第二章 第五話
新しい学校での日々が過ぎ、わたしは仮面を貼り付けたまま、「普通じゃない」友達との関係を維持しようと必死だった。
体調不良でよく休む
放課後。
いつものように、
「あ、今日、わたし、用事があるから」
莉子は、わたしと沙織に向かって、そう言い放った。その声は、ふだんの、少しおっとりとした声とは違い、明確に冷たかった。
「え?用事って、何?一緒に帰らないの?」
わたしは、思わず尋ねた。
莉子は、わたしと目を合わせようとせず、バッグのストラップを握りしめたまま言う。
「うん。なんか、ちょっと、今日はいいや」
「いいや」という言葉は、わたしを拒絶している本音を晒していた。わたしは、胸の奥が冷たくなっゆくのを感じる。
「そっか。じゃあ、また明日ね」
沙織が、すぐに空気を察して、明るく言った。沙織のその対応は、「これ以上、深入りしてはいけない」という、暗黙のルールを理解しているようだ。
莉子は、わたしたちを一瞥すると、そのままスタスタと、一人で昇降口を出て行ってしまった。
残されたわたしは、その場に立ち尽くすしかなかった。胸の中に広がるのは、寂しさではない。それは、「見捨てられた」という絶望にかんじた。
「どうして……?わたし、何かしたのかな?」
わたしは、隣にいる沙織に、縋るように尋ねた。
沙織は、いつも通りの、明るい笑顔を貼り付けたまま、わたしに答える。
「大丈夫だよ、亜矢ちゃん。莉子、いつもあんな感じだよ。気分屋なんだから、気にしなくていいって」
その言葉に、わたしは、一瞬だけ安堵した。しかし、沙織は、わたしにさらに顔を近づけると、さっきまでの「明るい仮面」の下に隠された、冷たい目をしてわたしをみる。
そして、小声で、冷徹な一言を囁いた。
「……でもね、亜矢ちゃん。正直、莉子、亜矢ちゃんのことは嫌ってるよ」
「え……?」
頭が、真っ白になった。まるで、背後から鈍器で殴られたような衝撃だった。
「なんで、そんなこと言うの……?」
わたしの声は、震えている。
沙織は、肩をすくめた。その表情は、どこか楽しんでいるようにも見えた。
「だって、見てればわかるじゃん。亜矢ちゃんってさ、いくら明るく振る舞っても、なんか影があるんだもん。それに、莉子ちゃんって、ああ見えて、自分の周りが普通じゃないと、嫌なんだよ」
沙織の言葉は、優子の嘲笑よりも、深くわたしを貫いた。沙織も、わたしと同じように「暗さ」を隠して「明るい振り」をしている子なのに、その沙織に、わたしは「暗い」と指摘されたのだ。
「わたし……わたしは、普通じゃないから……」
わたしは、そう呟いた。沙織は、フン、と鼻で笑った。
「みんな、いろいろあるよ。でも、亜矢ちゃんは、わたしたち以上に普通じゃないんだよ。それが、莉子には、ちょっと重すぎたんだと思う」
沙織は、そう言って、わたしの背中をポンと叩いた。その叩き方は、励ましではなく、「亜矢ちゃんは、わたしたちの中でも最下層だ」と突きつけるような、冷たい確認だった。
わたしは、絶望した。わたしは、「普通じゃない子」の群れの中でさえ、「一番普通じゃない子」なのだ。
家までの帰り道、わたしは、沙織の言葉と、莉子の冷たい態度が、頭の中でぐるぐると回っていた。わたしは、どこへ行っても、誰からも、「異質なもの」として弾き出されてしまう。
わたしは、自分の部屋のベッドで、毛布をかぶっていた。六月の転校から、もう半年近く経つ。クラスの友達は皆自分の部屋で一人で寝ている。それは、この学校に来て、わたしが知った「普通」の一つだ。
けれど、わたしは、自分の部屋で一人で寝るのが、怖くて仕方がなかった。
優子と美香の呪いの言葉が、暗闇の中で、はっきりと聞こえてくる気がする。
「逃げてもムダ。またね。」
それに、わたしは、一人になると、自分が「普通じゃない」という事実を、直視してしまう気がした。一人でいると、わたしを責める教頭先生や、嘲笑する優子、そしてわたしを拒絶する莉子の幻影が、部屋の隅に浮かび上がってくる。
今日からわたしは一人で寝ることにしていたのに、できない。
わたしは、意を決して、両親の寝室のドアをノックした。
「ママ、パパ……」
母が、電気をつけた。
「どうしたの、亜矢ちゃん。一人で寝たいって言ったよね。一人で寝なさい」
母は、迷惑そうな顔をした。母の優しい仮面が、剥がれ落ちそうになるのを、わたしは察した。
「でも、今日だけ……今日だけ、一緒に寝たいの。どうしても、一人だと、怖くて」
わたしは、ほとんど泣きそうな声で訴えた。
母は、諦めたようにため息をつく。
「はあ……もう。仕方ないか……約束したのに」
母はそう言いながら、ベッドの端を少し空けてくれた。わたしは、その小さなスペースに、体を丸める。父は、すでに深い眠りについているようだった。
両親の間に挟まれて寝る。それは、わたしにとって、最後の安全地帯だった。優子たちが、この部屋まで踏み込んでくることはないだろう。母の温かい体温が、わたしの凍えた心を、少しだけ温めてくれる。
わたしは、目を閉じた。
「みんなは、一人で寝られるくらい、もう大人なのに」
「みんなは、わたしを拒絶できるくらい、少しは普通なのに」
わたしは両親のぬくもりに、未だにしがみつかなければ、夜を越えられない。
わたしは、他の誰とも違う。優子にも、萌子にも、莉子にも、沙織にも、そして、自分の両親にすら、わたしは、違う。
やっぱり、わたしはちがう。
その絶望的な結論だけが、わたしの心の中に、深く刻み込まれていた。
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