第4話 もう一つの声
仙台の空気はさらに冷たさを増し、街を歩く人々の足取りも急ぎ足になる季節。街路樹の枝には凍てついた風が吹きつけ、夜の空気はしんと静まり返っていた。
だが、誠の胸の内には、微かに熱を帯びたものが芽吹いていた。
ある夜の配信で、まる。がこんな言葉を口にした。
「リスナーさんの中にも、声に出してみたいことって、あると思うんです。コメントじゃなくて、誰にも見えないところで、ぽつりと話すだけでもいい。
声って、自分の中にある気持ちを少しだけ整理してくれるんですよ」
その言葉に、誠はふと、自分の胸の奥にある“やってみたいこと”を思い出した。
音楽。詩。自分の声で何かを届けること。
それらはすべて、遠い過去の中に置き去りにしてきたものだった。
だが、画面越しの彼女の一言が、その忘れていた願いを、そっと取り出してきたのだ。
その夜、誠は配信アプリの「配信する」ボタンを初めてタップした。小さな手の震えを押さえつつ、設定画面でプロフィールを匿名にし、アイコンもフリー素材の風景写真に変えた。
名前は、「sora40」。どこにでもいそうな、意味のない名前。
マイクに向かって、声を出す。
だが、声が出ない。喉が詰まり、息ばかりが漏れる。
「誰もいないはずなのに」
それでも、自分の声を誰かが聞いているかもしれないという想像が、彼を躊躇させた。
10分、20分と過ぎていく。リスナーはゼロ。コメントも、当然ゼロ。
だが、そのことに安堵している自分がいた。
それなら、話してもいいかもしれない――そう思った瞬間、喉がようやく開いた。
「……こんばんは。初めて配信をします。soraといいます」
低く、少し緊張の混じった声が、部屋に響いた。
沈黙。
でも、その沈黙はどこか心地よかった。誰も否定しない空間。誰も笑わない空間。
自分の声が、自分のために鳴っていると感じた。
その夜の配信は、約30分。
自分が感じていること。日々の小さな不安。
家族のことには触れなかったが、「誰にも話せなかったこと」を少しずつ言葉にしていった。
そして、何よりも自分が“話せた”ことに、誠は驚いていた。
数日後、再び配信をしてみた。
すると、数分後に「こんにちは」とだけ書かれたコメントが一つ入った。
思わず心臓が跳ね上がる。文字だけの挨拶が、まるで世界からの返事のように感じられた。
誠は慎重に、ゆっくりと応えた。
「こんにちは。来てくれてありがとうございます。まだ慣れてないので……ゆっくりしていってください」
それは、初めての「双方向の会話」だった。
まる。の配信で感じた“声のぬくもり”を、今度は自分が届ける側になる。
不思議な感覚だった。
その日の夜、まる。の配信で彼女が言った。
「声を出すことって、最初は怖いけど、だんだん“話す自分”と“聞いてくれる誰か”の存在に助けられていくんだと思う」
もしかしたら、それは誠の存在に気づいての言葉だったのかもしれない。
あるいは、何も知らずに、ただ偶然言ったのかもしれない。
でも、どちらでもよかった。
彼の中には、確かに“もう一つの声”が芽生えていたのだから。
配信の最後、誠はこんな言葉で締めくくった。
「誰かが聴いてくれてるかはわかりませんが、僕は今日も声を出せたことに感謝しています。
……また、おやすみなさい」
その言葉は、過去の自分に向けてでもあり、そして未来の自分に向けてでもあった。
仙台の夜、遠くで雪を踏む足音が聞こえた。
その静けさの中に、確かに“新しい誠の声”が、少しずつ響き始めていた。
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