第5話 声の裏側
風が強くなり始めた。
仙台の街には本格的な冬の足音が近づいていた。
勾当台公園のケヤキ並木に吊るされたイルミネーションが、風に揺れて、わずかにきらめいていた。
安藤誠の中でも、風が吹き始めていた。
それは寒さではなく、小さな変化の風――声を出すことで、ようやく自分の気持ちと向き合い始めた男の、心の奥に吹き込んだ風だった。
sora40としての配信は、まだ週に2〜3回。
聴いてくれる人は多くないが、少数の常連が「おやすみ」「今日もありがとう」とコメントを残してくれるようになっていた。
“誰かが耳を傾けてくれている”
それだけで、誠は胸を張って朝を迎えられるようになった。
仕事に対する姿勢も、少しだけ変わった。
同僚に自分から軽く挨拶する。ランチのとき、誰かと同じテーブルに座ってみる。
それだけのことが、なぜ今までできなかったのかと思うほどだった。
ある夜のまる。の配信。
その日はなぜか、声が少し掠れていた。
「……ちょっとごめんなさい、今日、あんまり元気ないかも」
開口一番にそう言った彼女の声は、いつもの明るさとは少し違っていた。
けれど、無理に明るく振る舞おうとせず、「そういう日もあるよね」と語るまる。の声に、誠はかえって強く惹かれた。
その日、配信が始まって30分ほど経った頃、誠は初めてDMを送る決意をした。
いくつも打ち直し、削除し、慎重に言葉を選びながら、ようやく文章をまとめる。
「こんばんは。soraという名前で配信を始めた者です。 あなたの声に救われたこと、本当に感謝しています。
今日の声、とても心配になりました。
どうか無理をしないでください。
あなたの言葉は、きっと誰かの生きる糧になってます」
送信を押したあと、手が震えていた。
何かを越えてしまったような、そんな感覚があった。
返事が来ないかもしれない。だが、それでも伝えたかった。
彼女に、ただ感謝の気持ちだけは届いてほしかった。
翌日、まる。から返信が届いた。
それは、想像よりもずっと長い文章だった。
「soraさん、メッセージありがとうございます。
昨日の声、心配させてしまったならごめんなさい。
でも、そう言ってもらえて、すごく嬉しかった。
実は母が少し体調を崩していて、介護が始まりました。
昼間はパート、夜は母の看病、そして深夜に少しだけ配信。
正直、身体はきついです。でも、誰かが私の声を待っててくれると思うと、頑張れる。
あなたのメッセージも、今日の私の支えになりました」
スマホを持ったまま、しばらく動けなかった。
彼女の声の裏側には、こんなにも静かで、重い現実があったのだ。
それを表には出さず、誰かの癒しになろうとする“まる。”という存在に、誠は胸を締めつけられる思いだった。
「自分が支えられてばかりじゃ、いけない」
初めてそう思った。
次の彼の配信で、誠はまる。に向けて語るように、話し始めた。
「大切な誰かを守るために、声を出し続けるって……すごいことですよね。
僕は、あなたの声に助けられました。
だから、今は僕が……少しでも誰かの役に立てたらと思います」
その配信の最後、リスナーからこうコメントが届いた。
「今日の声、すごく心に沁みました。ありがとう」
匿名の、顔も知らない誰かの言葉。
でも、それはまる。からもらった言葉と同じくらい、温かくて重みがあった。
人は、誰かの声で支えられ、また誰かを支える声になる。
誠は今、その循環の中にいた。
仙台の夜景が広がる高台。
仕事帰りに少しだけ遠回りして立ち寄った見晴らしのいい丘の上で、誠は深く息を吸い込んだ。
遠くに見える光の粒が、まるで誰かの存在のように思えた。
ひとつひとつの声が、見えなくても、確かにここにある。
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