シン・マッチ売りの少女

スター☆にゅう・いっち

第1話

 十九世紀のヨーロッパ。大晦日の夕刻、石畳の街路は年の瀬のざわめきで満ちていた。人々は急ぎ足で帰途を急ぎ、広場には教会の鐘の音が響いている。


 私はひとり、冷えきった空気の中でかごを抱え、声を張った。

「マッチはいりませんか――!」


 しかし立ち止まる者はほとんどいない。凍える手で差し出す箱は、ただ通行人の視線に無視されるばかりだった。


 そのとき、不意に肩を叩かれた。振り向くと、葉巻を咥えた大柄な男が立っていた。

「これをよこせ」

 乱暴にかごから箱を掴み取ると、男は硬貨を一枚放り投げた。

「釣りはいらん」

 石畳を転がる硬貨を拾い上げながら、私は声を張った。

「ありがとうございます!」

 それが今日、初めての売り上げだった。


 私の服装は真冬に不釣り合いな薄手のワンピース。つぎはぎだらけで、裸足の足はすでにかじかんでいる。それでも同情して手を差し伸べる人は誰ひとりいなかった。

(なんと冷たい人々だろう。民度というものが試されているのに……)


 そう思った矢先だった。

「おい」

 掠れた声が背後からかけられる。


 痩せた若い男が立っていた。みすぼらしい格好、だが眼だけはギラギラと光っている。私の全身に警戒が走った。

「寒いだろう。俺の家で温かい紅茶でも飲んでいきなよ」

 無理に作った笑顔。

「いえ、大丈夫です」

 足を向けて離れようとしたとき、男の手が私の腕を掴んだ。

「いいじゃねえか」

 力がこもる。その意図は明白だった。


 周囲に人通りはある。だが誰ひとりとして助けようとはせず、視線を逸らす。

 私は抵抗を諦め、無言で連れられるふりをした。


 薄暗い小屋に押し込まれ、ベッドに投げ出される。男が衣服に手をかけた瞬間、私は懐から小型のレーザー銃を抜き放った。

 光線が閃き、男は床に崩れ落ちる。命は奪っていない。ショックで気絶させただけだ。


 続いて掌ほどのデバイスを額に当て、記憶を消去する。これで彼は目覚めても何も覚えてはいない。

 ――この星の生物に、これ以上の干渉は許されない。


 そう。私は「マッチ売りの少女」などではなかった。遠い恒星から派遣された調査員。人類社会に潜入し、その実態を観察する使命を帯びていたのだ。


 床に散らばったマッチ箱を拾い集めると、通信デバイスに触れた。

「回収願います」

「了解。指定座標に移動せよ」


 数分後、円盤型の宇宙船が雲間に姿を現した。転送光に包まれ、私は船内に戻る。


 出迎えたのは仲間の少年――十二歳ほどに見えるが、同じく調査員だ。

「ご苦労」

 二人は船内の一室で地球の映像を解析しながら議論を始めた。


「原始的ながら鉄道が敷かれ、蒸気船も普及しつつある。基礎科学は芽吹いている」

「あと百年もすれば核兵器が生まれるだろうな」

「問題はその先だ。核戦争を回避できるかどうか」


 私は答えた。

「人類には決定的に足りないものがあるわ。――思いやり」


 我々の母星は数千年前、助け合いを基盤として統一政府を築き、宇宙へと進出した。だが調査を重ねるうちに知った。他の恒星系の文明は、多くが核兵器の開発とともに自滅していた。

 独裁か民主主義か、制度の違いは関係がなかった。

 生き残るのはただ一つ――互いを助け合う心を持つ種族だけ。


 だからこそ、私たちは人類を見守るしかない。干渉は許されないが、もしこの種族が互いを思いやる道を選ぶなら、やがて宇宙で出会う日が来るだろう。


 レポートを母星へ送信すると、任務は終わった。


 私は彼とともにプライベートルームに向かう。

 互いに幼く見えるが、実年齢は三十を超えていた。我らの種族は十二歳の姿のまま五百年を生き、その後千年をかけて老いてゆく。

 母星に帰還したら、休暇を取り、子をもうけよう――そう語り合った。


 愛を確かめ合う間、船は自動操縦で地球を離れる。

 蒼い惑星は、いずれ答えを出すだろう。

 人類が互いに手を差し伸べ合えるのか、それとも自らを滅ぼすのか――。


 星々の海へと旅立ちながら、私は小さく呟いた。

「さようなら、地球。願わくば、次に来るときには――」


 その言葉は、静かな宇宙に溶けていった。

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