第5話 最近いーんちょ、エロいよ

 調教に満悦していた矢先、陽凪ひなぎさんに呼び出された。ギャルに校舎裏に呼び出されるというのはとても心臓に悪い。


巧兎たくとのことなんだけど」


 二の句を待ったがなかなか出てこない。オーバーサイズのカーディガンから出た指先同士が絡んだりほどけたりと忙しない。俯いた陽凪ひなぎさんを覗き込もうとしたら、顔が上がる。


「やっぱりいーんちょって巧兎たくとのこと好きなんじゃねって思って!」

「なんで?」

「だって、いーんちょ、密会してたじゃん。それに、連絡先も交換してるべ?」


 見られていたのか。かなり周りに気を払っていたけれど、気付けなかった。


「確かにお話しすることが増えたよ。でも、好きとかじゃないかな」

「そ、そんなんじゃ騙されねえぞ!」


 彼女は小麦色の頬を赤く染めながら指先をこちらに向けた。


「この間、ウチが帰ったあと、なんか二人でいい感じってーか……あんな巧兎たくとの気持ちよさそうな顔見たことなかったんだからな! あとなんか最近いーんちょ、エロいよ!」

「エ、エロ!?」


 まさかそんな風に思われていたとは。わたしの学級委員長としての沽券こけんに——じゃなくてSMを見られていた!?

 なんと言い訳したものか。いやその前に、このやり取りおかしくない?


「質問に答える前に一個だけ先に質問させて」


 予想が外れていてくれと心中で懇願しながら感じた疑問をぶつける。


折乃おりのくんのこと、好きなの?」


 言われた彼女の顔は一気に赤く染まった。


「わっ、わりぃかよ!」


 視線を逸らして吐き捨てるように言った。


「キモオタって言ってたじゃない」

「それはそう。最初はあいつのこと嫌いだった。でも、あいつはウチがなにを言っても受け入れてくれた。それこそキモイって直接言っても笑ってくれたんだ。わかってるよ。あいつが無理してるってさ。ウチのために取り繕ってるって。でも、それが心地よくて甘えてた。ウチ、ワガママだし空気読めねえから、仲間内でも浮くことがあってさ。場をシラケさせたことも何回かあった。だから、思ってることをあんま言えなくなっちまって……、でも、あいつの前ではなんでも話せて……」


 想像を絶するほど好きやん! なら最初から付き合っといてよ! え、なにこれ。どういうこと? わたしは両片思いの二人の恋路を邪魔していただけの図々しいモブってこと?


「ちょっかい出すたびにかわいいなって思って。それでついつい意地悪しちゃって、でも全部受け入れてくれて、どこまで受け入れられるんだろうって試すようになっちゃって……ある日、そんなことしてるウチって、巧兎たくとのこと好きなんだって気付いたんだ。でもなかなか言えなくて。だから気付いてほしくて、名前で呼んでいいって言ったんだ。特別だぞって」


 確かにわたしは名前で呼んでいいって言われたことなかった。


「でも、折乃おりのくんの髪を掴んでいたよね。怯えているように見えたんだけど」

「あいつのこと触りたくて、つい」


 好きな子にイタズラする小学生男子かお前はぁああ!!


「ほら、ちゃんと答えたぞ。ウチは巧兎たくとのことが好き。いーんちょはどうなんだよ」

「うーん」


 と唸ってしまうほど考えた。努力して築き上げたSM関係。トロトロの顔で嬉しがる折乃おりのくん。あの愛おしさと言ったらない。だがそれらはあくまでも彼が青春を謳歌するための礎を築き上げる過程で起きた出来事だ。


「恋愛感情はないよ」

「ま?」

「ま」


 彼女はホッとした表情になり、「あざー」と言い残してどこかに行ってしまった。

 わたしはそのまま、高い空を見上げていた。






 彼女らが付き合うまで、時間は掛からなかった。

 陽凪ひなぎさん曰く、折乃おりのくんと付き合うと周りの友達が離れて行ってしまうのではないかと言う恐怖があったのだという。けれどもそれより、わたしに折乃おりのくんを持っていかれてしまう恐怖の方が勝ったと言っていた。彼女はとても正直なので、聞けばすべて話してくれた。

 話していくうち、陽凪ひなぎさんと仲良くなり、今では誰よりもお話しする相手になっている。恋人同士になってからは、いじめのようなことはもうしていないらしい。良かった。これで折乃おりのくんも高校生として真っ当な青春を謳歌できるのだ。


「そんでこの前デートしたときにさー、ゴム買って来いよって言ったのにあいつ——」

「あっ、ごめん! お母さんにお使い頼まれてたの忘れてた! またね!」


 席から立ち上がって足早に教室を出た。

 彼女とのお喋りは楽しい。空気が読めないと言っていたけれど、正直なだけだ。嘘偽りのない彼女はとても清々しかった。けれども折乃おりのくんとの話はどうしても聞いてあげることができなかった。心の奥底がざわついてしまってダメなのだ。わたしが開墾した、わたしだけが知っている彼が侵されていくようで。


 走っていくうちにどんどんと視界は歪んでぼやけていった。

 無人改札を抜け、階段を駆け上がる。巻き付くスカートにも構わずに。


 自分に言い聞かせる。折乃おりのくんは青春しているのだから、いいではないかと。わたしはその立役者になれたのだ。望むところだったはずだ。お姉ちゃんがお客さんに恋をしないように、わたしが彼を好きになることはない。あくまでも学級委員長として、一生徒を更生に導いただけだ。


 跨線橋こせんきょうを渡り、駆け降り、力尽きるようにベンチに座った。


 いや、そうではない。彼が青春を謳歌しているのは、間違いなく彼自身の力によるものだ。だって陽凪ひなぎさんはわたしが行動する前から折乃おりのくんに惚れていた。遅かれ早かれ二人は付き合ったに違いない。わたしは、ただ、折乃おりのくんとSMを楽しんだだけなのだ。結局なんの役にも立たなかった。だったら初めから無かったようなもの。じゃあ、どうして——


「こんなにもつらいの……」


 呟いても一人。

 そう思っていた。


「大丈夫? 禾女井のぎめいさん」


 わたしを呼ぶ声に、涙が堰を切って溢れ出す。


「全部あなたのせいなんだから!」


 そう言ってわたしは目の前にいた声の主に飛び掛かり腕を回し抱き着いた。この涙の犯人、折乃おりのくんに。


 彼は一瞬驚いたように身を強張らせたけれど、すぐに落ち着いた様子で脱力した。わたしはわたしの涙にいっぱいいっぱいで、とにかく泣くしかなかった。降りしきる涙も垂れる鼻水も劈く泣き声も、彼は全部受け止めてくれた。SMのときにはなかった頼もしさとぬくもりを感じられた。

 散々泣き尽くしても、彼は困った顔なんかしないで笑顔でいてくれた。きっと取り繕った笑顔だ。本当のところ、絶対に戸惑っていたはずだ。わかっていた。けれども、それでも、ありがたかった。引き攣れた声しか出ないけれど、わたしは「ありがとう」と小さく呟いた。

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