落下

@bunbunguma

落下

 疲れたよ。おれはとても疲れたんだ。

 必死に生きることにじゃない。必死じゃないのに生き続けることに何より疲れた。


 もう死ぬよ。おれは死ぬ。死んでこの世のいらないものを、ぱっと折りたたんで消してやる。オイルに浸して燃やしてやる。ぐしゃぐしゃに潰してやる。だから最後に、誰でもいい、おれを評価してはくれまいか。


 人生マニュアルにはこう書いてある。一つ、人に親切にしなさい。二つ、たくさん努力なさい。三つ、時間を大切になさい。

 なんということだろう!ものの見事に道から外れている。

 困っている人がいたら助けるのが道徳的な正しさであると、学校ではそう教わった。あるいは、善行を積めば天国に行けると、父親にそう教わった。

 だがおれは、善行も優しさも人に与えた覚えがこれっぽっちもない。人が困っていたら見過ごした。誰かが泣いていたら素知らぬ顔で横を歩いた。近くで悲劇が起こったら、やはり見て見ぬふりをした。

 自分にとって利のないことを、わざわざするなんて馬鹿らしい。そう思ってはいたのだが、よくよく考えてもみれば、深い理由があるわけでもなかった。

 それが道徳的正しさと知っていたのに、さした理由もなくおれはそれを無視した。なぜだ。お前は人になりきれたかった肉塊なのかはたまた単なるグズなのか。


 何かに必死に取り組んだ経験は?何かを最後までやり遂げたことは?おれにはやっぱり一度もない。色んなことをやってはみるが、全て途中で辞めてしまった。一つとして長続きはしなかった。

 幼い頃は、自分が特別な人間なのだと信じていた。挫折がおれに失望を与えて、それを否定するにはやはり、おれは特別な人間なのだと信じる必要があった。挫折の度にそんなことを繰り返すので、鎖がようやく解けたのは新たな挑戦が出来ないほど落ちぶれてからだった。


 がららと美徳が崩れていって、ぱりんと自尊心が割れた。いつしかおれという人格は、マトリョーシカの一番最後の小さな一体に押し込められていた。その他の何層に重なったマトリョーシカは見た目だけの無機質な殻だ。


 生きることに浮遊感を覚え始めたのはいつからか。雲の上にあぐらをかいて座っているおれがいて、地上のろくでもない人間を眺めていた。

 そいつは気づけば二十になり、すでにタバコも酒も、マリファナすら嗜んでいた。おまけに全部流されるがままに口にしていたのだから救いようがない。

 実に無価値な生き方だったと我ながら思う。他の人に聞いてみたいが、お前は自分の人生と生き方に価値を与えてやれたか?順風満帆に暮らして、何かに情熱を捧げて、ああなんといい人生だろうと笑えるか?人生を無駄にしていないと親に誓ってそういえるかね。


 人間らしくとはなんだろうか。少なくとも、自分で考えて行動出来ぬ獣は猿や畜生よりたちが悪いよな。おれは時間を食いつぶす葉虫だった。

 なあ母さん、あんたからもらった二十年を、おれはドブに捨てちまったよ!

 なあ父さん、俺の人生の正しさってなんなんだ。いい加減答え合わせをしてくれ!


 実際素晴らしい国だ。こんな虫にも人権を与えてくれるのだから。生きる権利があるのなら、それを捨てるのも人の自由だ。

 ご照覧あれ!おれは地上から錆びた釘を引き抜いて、地獄にめいっぱい打ってやる。死ぬには努力が必要だ。 

 ぐしゃっ!

 はい。さようなら。おれは頑張った。誰かおれをほめてくれ。ほら、ほら。

 ………

 ………

 ………

 そりゃあ、無理な話でしょうね。

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