第二章 第六話
莉子に冷たくされ、沙織に「あなたはこの子たちの中でさえ普通じゃない」と突きつけられた後も、わたしは結局、沙織と真央との関係に、しがみつくしかできなかった。他に、わたしを受け入れてくれる場所は、どこにもない。
わたしたち三人は、いつも三人で行動した。その輪から一歩外に出れば、わたしはまた一人になる。その孤独と、優子たちの呪いに怯える夜を過ごすのが、何よりも怖い。
皆んなにとっては学校生活のささやかな楽しみの昼休みが、わたしには試練だ。
教室で、真央が小さな声で、わたしに言った。真央は、いつも覇気がなく、顔色も悪いけれど、時折、人を値踏みするような、冷たい目つきをすることがある。
「ねえ、亜矢ちゃん。あそこの望江(もえ)たち、うるさくない?」
真央が指さしたのは、クラスの中心で、いつも楽しそうに笑っている、ごく普通の女の子たちのグループだった。望江は、明るく、リーダーシップがある子で、そのグループは、特に誰もいじめたり、悪口を言ったりすることなく、ただ普通に学校生活を楽しんでいるように見えた。
「え、別に……何もされてないけど」
わたしは正直に答える。優子たちから逃げてきたわたしにとって、彼女たちの「楽しそうな笑い声」は、むしろ羨ましく、平和の象徴のようにさえ思えた。
いつかそこに上り詰めたい。真央は、顔色をさらに悪くして、わたしを睨んだ。
「亜矢ちゃんは、本当に鈍いね。ああいう楽しそうなグループって、わたしたちのこと、絶対見下してるに決まってるじゃない」
「そうだよ、亜矢ちゃん」と、沙織が、いつもの明るい仮面の下で、鋭い目を光らせながら同調した。「わたしたちと遊んでる子たちのこと、陰で笑ってるんだよ。ああいうの、一番タチが悪いの」
真央は、わたしに、明確な命令を下した。
「だから、亜矢ちゃん。明日から、あのグループのこと、徹底的に無視して」
「無視……?」
わたしは、戸惑った。わたしは、望江たちに、何もされていないのに、ただ「楽しそう」というだけで、彼女たちを攻撃しなければならないのだろうか。それは、わたしが一番嫌がっていた、いじめの始まりと同じではないか。
嫌だ。
心の中では、明確に拒否していた。彼女たちに、優子たちと同じような、理不尽な悪意を向けるなんて、絶対に嫌だ。わたしは、誰かを傷つける側にはなりたくない。
けれど、口に出して「嫌だ」と言う勇気は、わたしにはなかった。
もし断ったら、真央と沙織は、わたしを「裏切り者」だと見なすだろう。そして、この新しい学校で唯一手に入れた、この「普通じゃない子たちの居場所」すらを失ってしまう。莉子に拒絶されたように、真央と沙織に拒絶されたら、わたしは本当に一人になってしまう。
その恐怖が、わたしの口を閉ざした。
「……うん。わかった」
わたしは、また嘘をついた。この場の平和を維持するために、「無視する」という、最大の悪意を受け入れたふりをした。
翌日。
わたしは、登校してから、望江たちを無視することができなかった。いや、正確には、無視する理由が、わたしには見つからなかったのだ。彼女たちが、楽しそうに話しているのを、つい目で追ってしまう。彼女たちが、わたしに会釈をした時、わたしも思わず、小さく会釈を返してしまった。
わたしは、結局、真央にも沙織にも、嫌だと言わずに、それなのに無視もせずに、一日を過ごしていた。
放課後。
真央と沙織は、昇降口でわたしを待っていた。二人の顔には、いつもの仮面の下に、冷たい怒りが隠されているのが見て取れる。
「亜矢ちゃん」
真央の声は、低く、威圧的だった。
「なんで、望江たちのこと、無視しなかったの?」
「あ……」わたしは、言葉に詰まった。
「つい、目があったから……」
沙織が、わたしの言葉を遮った。彼女の声は、一瞬で、わたしを責める「裏切り者」を糾弾するトーンに変わる。
「目があったから、じゃないでしょ。亜矢ちゃん、あのグループに入りたかったんでしょ?わたしたちより、あの子たちの『普通』の方が、よかったんでしょ?」
「ちがう!そんなことない!」
わたしは必死に否定したけれど、沙織の言葉は、わたしの核心を突いていた。わたしは、心のどこかで、望江たちのような「普通」の輪に入りたいと願っていた。その気持ちを、沙織は見抜いていたのだ。
真央は、ため息をつくと、顔をさらにしかめた。
「もういいよ、沙織。亜矢ちゃんは、裏切り者なんだよ。結局、自分だけいい子ぶってわたしたちを利用するつもりだったんだよね」
「利用なんてしてない!」
「嘘つき!」
沙織が、わたしに向かって、吐き捨てるように言った。その声は、優子の声と重なる。
夜、わたしは、自分のしたことが怖くなった。真央と沙織を裏切ってしまった。彼女たちも、優子たちと同じように、わたしを標的にするかもしれない。
そして、その恐怖は、次の日の朝、現実のものになった。
登校すると、教室に入るなり、担任の先生が、わたしを呼んだ。先生の顔は、いつもの高圧的な怒りで赤く染まっていた。
「北崎さん!ちょっと、こっち来なさい!」
わたしは、震えながら、先生の机の前に行った。先生は、机の上に広げたノートを指差す。連絡帳だった。
「これは、どういうことですか!クラスメートから、あなたの悪いことについて、報告がありましたよ!」
先生の言葉は、わたしを責める教頭先生の怒鳴り声そのものだった。
「あなた、昨日、クラスメートの真央さんたちに、『望江さんたちのグループを無視しろ』と脅したそうですね!」
「え……?」
わたしは、絶句した。逆だ。わたしが、無視するように命令された側だ。
「それだけじゃない。クラスの物品をわざと壊したって聞きました!真央さんと沙織さんからききましたよ!」
「ち、違います!わたしは何もしてないです!それ嘘です!」
わたしは、必死に訴えたけれど、先生の目には、その訴えは届かなかった。先生の頭の中では、すでに「亜矢が問題児である」という構図が完成している。
先生は、声を荒げ、わたしを怒鳴り散らした。
「嘘?証言が二人も揃っているのに、あなたが嘘をついているんでしょう!転校してきたばかりで、また問題を起こすとは、あなた、一体どういう育ち方をしたんですか!」
先生の怒鳴り声は、前の学校の教頭先生と、母のヒステリーが合わさったような、最悪の音だった。
「いじめから逃げてきたくせに、今度はいじめる側に回るとは!あなたという人間は、本当に救いようがない!」
わたしは、全身から力が抜け、その場で泣き崩れそうになった。優子たちの悪意も怖かったけれど、この、「味方であるはずの子ども」と「指導するはずの大人」による、嘘と高圧的な権力で塗り固められた攻撃が、わたしを最も苦しめた。
わたしは、真央と沙織に裏切られたのだ。わたしが「普通」を求めて、彼女たちの命令を拒否し、嘘のグループに入りたがった代償として、「嘘の悪行」をでっち上げられ、先生に怒鳴られるという、最悪の報復を受けたのだ。
わたしは、またしても、誰にもわかってもらえない、「裏切り者」と「嘘つき」というレッテルを貼られたまま、教室の隅に追いやられた。
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