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アイアイ式ドラゴンスープレックス

第1話

――1、日常――


 燃えるような夕焼けを写したような赤い海。


 どこか潮風を感じる風がビルの並ぶ街並みを駆け抜ける。


 五月の長い昼は十九時にようやく沈む。


 夕焼けの射し込む窓がテーブルの前に座る北山 心春(こはる)の顔を照らした。


 本来は客の座るはずのテーブルに頬杖をつき、ウェイトレスの心春は往来の多い通りを見ている。


「マスター。店の前は人通りが多いですよぉ」


 退屈そうな声でそう言った。


 店の奥、カウンターに立ち、何やら包丁を動かしているのは長身で中年の男だ。

 年齢の割に筋肉質な体付きで、白いシャツが筋肉でやや膨れている。


「そうですか」


 銀縁メガネの向こうで柔和な笑みを浮かべ、何やら料理をしているのは喫茶店“すのうどろっぷ”マスターの矢上 亘(わたる)だ。


「なのにこの店は閑古鳥が鳴いてますよ?」


 窓から目を離し、カウンターへ目を向けた心春に矢上は変わらず笑みを向ける。


 すのうどろっぷの目下の悩みといえば客が来ないことだろう。


 心春がこの喫茶店でアルバイトを始めて11ヶ月。

 客足はまばらで日に二、三人程度。

 酷い時は一人も来客が無い場合もあった。


「バイト代は毎月出しているはずですよ」


「そりゃ出てますけど……」


 心春が心配しているのは店が潰れないかという点だ。

 とはいえ、アルバイト代は滞りなく毎月出ている。


 大学生の身分だから講義の関係、不定期で働きたい心春にとってこの閑古鳥の鳴く喫茶店は都合が良い。


 何も不満は無い。

 店が潰れるのでは、という不安を除けば本来なら喜ばしいことではある。


「それに、まかないも出る良い店ですからね」


 心春の心を読んだような事を言いながらコトリと料理を置く。


 こんがり焼けたきつね色のパン生地だろうか?

 その上に緑色の木の実と黄金色の蜂蜜がかけられている。


 先ほどから何やら作っていたのはこの料理か。


「なんですかこれ?」


「クナファですよ。トルコ南部のデザート、新メニューです」


 それとこれも。


 そう言って心春の好きなカフェオレを矢上が置く。


「本来はトルココーヒーで召し上がって欲しいのですが、心春さんはコーヒーが苦手ですから」


「えへへ」


 コーヒーが売りの喫茶店でコーヒーが苦手なウェイトレスというのも奇妙なものだ。


 心春は少しばかりバツが悪くて誤魔化しの笑みを浮かべる。


「でも、本当になんでお客さんが来ないんですかね?」


 マスターの矢上は良い人だ。

 穏和で冷静、知的な佇まいの感じる紳士。


 店内の雰囲気もシックでモダン。

 振り子時計や壁掛け電話などの昔の家具で統一されている。

 落ち着いた雰囲気で心地良い。


 なぜこんな良い店に客が来ないのだろう。


 心春がそんな事を思っていると、「果報は寝て待て、待てば海路の日和あり。ですよ」と矢上がカウンターへ戻った。


「さ、新作の感想をお聞かせください。料理研究会のご意見は参考になりますから」


 いつもの柔和な笑みでコップを磨き出す。


 心春は大学で料理研究会というサークルに入っている。

 こう見えて料理には自信があった。


「私の評価は辛口ですよぉ」


 それでクナファを食べてみる。


 ナイフで切ると中から溶けたチーズが糸を引く。


 湯気と共に小麦とチーズの匂い、そして蜂蜜の甘い香りが鼻をくすぐる。


 そして一口食べれば塩気と甘味が同時に口を満たした。


「お、おいひ〜」


「お口に合って幸いです」


「日本人は醤油と砂糖の組み合わせが大好きですから、チーズの塩気と蜂蜜の甘味は絶対に受けますよ!」


 心春は、この新メニューを全面に出したビラを駅前で配ろうと提案した。


「あと、インスターとチックタックにも載せて宣伝――」


「北山さん。そろそろ帰る時間ですよ」


 あ! もうそんな時間!


 窓の外を見ればいつの間にか日がとっぷりと暮れて暗くなっている。


 心春は食べ終えたお皿とカフェオレのコップを持ってカウンターに置く。


「この神居(かむい)市が治安の良い街といえども女性が夜遅くに帰るのは感心しませんからね」


「分かってますよぉ」


 などと言いつつ、自分はもう二十歳なのだから子供扱いしないで欲しいと心の中では思っているが。


「あ、そうだ。来週の月曜日、お休み貰って良いですか?」


「来週の月曜日というと三日後ですか? 何か用事でも」


 心春が「えへへ」と嬉しそうに笑う。


「テレビに出るんですよ。しかも生放送です」


「ほう。それはまたどうして?」


「なんと、我が料理研究会の活動が認められて、テレビが取材に来てくれるのです〜!」


 わ〜パチパチ〜と一人で拍手をした心春は「とはいえ、地方テレビですけどね」と気まずそうにはにかむ。


「地方テレビでも素晴らしい事ですよ。自分のやって来た事が認められたという事なのです。胸を張って、どうぞテレビに出てください」


「ありがとうございます! マスター! それじゃ、お疲れ様でしたぁ」


 そう言って荷物を手に心春は店を出た。


 チリンチリンとドアベルが鳴りバタンと扉が閉まる。


――さて、私も掃除をしたら休むとするか。


 矢上はそんな事を思いながらカウンターの上を布巾で拭こうとした。


 その時、通りに面した窓ガラスを男が通り掛かる。


 その動きは何か不審だ。


 矢上は奇妙に思い、室内の灯りを消した。


 光の反射が収まった窓は外の通りがよく見える。

 男は通りに建てられた看板の後ろに隠れて、何かを見ていた。


 フードを目深に被り、マスクをしている。

 まるで顔を隠しているかのようだ。


 しばらくすると男は再びこっそりと歩き出した。


 ふむ?


 何か奇妙に思った矢上は男が立ち去った後、静かに店を出た。


 ドアベルも鳴らさぬように通りへ出た矢上は、コソコソと何かを尾行する男の後ろについて行く。


 そうして後ろについて行くと、男の尾行相手が心春だと分かった。


 人気の無い閑静な住宅街を心春が歩いていく。


 男も心春を尾行して住宅街を行こうとした。


「なぜあの子を付け回しているのでしょう?」と矢上は男の耳元から声を掛けた。


 男は小さく悲鳴を上げて飛び退く。


「い、いつの間に!?」


「ずっと真後ろにいましたよ」


 矢上はいつもの柔和な笑みで微笑んでいる。


 しかしその目は油断なく男を見ていた。


 中肉中背。

 声は比較的若い。十代後半か?

 特に筋力トレーニングなどの兆候なし。

 腰に僅かな膨らみ。


 矢上がそう観察していると男が腰に手を伸ばした。


 そして腰の膨らみから分厚いナイフを取り出したのである。


「邪魔するな!」とナイフを矢上に突き立てようとした。


 が、無駄。


 矢上はナイフを右手で軽く払い、左手で男の肘を軽く殴る。


「ぎゃ!」と悲鳴を挙げて男が倒れた。


「う、腕の骨が折れた!」


「折れてませんよ。関節にダメージが入って神経が痺れただけです」


 矢上は男を見下ろす。


「大人しくしてくださいね?」


「て、抵抗なんてしない!」と男がそう言った瞬間、矢上の背後でバットが振るわれた。


 そのバットがまさに矢上の後頭部を砕かんとするが、矢上は体を前に倒したので当たらない。


 と、同時に矢上は体を捻って後ろ回し蹴りを放った。


「あなたに言っているのですよ?『大人しくしてください』と」


 ピタァと脚が止まる。


 真後ろに居たのはやや小太りの男だ。

 スキーゴーグルをつけている。


 もしも矢上が脚を止めていなかったら革靴の硬い踵が男の顔面を蹴り抜いていたところだ。


「あまり素人を傷付ける趣味は無いのですよ。私はね」


 そう矢上が言うと小太りな男はバットを落として「ゆ、許してください!」と懇願した。


「け、警察にだけは!」


 中肉中背の方もそう願うので、「構いませんが、なぜあの子を追っていたのかだけは教えてください」と矢上が命じる。


 すると二人はなぜ心春を追っていたかを伝えた。


「闇バイトってやつッス。割の良いバイトだと思って応募したらなんか怖い連中に学生証を撮影されて……」


「本当は嫌だったんだけど、脅されて仕方なく……」


「それで? どんな仕事内容なのですか?」


「えっと、身長150センチ位で、メディアムボブ?って言うんスかね、そういう髪型の神居大学に在学している女の子を探せって言われたんス」


 なんだその依頼は……?


 矢上はそう思ったが、しかし嘘をついているようには思えない。


「いちおう確認しますが、あなた達にそう依頼した人たちはどんな人ですか?」


「分かりません。顔に袋を被せられてたんで……」


 よほど怖い目にあったのだろう。

 その時の事を思い出すだけで二人は震えていた。


「なるほど、分かりました。もう行きなさい」


「行くって、どこに?」


「家ですよ」


 矢上がそう伝えると「無理です! 命令を無視したら、あ、あいつらにどんな目に遭わされるか……!」と二人は怯えた。


「あなた達の身の安全は保証します。さ、帰りなさい」


 矢上はいつもの柔和な笑みで二人を諭す。

 二人はまだ恐怖していたが、矢上を信じて家に帰るのだった。


「さて、困ったものですね」


 そう呟きながら矢上は喫茶店“すのうどろっぷ”へ戻る。


 そしてカウンター後ろの古い壁掛け電話のインテリアへ向かうと、そのベルを取った。


 コップ型の受話器を耳に当てると、ジリリと呼び出しベルが鳴る。


『もしもし』


 受話器から聞こえてきたのは変声機で変えたような不自然な声だ。


「私です」


 矢上がただそう伝えると『お前か、珍しいな』と声の主が驚き混じりに言う。


「どうやらこの街にきな臭い連中がいるようでね。で、そいつらを調べて欲しいのです」


『ふん。お前の頼みだ、調べてやるさ』


「ありがとう。それと、その連中はこの街の若者を使って色々とやっているようです。彼らを守る手配をしてくれませんか?」


 受話器の向こうで深い溜息が流れる。


『相変わらず無茶な事を言う。だが、分かった』


「ありがとう。いつも助かります」


 矢上がそう言って受話器を置こうとすると『しかし、なぜお前ほどの男が動く必要があるんだ?』と声が聞こえた。


 矢上はその問いに少し考えた後、本体の通話器に口を近付ける。


「ここは居心地の良い街だからですよ。のんびりできるマイホームに湧いたカビは掃除せねばならんでしょう?」


 そう答えて受話器を置くのであった。



――2、暗転――


 月曜日、心春の心はここに在らずであった。


 何せ今日はテレビ局の取材があるのだ。


 地方テレビとはいえテレビはテレビである。


 しかも生放送だ。


 今日はめいっぱいにめかしこんで服もことさらに上等なものをあつらえた。


 それは心春も含む料理研究サークル全員がそうだった。


 いや、正確に言えば一人を除いてであるが。


 同じ料理研究サークルで同級生の友人である春日井 桜子は普段と変わらない様子だ。


「心春〜! なんだかそっくりな服を着てるじゃない!」


 桜子がそう心春に言ったのは六コマ目の授業を終えて料理研究サークルへ向かう時であった。


 心春と桜子は妙に馬が合う。

 趣味や嗜好が似ているのだろう。

 服や髪型のセンスが同じだった。


 ただ決定的に違うのはこの桜子が良い家柄のお嬢様という点である。


 詳しくは分からないが父親は政府の要人らしい。


 だからいつも上等な服を着ていた。


 今日は心春が気合いを入れて高い服を着てきたから、いつも上等な服を着ている桜子と服の合わせが似てしまったのである。


 まあ桜子もミディアムボブヘアーなので髪型に合わせた服となるとどうしても似た装いになってしまうのも仕方ない。


 つまり、二人の服装が似るのは必然であったが、そんな事を気にもせずに心春と桜子は二人の服が似通ったものになった奇跡に無邪気に喜んだ。


 そんな二人であるが、いざサークル活動が始まると全く違う態度になる。


 テレビ局のスタッフがやって来てカメラが回ると心春は何が何だか分からなくなった。


 インタビューも受けた気がするが記憶に無い。


 気付けば時計の針が二十時になって撮影は終わった。


 何かカメラに向かって変な事を言っていないかと不安になる心春。


 一方の桜子は堂々としたものだった。


 そういえば子供の頃から桜子はピアノの発表会で賞を取ったり、演劇活動をしていたとかいったか。

 そんな話をしていた事を心春は思い出していた。


 桜子は周りの子達がまだテレビに出た事実に浮ついているのに反して、もう自分の作った料理とレシピを見比べている。


「桜子さん、帰らない?」


 心春が聞くと「ううん。もう少し手を加えたら美味しくなりそうだから、もうちょっと残るよ」と桜子は答えた。


「心春は?」


「私は……急げばバイトに間に合いそうだから、もう行くね」


 マスターはきっと店に客が居ないから生放送を観ただろう。

 どうだったか感想を聞きたかった。


「またね、桜子」


「うん。またね」


 心春は他の部員達と共に大学を出る。


 皆と話すのはやはりテレビの話だ。


 緊張したー、だとか、私変な事言ってなかったー? とか。


 そんな他愛も無い話をしていくと、心春は「あ、私バイトに行くから」っと部員達とは別の道へと向かう。


 そこは喫茶店“すのうどろっぷ”へ向かう近道だった。


 心春が一人、その近道を歩いていると一両のハイエースがやって来る。


 心春が道の脇へ避けると、ハイエースは彼女の真横でピタッと止まった。


「え?」


 扉が開くと同時に袋を頭に被せられる。


 そして、彼女が抵抗する間もなく車に乗せられてしまうのだった。


――心春が車に乗せられた直後、喫茶店“すのうどろっぷ”のカウンター奥に掛けられたインテリア然とする古い電話機がけたたましく鳴る。


 この電話が鳴る時はいつも良い報せか悪い報せかだ。


 今日も客一人居ない店内で矢上はその電話機の受話器を手に取った。


『もしもし。私だ』


 変声機のかかった奇妙な声が聞こえてくる。


「やあ。どうでした?」


『調べはついた。複数の監視カメラを見たところ、テロ組織「ブラックフラッグ」の構成員が神居市に入ったようだ』


 ブラックフラッグ。

 それは日本の国家転覆を企むテロ組織だ。


「なぜわざわざこの街に?」


『さあね。だけど奴らの根城は分かった。神居市北区のカムイタワーだ』


 カムイタワーはかつて神居市が市を挙げて区画整理した地区の目玉となるはずだった建物だ。


 工事会社の不正が発覚し、周囲一帯ごと廃棄され、今では幾つもの廃墟となっている。


 確かに身を隠すには最適だ。


「良い報せをありがとう」


 矢上がそう言って受話器を置こうとする。


『残念だが、悪い報せもあるぞ』


 その言葉に矢上は手を止めた。


『君の雇った子、北山と言ったか? 今しがた、彼女がブラックフラッグに捕まった』


「なに?」


 矢上はこの報せにさすがに眉をひそめた。


 心春はどこにでもいる平凡な娘である。

 なぜ国家転覆を狙うテロ組織に捕まる理由があるのだろう?


『私だって知らないよ。ただ、言えることは神居市に入ったブラックフラッグを率いているのが向井 彰って事だ』


 向井 彰という名を聞いた矢上は顔をしかめた。


 その名を彼は知っている。

 傭兵として各地を転戦していた男だ。


「そうか、あいつがブラックフラッグに入っていたのですか。しかしそれなら北山さんを誘拐した理由が分かります」


 あのおっちょこちょいめ。


 矢上は向井をよく知っている。

 短気で短絡的、せっかちで品性下劣な男。


 どうせ別人を捕まえようとしてうっかり心春をさらってしまったのだろう。


「何にせよありがとう。君はいつも悪い報せを持ってきますね」


『いちいち悪口サンキューだ』


 矢上は受話器を電話に置いて店を出る。


 そして入口の「OPEN」と書かれた看板をひっくり返して「CLOSE」にした。


「え? もう閉店なんですか?」


 その声は店の前に立っていた二人の客だ。


 どうやらカップルらしい。


「ええ、すいません。もう閉店です」


「えー。まだ閉店じゃないはずですよね?」


 不満げに女性が言う。


「えっと、すいません。誰からそんな話を聞いたのですか?」


 矢上が聞くと「公式インスターだよ。ほら」と男がスマホを見せた。


 そこには喫茶“すのうどろっぷ”の名前で店の情報を載せているアカウントが載っている。


 写真には「最新メニュー!」という文字と共にクナファの画像があった。


「まったく……あの子は……」


 矢上は苦笑してメガネをクイッと上げる。


「そのアカウントを運用している子が危篤(きとく)なものでしてね。すぐに向かわなくちゃいけないのです」


 矢上がそう伝えるとカップルは驚いた顔をした。


「そうだったんですね!」


「事情も知らずに呼び止めてすいません!」


 そう言って頭を下げる二人に矢上は「いえいえ。お気になさらず」と店の横のガレージを開ける。


 そこにはメルセデスの最新モデルがあった。

 超高級スポーツカーだ。


「うそ……」


 カップルが呆然としたのも当然だろう。

 地方都市の小さな喫茶店の、うだつの上がらなそうな店主が数千万円もする車に乗っているのだから。


「明日また来てください。従業員と共にお待ちしております」


 矢上は丁寧にそういうとシフトをガッと動かし、アクセルを踏み込むと車を飛ばした。


 カップルは呆然とその後ろを見ているしかできない。


「か、かっけぇ……」


 ただそうつぶやくのであった。




――3、戦闘――


「リーダー。連れて来ました」


 その頃、心春は乱暴に担がれてどこかに投げられる。


 心春は手足を縛られていたから、無抵抗で硬いコンクリートの床に体を打って呻いた。


 そんな心春の頭から乱暴に袋が取られる。


 そして、軍用ライトの強い光が心春の目を焼いた。


「あう!」


 開いていた瞳孔に突き刺さる光に痛みを感じて顔を背けるが、顎を掴まれて無理やり前を向かされる。


「おいおいおいおい。なんだこいつァ?」


 そう言ってライトを消したのは防弾チョッキを着た男だ。


 いや、その男のみならず、心春の周りには防弾チョッキやライフルなどを携行する武装した男達がいた。


 もしも心春が拉致なんて目に遭っていなければこの男達をコスプレイヤーか、はたまたサバイバルゲーマーだと思っただろう。


 しかし、心春は無理矢理に拉致され、こうしてどこかの廃屋に居るのだ。


 彼らの銃が本物だと分かった。


 さらに周りを見てみる。


 室内は広い。

 いや、広いのでは無い。

 部屋が無いのだ。


 建築途中なのだろう。

 壁や柱には鉄骨や鉄筋が見えた。

 木箱やドラム缶などに入れられた建築資材がそのまま置かれている。


 そして間仕切りも何もされていない一フロアが広大な一部屋を作っていた。


 その部屋に合計で十人の男達。

 一人は出入口の階段の前に立っている。


 とても逃げられない。

 こんな広い部屋でライフルに狙われたら逃げられないし、そもそも出入口の男に捕まるだろう。

 心春はそう思った。


「おかしいよなぁ。俺ァ官房長官の娘を連れて来いと言ったよなぁ?」


 そう言って心春の顔をまじまじと見ているのは面長で背の高い男だ。


 リーダーと呼ばれた男はこいつだ。


 逆立った髪に落窪んだ眼孔とギョロりと見開かれた目だ。


 彼は腰の拳銃を抜くと銃口で心春の額を押した。


「ひ!」


 小さく悲鳴を上げた心春が銃口から逃れようと頭を上げる。


「おい。やっぱりどう見てもさっき見たテレビの女と顔が違うんじゃねぇか?」


 そう言いながら男は拳銃の柄でコンコンと心春の額を叩いた。


 柄の突起が心春の額を打ち、つうと血が流れる。


 心春は痛いとは思わなかった。

 なぜなら恐怖のあまりに感覚が麻痺していたからだ。


「おい、なあ? おい? こいつぁよぉ……別人だろうが!」


 バン!

 男が怒鳴ると同時に銃が音を立てた。


 心春は自分が死んだと思う。

 銃で撃たれたのだと。


 体がビクンと跳ねた。


 だが、心春は生きている。


 代わりに横にいた武装した男が床に転がって悲鳴を挙げた。


 リーダーがその男の太ももを撃ったのだ。


「てめぇよぉ。女一人さらえないんじゃ何ができるんだ? え? なんで官房長官の娘が別人に変わってんだぁ!?」


「す、すまねぇリーダー! 許してくれ! テレビで見た女と後ろ姿がそっくりだったんだよォ!」


 地面にのたうちながら男がそう説明する。


 その説明に心春は全てに合点がいった。


 彼らが探しているのは北山 心春ではなく、春日井 桜子の方だったのだ。


 そして春日井 桜子の親が政治家という話も、親が官房長官なら納得いく。


 良い育ちだし、親が裕福なのも頷ける。


 そんなことを考える心春へリーダーの男が視線を向けた。


「ひ!」


 何をされるのか分からず心春は怯える。


「おーおー可哀想にこんなに泣いちゃって、まぁ」


 リーダーの男が猫なで声で心春を撫でた。


 ニンマリとした不気味な笑みだ。


「怖いよな? 帰りたいよな?」


 その言葉に心春は必死に頷いた。


「じゃあ、官房長官の娘がどこにいるのか教えてくれや?」


 リーダーはそう言って銃口を心春の額に押し当てる。


 官房長官の娘。

 すなわち春日井 桜子の事だ。


 心春はガタガタと震えた。


 撃たれると思ったからだ。


 だが、桜子の事を言えば見逃して貰える……。


 体の震えが収まり、開いた瞳孔が閉じてくる。

 浅い息が整ってきた。


 心春はあまりの恐怖に逆に神経が麻痺してきたのかもしれない。


 なぜだか分からないが段々と精神が落ち着いてきた。


「桜子の事を言えば……許してくれるんですか?」


「ああ、もちろん。家に帰してあげるさぁ」


 心春は力強い目でリーダーを睨むと「友達を売るわけないでしょ! 殺すなら殺してよ!」と凄んだ!


 リーダーは顔をしかめた。


 心春のような一般人の、しかもか弱い女の子に楯突かれると思わなかったからだ。


 彼は舌打ちをつく。


「そうかい。どっち道、口封じの為に殺すつもりだったがよぉ。そんなに死にたきゃ殺してやるぜ!」


 グッと指に力を込めた。


――その時、男の悲鳴が上がる。


「あん?」とリーダーが辺りを見渡す。


 周囲の男達も周りを見渡した。


 すると、階段の前に立っていた男が倒れているのが見える。


「あ? なんであいつ寝てんだ?」


 リーダーがそう聞くも、誰も答えを持ち合わせていないので黙り込んだ。


 不気味なほどの沈黙がフロア全体に流れる。


「向井。久しぶりですね」


 沈黙を破ったのは矢上の声だ。


 これに心春は驚いた。


 マスターの声!?

 なぜマスターがこんな所に来たのだろう?


 だが、心春以上に驚いたのはどうやらリーダーのようだ。


 その声にリーダーは目をハッタと見開き、辺りを見渡した。


「矢上ぃ!! てめぇ、どこにいやがる!」


「多勢に無勢で自分の居場所を教える馬鹿がどこにいます?」


 誰もが辺りを見渡して矢上の姿を探した。


 柱の影か?

 それとも積まれた木箱の裏?


 あるいはドラム缶に潜むか?


「向井。あなたは昔から短気で思慮が無い。だからいつも私にやり込められるのです」


「ふざけんな! てめぇはいつも俺の邪魔ばかりしやがる! シリア内戦! イラク戦争! ナハルの続きをここでやってやるよ! おお!」


 向井は激しく怒り、唾を飛ばした。


 その時、木箱の裏で何か影が動く。


「そこだ! 撃て!」


 向井の怒声に男達が木箱を撃った。


 だが、木箱の裏に隠れていた影は消火器である。


 撃たれた瞬間、内部のガスが破裂して白い粉が飛び散った。


 直後、ドラム缶の裏から影が飛び出す!


「そっちかぁ!!」


 向井が飛び出した影を撃った。


 が、それも消火器だ。


 やはり破裂して白い粉を撒き散らす。


 白い粉が辺りに立ち込めた。


「あう! あうぅ……!」


 向井は視界を奪われたも同然だ。


 気付けば煙は部下の男達も覆い隠している。


 部下の男達も前後不覚に陥り「そこか!?」「待て! 俺だ! 打つな!」などと白い煙の中で騒いでいた。


 そして心春と向井だけが煙の中央に取り残される。


 向井はどこから矢上が来るのか分からない状態になり、激しく狼狽(ろうばい)している。


 すると背後の柱の影に動く物体があった。


「てめぇ! 矢上! 出てこい! この臆病者がぁ!」


 向井は発狂にも近い怒声をあげて柱の影を撃つが、やはりこれも消火器だった。


「ちくしよぉ! 卑怯者がぁ!」


 向井が怒鳴るが矢上は一向に姿を見せない。


「では、ご期待に答えましょう」


 白い煙の中で矢上の声がそう言った。

 直後、煙の中を誰かが走るシルエットが浮かぶ。


 そして、シルエットは煙の中で混乱している男達を次々と倒していったのである。


 こう煙が立ち込めては、銃を撃つと同士討ちになってしまう。

 矢上はライフルを完全に封じていた。


「すごい」と心春は呟く。


 男達から見ると煙の中に浮かぶシルエットが敵か味方か分からない。

 だが、ただ一人で戦っている矢上は煙に浮かぶ影が全て敵なのだ。


 数の不利がそのまま矢上に有利となって働いている。


 しかも、矢上は男達を殺さないよう素手で戦っているのだと心春は気付いた。


「は! 俺が同士討ちにビビると思うか!」


 そう言ったのは向井だ。


 煙の中で戦っている人影に向かって銃を向ける。


 心春は驚いて「仲間を撃つつもりなの!?」と指摘した。


「仲間だぁ? あいつらは捨て駒っていうだよ! 矢上を殺す為の捨て駒だぁ!!」


 そう言って拳銃を撃とうと指に力を込めた時、「ダメ!」と心春が飛んだ。


 矢上を殺させたくなかったのもある。

 それに矢上が敵を誰も殺さないようにしているのなら、心春も誰も死なせてはいけないと思ったからだ。


 手足を縛られた体を全身使って跳ね上がり、そして向井の右手に噛み付いた。


「ぐあ!」


 親指の付け根に心春の歯がくい込む。


 向井が痛みに呻くと同時に銃が弾丸を放つ。


 狙いの逸れた弾丸が明後日の方向へと飛んで行った。


「この……! クソアマァ!」


 向井が左手を振り上げる!


 だが、その左手が振り下ろされる前に、煙の中から矢上が飛び出した!


「女性に手を上げるのは感心しませんね! 向井!」


 矢上は空中で体を捻ると、全体重を乗せて向井の顔面を蹴り抜いたのである。


「ぐぅ!」


 向井の体が吹き飛び、後方の柱にぶつかった。


 銃が床に落ちてゴトンと硬い音を立てる。


「マ、マスタぁー……!」


 心春が涙を浮かべて矢上を見上げた。


「怖かったでしょうによく頑張りました。おかげで助かりましたよ」


 矢上が心春の頭を撫でて抱き締める。


 心春はそんな矢上に胸の中で安堵と安心を感じた。


 が、すぐに矢上は心春を離す。


「……ごめんなさい、北山さん。まだ、終わっていないようです」


 そして拳銃を手に取って向井へ向けた。


 向井は立ち上がっている。


 そして憤怒の顔を矢上に向けていた。


「矢上よぉ! 思い出すなぁ! 俺達が初めてあった日を! 中東の激戦区、俺とお前は傭兵で、敵同士だった!」


 心春は驚いたように矢上を見る。


 普通の人ではないと思ったが、矢上は中東で傭兵として戦い続けた過去があったらしい。


「昔の話です。今の私はただの日本人……戦争なんて知りません」


 そう言って静かに微笑む矢上に向井は両手を広げた。


「ただの日本人だ? じゃあ撃てねぇよなぁ? どうだ! 撃ってみろ! 俺を殺してみろ!」


 そう挑発する向井。


 矢上が溜息を一つ吐くと、手に持っていた拳銃を分解した。


「何のつもりだ?」


「普通の日本人が人を撃つわけないでしょう?」


 ポイと残った銃の持ち手を投げ捨てる。


「それに、素人を傷付ける趣味はありませんから」


 矢上が素手で構えた。


 素人を傷付ける趣味は無い。

 その言葉は向井を戦いの素人だと揶揄していた。


 カッと向井が怒りに顔を歪める。


「死ねぇ!」


 向井が腰から奇妙な形のナイフを取り出した。


 まるで木の枝のように幾重にも枝分かれしたナイフだ。


 それはブーメラン型のナイフである。


 向井はこのブーメラン型ナイフ、マンベレの達人であった。

 が、ナイフを投げる瞬間、右手に痛みが走る。


 心春に噛まれた傷が僅かに疼いたのだ。


 結果、ナイフは少しばかり右へ逸れた。


 矢上はその隙を見逃さない。

 体を逸らしながら駆け出した。


 ナイフが矢上のすぐ横を通り過ぎる。


 そして、矢上は向井の胸に拳を一撃!


「ぐ!」


 ついで喉を突く。


「が!」


 それから顎先をフックで一閃。


「――!」


 喉を突かれた向井は声を上げることもできず、その場に倒れて気絶する。


「向井。あなたはいつもその短慮で私に負けてきたというのに、相変わらず学習しない人です」


 溜息をついた矢上は向井から視線を外して心春を見た。


「正真正銘、もう大丈夫ですよ」


 心春が辺りを見渡せば、十人いた誘拐犯は全員、倒れている。


「殺したんですか?」


 心春が恐る恐る聞くと矢上は苦笑した。


「気絶しているだけです」


 そう言って心春の手足を縛るテープを外す。


 そしてスマホを取り出すと「罪を憎んで人を憎まず。彼らを裁くのは私ではなくこの国の司法ですよ」と警察に電話した。


「マスター……すごいです」


 心春が心からそう賛辞を送ると矢上はスマホをしまう。


「人を傷付ける事は何も凄くありません」


 矢上は「本当にすごい事は、自分が傷付いても友達を守り通す事です」と手を差し伸べた。


「腰が抜けたみたいでして……」


 心春は恥ずかしさではにかみの笑みを浮かべる。


「そうですか。では、少しばかり失礼致します」


「え? きゃ!」


 矢上が心春の体を抱き上げた。

 心春は思わず驚いてしまう。


「こんな現場を見られたら事情聴取が長引きますからね。警察が来る前に逃げちゃいましょう」


 矢上は心春を見て「セクハラで訴えるのは後ほどでよろしくお願いいたします」といつもの優しい笑顔を浮かべた。


「訴えませんよ」


 心春はそう言いながら両腕を矢上の首に回して抱き返す。

 心春の顔がなぜか自然とにやけてしまう。


 そんな顔を隠すように彼女は矢上の胸に顔をうずめた。


 柔軟剤の優しい匂いが鼻をくすぐる。


「では、帰りましょう」


 遠くから近付くサイレンの音を聞きながら、矢上は心春を連れてビルを降りていくのだった。




――4、エンディング――


――今週月曜日に逮捕されたテロ組織ブラックフラッグの一員から組織の情報が――


 誰も客が居ない喫茶店にニュースキャスターの声が響く。


 喫茶店のテーブルで心春はスマホに写されるニュース動画を見ている。


 ブラックフラッグ……というのが心春を拉致した連中の名前らしい。


 国家転覆を企む武力テロ組織。

 一部とはいえその一員が捕まったという報せは世間の耳目を集めた。


 だが、当然ながら誰もあの廃ビルの戦いは知られていない。


 矢上の戦いも、心春が誘拐された事も、誰も知らなかった。


「マスター、かっこよかったなぁ……」


 あの戦いを知っているのは自分だけ……そう思うと心春はなんだか矢上を独り占めしたみたいな気持ちになって嬉しい。


 ニュースを見て、今日も自分達の情報が出てこないと思うと思わずニヤついてしまった。


「何か嬉しい事がありましたか?」


 日の入りと共に窓から射し込む夕日が照らすテーブルに、コトリと細長いピザを置く。


「あ、これってトルコ版ピザのピデですよね」


「ええ、北山さんが以前、一番好きだと仰ってたので」


 細長いパン生地にひき肉や卵を乗せて焼いた料理だ。


 料理研究会でも再現しようとしたが、矢上の作るピザには遠く及ばなかった。


「まかないにどうぞ」


 カフェオレも置いて矢上がカウンターへ戻ろうとする。


「あ。待ってください! 私もマスターにプレゼントがあるんです」


 心春は鞄からラッピングされた大きなハート型のチョコを取り出した。


「はい! マスター! 月曜日のお礼です!」


 心春の手作りチョコである。


 矢上はニコリと笑ってチョコを受け取った。


「それでは、さっそく頂いてよろしいですか?」


「あ、え? ここで食べる感じです?」


「ええ、同席させていただきたいのですが」


「ま、まあいいですけど……」


 なぜか歯切れの悪い回答をする心春に矢上は少し小首を傾げた。


 そんな矢上はトルココーヒーを準備して心春の前に座る。


 そして心春の手作りチョコのラッピングを外した。


 ハート型のチョコレートには「アハブカ! マスター!」と書いてある。


 その文字を見た矢上は小さく微笑んだ。


「北山さん、この文字は――」


 矢上は何やら指摘しようとして口を閉じた。


 アハブカとは中東の言葉で「あなたを愛している」という意味だ。


 親愛の「好き」ではなく、恋愛の「愛してる」というのがアハブカの意味である。


 大方、心春は「大好き」くらいの意味のつもりで書いたのだろう。

 そんな心春の勘違いをわざわざ指摘するのも野暮だと矢上は思ったのか口を閉じたのだ。


「私も北山さんの事が好きですよ」


 柔和な笑みを浮かべてチョコをかじった。


「うん。美味しいですね」


 心春の手作りチョコに舌鼓を打つ矢上。


 そんな矢上から顔を逸らして窓から外の通りを見つめる心春。


「鈍感なんだから」


 心春の顔が赤いのが夕焼けに照らされたせいなのかは誰にも分からない。


 そんな心春の前で矢上はチョコに喜んでいるのであった。

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