の面を被った者が、一人の村人を指さした。


指された者は震え、仮面の奥で目を見開いた。


次の瞬間、闇の中から鋭い刃が閃き、指された者は地面に崩れ落ちた。


血が石畳に広がり、松明の光を赤く染めた。


祭りが終わり、村人たちが去った後、広場には“何か”が残されていた。


人間の形をしているが、肉は無残に引き裂かれ、血と骨が混ざり合った異形の塊。


その上に、仮面だけが置かれていた。


宏樹は吐き気を抑えながら近づいた。


仮面の内側には、血で濡れた文字が刻まれていた。


「口は災いの元」


宏樹の足が震えた。この村は、声を奪うだけでなく、掟を破った者を容赦なく排除する。


晴朝の面を被った者は、裁き手なのだ。


彼は広場を離れ、村の外へ逃げようとしたが、霧が濃く、道はどこまでも同じ場所に彼を導いた。





第四章:消えた記録


翌日、宏樹は村の記録を探そうと試みた。微弱ながらネットに接続できる場所を見つけ出し、


村の手がかりを求めてはみたが、村の存在を示すものは何もなかった。


図書館も、その手の掲示板も、この集落の痕跡を一切残していない。


まるで、村そのものがこの世から消されているかのようだった。


彼は自分の記憶にも異変を感じ始めた。


なぜこの山に来たのか、家族の顔さえ曖昧になっていく。研究室の教授の声、恋人の笑顔、すべてが霧の向こうに溶けていくようだった。


ある夜、彼は部屋で目を覚ました。


誰もいないはずの部屋で、囁くような声が響いた。


「助けて…ここから出して…」


声は彼の頭の中に直接響いているようだった。


恐怖に駆られ、宏樹は部屋を飛び出した。


だが、振り返ると、窓の外に晴朝の面を被った影が立っていた。


仮面の奥の目は、彼をじっと見つめていた。


宏樹は叫ぼうとしたが、喉が締め付けられるように痛んだ。声が出なかった。


彼は自分の喉に手を当て、冷や汗が背中を伝うのを感じた。


祭りの苦汁を、知らずに飲んでいたのだ。




第五章:声なき者の真実


宏樹は決意した。


村の秘密を暴き、この呪われた場所から脱出する。


彼は祭りに潜入する計画を立て、村人に紛れ込むため、仮面を被った。


12の箱から仮面を選ぶ瞬間、彼の手にした仮面には、奇妙な紋様が刻まれていた。


それは、埋蔵金の地図の一部だった。だが、仮面を手に持った瞬間、喉に焼けるような痛みが走った。


祭りの苦汁が、彼の声を奪っていた。


祭りが進む中、晴朝の面を被った者が宏樹を指さした。村人たちの視線が一斉に彼に集まった。


逃げようとしたが、足は動かなかった。


刃が振り下ろされる直前、宏樹は仮面を投げ捨て、広場を駆け出した。


村人たちの無言の追跡が背後に迫る中、彼は森の奥へ、霧の中へと突き進んだ。




終章:霧の彼方


翌朝、宏樹は山のふもとで目を覚ました。


村の痕跡はどこにもなかった。


鳥居も、集落も、すべてが消えていた。


彼の喉はまだ痛み、声は出なかった。


手に握られていたのは、あの仮面。


内側には、血で書かれた一文。


「声を奪われた者は、永遠に村に縛られる」


都市に戻った宏樹は、誰にも話を信じてもらえなかった。


医師は原因不明の喉の損傷と診断し、精神科では“解離性障害”とされた。


彼は孤独の中で仮面を見つめ続けた。


ある日、差出人不明の手紙が届いた。中には、血で書かれた短い文。


「次の祭りは、都市で始まる」


その夜、耳元で囁く声が響いた。


「お前の声は、次の者に渡された」――と。


翌朝、部屋の窓辺に、12枚の仮面が並べられていた。


中央には、晴朝の面。


そして、都市の片隅で、誰にも知られずに“声なき祭り”が始まった――。


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