第一章 第九話

土曜日の朝、わたしは一睡もできなかった。全身が硬直したように緊張している。布団の中で、何度もシミュレーションした。萌子に「学校どう?」と聞かれたら、どう答えるか。

「うん、楽しいよ。ちょっと最近は図書委員の仕事が忙しくて」と、当たり障りのない嘘をつくのか。

それとも、母に言われた通り、「ちょっと疲れているから、保健室で休んでいるんだ」と、正直に話すのか。

どちらを選んでも、わたしが求める「普通の子」の承認は得られない気がした。嘘をついても、わたしが抱える闇は隠せない。正直に話しても、わたしは「可哀想な、いじめられっ子」というレッテルを貼られるだけだ。

迷っているうちに、時間は容赦なく過ぎていった。時計の針は、容赦なく一時半を指した。

初夏の陽光が、わたしの部屋の窓から差し込んでいる。その光は、もう垂直ではなく、少し傾き始めていた。わたしの心とは無関係に、世界は平和で、時間が流れている。その現実が、わたしをさらに焦らせた。

「亜矢ちゃん!もうすぐ二時だよ。早く行かないと。萌子ちゃんたち、待ってるよ」

リビングから、母の声が聞こえた。母は、相変わらず優しい。この優しさを壊したくないという気持ちが、わたしを動かした。

わたしは、まるで誰かに操られているように、立ち上がり、玄関へ向かった。母は、わたしの上着を直すと、背中にそっと手を当てた。

「大丈夫だよ。楽しんできなさい。亜矢ちゃんは、何も悪くないんだから」

その手が、わたしを公園へ押し出した。まるで、嵐の海に、小さな船を送り出すように。

公園に着くと、萌子を含めて四人の女の子たちが、すでに集まっていた。みんな、鮮やかな色のワンピースを着ていて、笑い声が、初夏の午後の空気に溶け込んでいる。わたしが見る、「普通の子供たちの世界」だ。

「亜矢!遅いよー!」

萌子が、わたしの姿を見つけると、明るい笑顔で駆け寄ってきた。

わたしは、ぎこちない笑顔を作りながら、彼女たちの輪の中に入った。持ってきたお菓子を広げ、他愛もない話を始める。誰が、どのテレビ番組が好きだとか、最近流行っているボードゲームの話だとか。わたしは、精一杯、普通の会話に溶け込もうとした。

その時間は、とても楽しかった。優子たちの存在も、母のヒステリーも、保健室の白い天井も、一瞬だけ、遠い世界に消えてくれたような気がした。

しかし、楽しい時間は、長くは続かない。

お菓子を交換し、少し落ち着いた頃、萌子の隣に座っていた子が、水を飲んだ後、わたしに顔を向けた。

「ねえ、亜矢の学校、どう?もうすぐ運動会?」

その一言が、わたしの体の芯に、冷たい石を投げ込んだ。心臓が、ドクン、と大きく脈打つ。

わたしは、一瞬、頭が真っ白になった。嘘をつくか、正直に話すか。頭の中で、二つの選択肢が激しく衝突する。

嘘をついたら、どこかでボロが出るかもしれない。正直に話したら、この平和な時間が終わる。

わたしは、喉の奥に鉄の塊が詰まったような感覚を覚えながら、絞り出すように言った。

「……ううん。わたし、今、教室には行ってないんだ」

「え?どういうこと?」

「あのね……ちょっと、いろいろあって。保健室で、休ませてもらってるの」

その瞬間、四人の女の子たちの顔色が、明らかに変わった。

さっきまでの明るい笑顔が、スーッと消えて、そこには、戸惑いと、好奇心と、憐れみの色が混じった、複雑な表情が浮かんだ。

「そっか……。亜矢、大丈夫なの?」

萌子が、心配そうな顔で、わたしの腕にそっと触れた。その手の温もりが、わたしには、痛くてたまらなかった。

「誰かに、何かされたの?」別の友達が、小声で尋ねる。

わたしは、優子たちのことを、詳しく話すつもりはなかった。けれど、一度口を開いてしまうと、堰を切ったように、言葉が溢れてきた。筆箱のこと、母が学校に乗り込んだこと、優子たちが母のヒステリーを嘲笑したこと。図書室に閉じ込められたこと。教頭先生に怒鳴られたこと。

みんな、黙って、神妙な顔で聞いてくれた。

話を聞き終えた後、彼女たちは、一斉に、「優しい人」になった。

「そっか……亜矢、辛かったね。よく頑張ったね」

「もう、無理しなくていいからね。休んでいいんだよ」

そして、萌子が、そっとわたしに言った。

「ねえ、亜矢。今日はもう、帰った方がいいんじゃないかな?疲れてるでしょ?無理しちゃだめだよ」

その言葉が、わたしの胸に、鋭く突き刺さる。

「早く帰った方がいい」。それは、「あなたは、もうわたしたちの輪の中にいるべき人じゃない」という、遠回しの拒絶に聞こえた。

彼女たちの優しさは、わたしを「普通」の対等な友達として扱った結果ではない。わたしを「可哀想な病人」として、特別扱いした結果の優しさだった。わたしが欲しかったのは、これではない。

─わたしは、「普通の子」として、一緒に笑いたかっただけなのに!

「なんで……」

わたしは、思わず呟いた。

「なんで、わたしを病人みたいに扱うのよ!」

その声は、自分でも驚くほど、張り詰めて、怒りに満ちていた。

萌子たちが、驚いて顔を見合わせる。

「え、亜矢?どうしたの?心配してるだけだよ?」

「心配なんて、いらない!わたし、別に病気じゃない!ただ、ちょっと教室を休んでるだけ!あんたたちに、憐れまれたいわけじゃないの!」

わたしは、胸が苦しくて仕方がなかった。優子たちの嘲笑と同じくらい、萌子たちの憐れみが、わたしを深く傷つけた。結局、わたしはどこに行っても、「普通」の存在として受け入れられないのだ。

「そんな言い方、ないよ、亜矢……」

「わたしにだって、普通に遊ぶ権利があるでしょ!なんで、『早く帰れ』なんて言うのよ!あんたたちだって、わたしのこと、普通じゃないって思ってるんでしょ!?」

わたしは、感情の制御を完全に失い、怒鳴りつけた。

萌子たちの顔が、今度は、驚きと困惑から、怒りへ変わった。

「なんなの、急に!心配してあげてるのに!」

「もういい!わたし、帰る!」

わたしは、地面に広げていたお菓子を乱暴に蹴散らし、公園を飛び出した。後ろで、萌子たちの「亜矢!」と呼ぶ声が聞こえたけれど、わたしは振り返らずに、ただ走った。

わたしは、泣いていた。優子たちにいじめられた時よりも、ずっと激しく、涙が止まらなかった。

結局、わたしはどこにも居場所がない。優子たちの悪意も、萌子たちの善意も、すべてがわたしを、「普通」ではない場所に追いやる。

家に着くと、母が心配そうにわたしを迎えたが、わたしは何も言わずに、自分の部屋に閉じこもった。心の中には、ガラスの破片が散らばっている。鋭くて痛いけれど、もう、その破片を拾い集める気力さえ、残されていなかった。

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