第五章 第五話
遠足の最初、菜摘がわたしと彩花の間に割り込んできた瞬間、わたしは絶望した。彩花は菜摘を拒絶しなかったため、わたしは、その後の自由行動のほとんどを、菜摘の背中越しに彩花の横顔を眺めながら過ごすことになった。
しかし、わたしにとって幸いなことに、菜摘は次の日からは寄ってこなくなる。
遠足から戻り、再び学校生活が始まると、菜摘はまた、教室の隅で、誰とも話さずにいる迷子の女の子に戻っていた。わたしは、そのことに安心した。
「やっぱり、菜摘はたまたまよってきただけだったんだ」
わたしは、心の中で勝利を確信した。菜摘は、特例校の生徒らしい「関わりたいけれど、関わり方が分からない」という不器用さを持っていただけで、彩花という「光」に飽きたか、あるいは、わたしと彩花の「強固な二人組」に遠慮したのだろう。
そう考えると、菜摘は、まだ良い方だ。一時的な脅威ではあったけれど、長く続くものではなかったから。
わたしは、再び彩花という「普通」の象徴を独占できる喜びを噛みしめ、「このまま中学二年生を乗り切れば、もう大丈夫」だと、安心し始めていた。
しかし、わたしの「運の悪さ」は、菜摘の退場で終わったではなかった。わたしが「安心」を手に入れた後には、必ず「絶望」が待っている、という人生の不文律が、また動き出した。
遠足から数週間が経って、五月になった。
今度は、一気に二人の女子生徒が、わたしと彩花の「結界」に入り込んできた。
一人は、二年生になってから転入してきた
美沙子は、彩花と同じく転入組で、彩花と同じように、「普通に近い存在」に見えた。彼女は、言葉遣いが丁寧で、身なりも整っている。特例校の生徒たち特有の「暗さ」を、表面上はあまり感じさせない。
美沙子が怖いのは、彩花を取るという可能性があるからだ。
彩花が持つ「普通」の魅力に、美沙子が気づかないはずがない。もし美沙子が、彩花と「普通の子」同士の友情を築き、わたしのような「母子登校の、キーホルダー依存症の、暗い子」を、邪魔者として排除し始めたら……わたしは、すぐに彩花を失うだろう。美沙子は、「普通への憧れ」という、わたしと共通する動機で動いているからこそ、最も恐ろしいライバルだった。
しかし、桜は、美沙子とは違う種類の怖さだった。
桜は、わたしが中学に入学した時からクラスにいたけれど、ほとんど話したことがない。彼女は、いつも暗い色の服を着て、髪もボサボサで、視線は地面に落ちていることが多い。言葉数も少なく、まるで「普通じゃない」の典型のような見た目だった。
彼女は、彩花に話しかける時も、おずおずとしていて、どこか被害者意識が滲み出ている。わたしは、桜を見ていると、前の小学校でわたしがいじめていた優子のグループが狙っていた、暗い子を思い出して、彼女には罪がないのに、わたしも同じなのに嫌な気持ちになる。
そんな桜が、明るい彩花に惹かれるのは、当然だった。
昼休み、わたしと彩花が二人で話していると、桜が、美沙子を連れて、わたしたちの席に近づいてきた。
「あの……彩花ちゃん。あの、ここの問題……教えてもらえないかな?」
桜は、震える声で尋ねた。
彩花は、持ち前の優しさで、すぐに快く引き受ける。わたしは、再び、彩花という「光」を、二人の「闇」に囲まれた形になった。
わたしは、また菜摘の時のように、「一日で飽きないか」と期対していた。桜のような暗い子は、彩花の明るさに疲れて、すぐに離れるかもしれない。わたしも、依存している一方でもう疲れ切っていた。美沙子のような「普通」を装う子も、わたしという「障害物」がいることに気づけば、すぐに諦めるかもしれない。
けれど、彼女たちは、菜摘とは違った。
彼女たちは、次の日からも、わたしたちの席に寄ってきた。
桜は、彩花の優しさに依存し始めたようだった。勉強だけでなく、休み時間になると、必ずと言っていいほど、彩花に話しかけてきた。
そして、美沙子は、賢い。彼女は、わたしを露骨に無視するのではなく、わたしも会話に混ぜるフリをしながら、「亜矢ちゃんは、本当に優しくて、彩花ちゃんと仲良しなんだね」と、常に「二人の関係」を認めつつ、徐々に彩花との接点を増やしていく。
わたしと彩花の「二人だけの世界」は、美沙子と桜という、二つの違うタイプの怖さによって、三人、あるいは四人の「不安定なグループ」に変貌してしまった。
わたしは、昼休みも放課後も、彩花を取られないための「防衛」に、心をすり減らすことになる。わたしが少しでも席を離れると、桜がすぐ彩花の隣を占領し、美沙子が会話を主導する。
「普通」を失う恐怖が、わたしを彩花への依存へ駆り立て、その依存心が、わたしを新たな人間関係の地獄へと引きずり込んでいく。
わたしは、また、逃げ場のない場所に立たされていた。
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