第2話 舌が回るのは悪女ひとり

 パーティー会場を混乱へと導いた私たち4人は、別階の休憩室へと移動させられた。


「えぇとそれで皆様……あの、そのですね」


 と、私たちを前に口ごもっているのは、リオンの側仕えであるマーカス。


 第二王妃が息子につけた側近のひとりで、今夜のパーティーの裏方を取り仕切っていたのも彼だろう。


 もっとも婚約破棄の件は知らされていなかったようで――まあリオンが相談するはずないでしょうけど――その額には焦燥の汗を滲ませている。


 たぶん、今夜の出来事をいかに〝なかったことに〟するかで、今彼の頭の中はいっぱいだろう。


 マーカスは4人の間で視線を彷徨わせたあと、私のところで目を留めた。


「ヴィクトリア様」

「あら私?」


 まずは自分の主人に訊くことがあるんじゃない?

 だって婚約破棄は彼から言い出したことなんだから。


 そう言外に含める形で冷たく視線を返すと、マーカスは緊張したように表情を強張らせる。


 私が言いたいことは彼も分かっているだろう。

 ただ仮にも仕えている主を最初に詰問するのは、彼の立場からは憚られるのだ。


 カトリーナはその主のお気に入り。

 カイルはこの国の第一皇子。


 マーカスからすれば、私が一番声をかけやすかったのでしょうね。


 かといって、その私だって別に蔑ろにできる相手じゃない。


 こうして軽く睨むだけで二の句が継げなくなってしまう。


 このまま目の前の憐れな従僕を虐め続けてもいいけれど……。


 まあ、それじゃ話が進まないわよね。


「いいわよ。何から聞きたいのかしら?」


 私が促してあげると、マーカスは少しほっとしたようだ。


「では、まず確認させていただきたいのですが……カイル殿下からの婚約申し込みの件、ヴィクトリア様はどのようにお考えなのでしょうか?」


 婚約の件、ではなく、婚約申し込みの件、ね。


 とても慎重な言い回し。


 あの場での出来事を、なるべく矮小化しようというのいうのかしら。でも。


「マーカス。耳が遠くなったの? それともメイドがちゃんと報告しなかったのかしら? 殿下は婚約を〝宣言する〟と仰ったのよ」


 私の言葉に、隣のカイルも小さく頷く。


 それを聞いて、マーカス、あとリオンもグッと息を呑んだ。


 つまり今夜の出来事は、私たちの目論見通り、全て了承済みのことなのだと、彼らはようやく知ったのだ。


「し、しかしリオン様とヴィクトリア様と婚約は教会にて宣誓されています」

「そ、そうだ!」


 マーカスの指摘に、今まで黙っていたリオンが急に声を荒げた。


「大体、女は婚約を解消した直後から半年間、新しい婚約を結べないと決まってるはずだ!」


 相変わらず声だけは喧しいわね。


 私は自分の美貌が損なわれない程度に顔を顰め――そうした表情の作り方は幼い頃から訓練している――男ふたりを睨み返す。


 私は不機嫌ですとしっかり目で伝えてから、視線にわずかな軽蔑を含めて、


「まずリオン様の仰ってることは間違いです。教会法の条文は『夫と離婚した妻は半年間身を慎むべし』で、成婚前の婚約破棄について言及する法はありません」

「……っ」


 それ以上反論のカードを用意してなかったのか、リオンはあっさり閉口する。


 ……はぁ、本当につまらない男。


 私は内心でもう一度ため息を吐いておいて、次にマーカスへの反論を開始する。


「確かに私たちの婚約は教会で正式に受理された婚前契約ですわ」


 本来ならこれは強力な拘束力を持っている――はずだった。


「けれど、あれだけ大勢の貴族の前で高らかに婚約破棄を宣言されてしまったんですもの。この事実はもはや覆しようがありません」


 今夜の一件はあっという間に貴族社会に広がるだろう。


「この状況で結婚して、誰が私をリオン様の正妃と認めてくださるのですか?」


 答えは簡単、いるわけがない。


 私はカトリーナに向けて、皮肉げに口の端を吊り上げてみせる。


「誰だってそちらのカトリーナを担いで媚を売るでしょうね」

「媚だなんてそんな……私は」


 矛先を向けられたカトリーナはオロオロと口ごもってみせる。


 私はそんな彼女を相手にせず、再びマーカスを見て、


「仮に私とその女が息子を産んだとして、後継者に選ばれるのは誰?」


 その問いにマーカスは答えられなかった。


 私は大袈裟に肩を竦めてみせる。


「貴族の結婚は見栄と損得で決まるもの。なら、こんな無価値な結婚を、我がエバンズ家が受け容れると思って?」


 元々、この婚姻は第二王妃が派閥の強化を目論んで結んだもの。


 帝国有数の資産家であるエバンズ家の資金力と第三身分からの支持を得て、リオンの皇太子選出を確実なものにするためのものであるはずだった。


 だがこうなってしまった以上、あの女が期待していたエバンズ家から資金提供や支持が得られるはずもない。


 いや……それどころか、その得られるはずだった益の全てが私の隣の彼――第一皇子の派閥に流れ込むことになる。


 その事実に震えているのか、マーカスはみるみる顔を蒼くし、リオンも握った拳がプルプル震えている。


 第二王妃の手先であるマーカスはともかく、自分から婚約破棄を言い渡したリオンが、妙に私たちに食い下がってきた理由がこれだ。


「……」


 リオンが今夜描いていた絵図は大体予測できる。


 おそらく、婚約破棄について私がもっと抵抗すると彼は思っていたのでしょうね。


 もしかしたら泣いて彼に縋りつく……なんて、あり得ない妄想をしていた可能性もあり得るけど。


 ともあれ、その後私が半年間身を慎む……要は実家でおとなしくしている内に、私に関する醜聞を貴族の間に広めて、どこへも嫁げないように追い込む。


 そうやって逃げ道を塞いでから、彼は慈悲を与える名目で私を側妃か愛妾として迎え入れる……と、そんな腹積もりだったのでしょう。


 まあ、この男にしては考えた方だったかもしれない。


 とにかく婚約破棄さえ宣言してしまえば、私を正妃として迎え入れる筋道は断たれる。


 かといってエバンズ家が他の派閥に流れるのは第二王妃としても避けたい。


 となれば、エバンズ家を飼い殺しにするために、第二王妃も怒り心頭ながら息子の策略を手助けする可能性もなくはなかった。


 どの道穴だらけの計画だったけれど。


「リオン様。私、いつも言っていましたわよね?」


 私は冷ややかな微笑とともに小首を傾げ、それが一番美しく映える角度で見せながら、


「もう少し考えてから行動してください、と」

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