VOICE 4 "EXPERIENCE" 2
「……は?」
そりゃあ、驚いた。
呪い? ああイタチの…違うって思いっきり。しかも古い。だがエンディングテーマの恐ろしさは覚えている。違って。違うって。
呪い? 呪われている?
ちょっと待てちょっと待てちょっと待て!
オレの思考が一気に大混乱を起こして、直後にスッと醒めた。一体どんな理由があるのかと思っていたら、なんだそのオカルトめいたものは!? 醒めたってゆーか冷めたぞ、そんなアホらしいもののためにオレは毎日を綱渡りし、こんなことに巻き込まれたって言うのか!?
ふざけんな!
そんなのこの科学時代二十一世紀に信じられるかってーの! 科学の英知に切り裂かれながらも延々と這い上がってくるゾンビのようなどろどろ生臭い陰神学なんかオレの範疇じゃない、大体なんだ呪いってなんなんだ、そんなものがこの世に存在するわけがない!
この世で呪いっていうのは、そういう効力を持っているのは、
人間の——生きた人間の行動だけだ!
それをオレに嫌ってほど教えたイルが、なんでそんなものを信じるんだよ!? そんなの絶対騙されてる!
…しかしイルの顔は大真面目で、ジルも右に同じで、当たり前のことのように窓の脇で聞いていた。ガタガタ震える窓の外は風が荒れ狂ってる。しんとした家の中で、それだけが音と呼べるものだった。
オレは妙な国に迷い込んだのかもしれない。そうだ、ここはワンダーランドなんだ。どこか、この世ならざる場所に迷い込んでいるんだ。だからイルがまっすぐ見詰めて来る目から目を逸らせない。だから効果的な反論が出て来ない。
……そう本気で思えるバカな思考がココまで羨ましいとは思わなかった。
オレはバカじゃない、コレが現実だって事はわかりきっている。
だけど、
それをよりによってイルに言われるのは……こんな事をイルに言われるのは……どう混乱の収拾をつければいいのか解らなくなる。イルが言うのなら本当じゃないのかって思えるから泣きたくなる。何度か深呼吸をして頭の中を整理しようとして見るが、ただ酸素の過剰供給で頭が余計真っ白になるだけだった。頭をガシガシと掻く。短い髪は指に刺さる。
信じなければいけないのか? そうでなければ先に進まないのか? どうしても? どうやっても? そんなヘビーな現実は逃避すら思いつかないほどにショッキングだ。
嘘だろ、オイ。
嘘だって言ってくれ。
オレが今まで頼り、仲間と思っていたモノはなんだったんだ? 頭のネジが二・三本飛んでるオカルティストだったとでも言うのか? そいつはあまりにも空しいだろう。大体『スポンサー』が付いているんだから嘘など吐きようがない事じゃないか。
ああでも、信じたくない。誰かこの頭痛を止めてくれ。フォローしてくれ。一人で耐えるにはあんまりにも無情な現実を。他人の言葉だったらどれだけ救われただろう。よりによって、イルが、イルからなんて。
でもこいつの本棚にはそう言うのもあったよな。今更思い出す。古びた本や新しい本、図書室のシールの付いた本までエトセトラ、エトセトラ。俺が寝落ちした『魔女の槌』だってそう言う類の物だった。状況証拠はたっぷり、外堀は埋められている。否定したらそれに言葉を返されても続くことが出来ない。言葉のキャッチボールは不可能だ。暴言のぶつけ合いにしかならないだろう。否、こいつは果たしてオレに暴言を吐くか?
しないだろう。ゆっくりと子供のように諭されるのがオチだ。情けないながら半年前まで小学生だった奴に口で勝てない。声の大きさで掻き消してしまうことも出来ない。
いつかの脱力感がこだまする。チェックメイトって奴だ。信じるしかない、それ以外に残された道はない。シャットダウンしたPCの液晶画面にうっすらその白い横顔が映り込んでいる。まっすぐに俺を見て来る大きなどんぐり型のその目から逃げ出せない。あの夜のように。
あの夜のように、フ、とイルが笑う。
「……君が現実逃避できない
認められるかそんな非科学的なことなんか。オレは別に科学の信望者でもオカルト糾弾者でもないが(アンチオカルティストは標榜『のみ』だ)、呪いなんてモノがこの世にあるって言うのは信じられない。むしろ信じたくないのだ。
そんなものがあったら、少なくない人間に反感を買って生きてきた覚えのあるオレなんかひとたまりもない。とーちゃんやかーちゃんみたいに歳を取って行けば尚更その平和さが分かる。
だから、オレが現在生きていること自体が呪いなんてもののない証明みたいなものなんだ。そんなものはない、そんなものはこの世になんの効力も無い。だってそれで死んだ奴なんて見たことも無い。
そんなもの、あるハズがっ……
言いたい言葉のすべてを飲み込んで、オレはイルの言葉に耳を傾ける。どんな顔になっているだろう。逆上の赤? 蒼白の白? 土砂崩れな土気色? どれにしてもマトモな色じゃないと自覚している。だから宥めるようにゆっくりと入って来る子供のようなその声に違和感を覚えないではなかった。オレが宥められる側なのか? 落ち着いて聞いていることは動揺の隠れ蓑なのか?
イルは少し身体を曲げ、両手指を組んで両肘を膝に乗せるようにする。軽く開いた両脚、着替えは赤のキュロットスカート。白くて細い足を惜しげもなく晒している。俺はと言えばジルに借りたジャージだ。ラフな格好でとんでもない秘密を聞かされている。
出来ればずっと秘密にしてもらいたかった、あるいは厳かに伝えてもらいたかった裏の仕事の裏の話。裏の裏のはただの表のはずなのに、本当、脱力感がどっかりと肩にのしかかって来るのが分かるようだ。ちょっと前まで薬を抜くために床に転がっていた奴が言う事を、信じなくちゃいけない。あの痛ましい姿をさらしていた奴の。もしかしてその過剰な防衛姿勢すら、イルの言葉を引き立てるように。
「呪いっていうのが信じられないとは思う……ナルはオカルト嫌いだモンね。けれど、それはそんな誰でもつかえるわけじゃないものでも、凄い力を持ったものでもないんだよ」
「な……なに?」
「オカルトの定義ってのは僕にはよく解らないんだけれど、現代人は常識的にはにわかに信じ難い何か超神秘的なものという考えを総称してオカルトって言うよね。それは厳密には正しくないんだけど……まぁそれは置いといて、今はそういう事にしておくから。で、多分ナルはこう思ってると思うんだ、『そんなことがこの世の中にあるハズねーじゃねーかよ、アッハッハ』、ってね。でもそれが既に呪いだって言ったらどうする?」
「は?」
意味不明な言葉に俺は声を上げていた。
だって、だって俺だって。
少なからず人の恨みを買っている自覚があるオレだって。
こんなにピンピンして生きているって言うのに、それも呪いなのか?
「君がそういうものを頭ごなしに信じられないのが呪いの力だといったらどうするの? そう、つまりこういう事を信じられない君自身が呪いの体現者になるでしょ? 僕が言ってるのはいわゆる逆説で……しかもちょっとタチが悪いんだけどさ、でもそういうのってアリだよね」
「よく…わかんねーぞ、なんだよそれ」
「つまり、呪いなんてモノは誰にでもつかえて誰もが何かに呪われてるってコト。たとえばナルが昔怖い話の本を読んで夜中にトイレにいけず、結果おねしょをしてお母さんにこっぴどく怒られたとする」
「いや、ねえよ」
「まぁ聞きなって。その結果ナルの中に怖いものっていうのは深く深く残り、結果として君を突き動かすの。そして君の場合は、そんな物が存在するはずは無いと思うコトによって怖い思いを封じ込める。強く強く、そんなものは存在しない、信じてはならないと『念じる』んだ。そうやって君は君自身を呪う。そう、これで君には呪いがかかるんだ……経験と、恐怖によってかけられる呪い。どこか超自然的な信じ難いところがある? ないよね。僕の言う呪いっていうのはそういうモノなの。別段不思議なことなんて無い、そういう呪い」
まだ胡乱げな顔をしていたのがいるにもわかったのだろう、苦笑いをしてうーんと例えを探している顔はいつもの通りだ。オレにミッションのオーダーを出す時もこいつはこんな顔をする。主に俺の理解出来ない行動について、説明するべきかどうかを迷っている時。
「そうだな、考えるとすれば——視線みたいなものだよ。遍く受ける者からの主観がその身に及ぼすもの——それが、僕達に掛かる呪いだよ」
「……じゃあ、モノにかかる呪いっていうのはなんなんだ? お、オレみたいな生物……生きたものにかかる呪いっていうのは自分の意識やなんやかんやにかけられるものだとして、今までの獲物にかかってた呪いは……」
ちょっと待て。にわかに信じ難いとか言ってたくせにもうその言葉を信じかけているオレはなんなんだ。
まるで、それこそイルに呪いを解かれたみたいだぞ。おねしょはしてないけど。断じてそこはフィクションだけど。
「うん、僕達が今まで盗んできたものにかかってた呪いっていうのはね、怨念なの。ナマモノにかかるものとはちょっと次元が違うのかな——けれどようは強力な念って言うか人間の執着や固執が宿った物で…多くは容姿なんかに呪いがかかる」
「容姿? 姿形に、か?」
「そうそう。それを見ると、自分の価値観が変わっちゃうって……それほどに綺麗なもの、インパクトのあるモノってあるでしょ? そういうモノにも変化の呪いがかかっているとする。そう、そういうもののために人生が狂う者もいる。転ぶ方向が邪であったとき、それは呪いの犠牲者だ」
「……だな」
「ほかにも色々と、ね。人間の妄執や妄念がとり憑いている、本物の超自然的なシロモノも確かにこの世にはある。人間の思いだって質量はないながらも必ずこの世のどこかに留まっていて、針先ほどの穴を目指して——間歇泉の如く吹き出すのを何所かで待っているんだ。ヒトの価値観を揺さぶるものはヒトの心にどこか隙間を空けるという先天技能があるようなモノなんだよ。故に妄念のたまった器物は定期的にそれを取り除き、浄化されなくてはならない——それらを回収し浄化するのが、宮家……宇都宮家の百年に一度の大仕事なんだ」
「なんっだ……そりゃ? 百年に一度って……」
また話が妙に飛んでいるぞ。スケール的に冷める寸前をギリギリキープしてるが。
ピンッと人差し指を立て、イルは俺を見る。オレもイルを見る。逸らせない眼。逸らせない現実。次に明かされるのはどんな扉なのか。本当に、オレの位置の変わる速さはとんでもなくなったようだ。
この先の事は多分莫根たちも知らないだろう――ジルは知っているのだろうか。さりげなくキッチンに向かい、牛乳をレンジで温めている。それからココアを溶かして、イルのPCの横に一つ、オレに一つ、自分に一つとサーブした。夏の夜は蒸し暑い。でもココアのまあるい甘さは神経を宥めてくれる。はふ、と一口飲むと、丁度良いぬるさだった。イルも半分ほどを一気に飲みこむ。ぷひ、っと息を吐いて椅子の背もたれにぐーっと身体を身体を預けて、肩をぐりぐり回して。稼働確認でもするように。そしてまた一本指を立ててオレを見るのだ、こいつは。
オレはそれに振り回されず、イルの眼をまっすぐに見る。くふ、と、何がおかしいのかは分からない、細められた目。弧を描く口唇。まるで何かに合格したのを眺めるようだ。何にかは分からないが、俺は合格したらしい。もっと近くに寄ることに。迷惑ながら。
「うん……、宇都宮家っていうのはどうやらかなり昔に庶民に下った宮家らしいのね。それで、百年に一度、世界中のそういう呪いの遺物を回収し浄化するって言うのを、牛頭天皇というヒトにに仰せつかったとかいう伝承がある。この人は存在もはっきりしないけどスサノオノミコトとも同一視されることが多いね。その方が分かりやすいでしょ? 古典ではよく出て来る神々のうちの一人だしね。で、それってかなり昔だから宮の血は薄れて思いっきり普通の人間だと思うんだけれど……まあそれを千何百年か律儀に守ってきてて、この百年分のものを浄化しなきゃいけないのが僕なんだってさ」
「おう……?」
「つまり、お祓い。戦前まではちゃんと百年前に集めたものが本家の蔵の中にあったんだけれど、戦中の火事場泥棒やら軍やらが全部持って行っちゃって、世界中に流れちゃったらしいの。で、ちょっとずついろんな機会で日本にやって来る度に……僕達が摩り替えていってたってワケ。ま、とりあえず呪いがそんなご大層な物だってワケじゃないことはわかってくれたかな、ナル」
「わ……かったよーな、わからんような」
「あ、いいよ、君にはそんな期待して無いもんで。ここまでの事はジルにも話してあるから、分かんないことはそっちに訊いてね。僕は消耗が激しかったんでそろそろ寝なきゃ身体がもたない。このスレンダーバディが」
「まだ言うか……って、期待してない? なんだと?」
拳を振り上げるとジルがはあっと溜息を吐いた。イルは逃げるように頭を抱えて小走りにドアに向かう。
「ブレイクブレイク! 僕だって世が世なら宇都宮家衣琉姫なのに……まぁ、とりあえず、だ。そういうわけで僕達は泥棒をやってるっていうのは解ったよね?」
「……まぁ……な……」
「今はそれで良いんだよ。それで」
くすっと悪戯気に笑ったイルは、少しだけあの笑顔の片鱗を見せていた。
出て行くその足音を聞きながら、オレもジルと同じくハーッと息を吐く。
信じたくない自分はどうも、衣琉にやり込められてしまったらしい。オレの乏しい語彙力は反論を思いつけず……消化不良までも、起こしていた。何も食べてないのに胸やけがする。姿かたちに宿る呪い。作品は他人の目に入ったことで無限の二次創作が生まれるものだ、と言うのも、脱線好きの国語教師が話していたとある映画監督の言葉だ。
二次的にそれを目にする。例えば黄金聖書。教徒からしたらありがたくて触れられないものだろう。文字も書いているのに本としては扱われない。例えば渚の街。筆致が一定しないその絵は実験的に様々な要素を取り入れていた。そう言う意味でも価値が高いが、美大生とかならいい手本になるだろう。あらゆるやり方を模倣できる、無敵のアンチョコだ。たとえば魔女の木乃伊。あれはえーと。怖い。怖くて二度見できなかった、断末魔の顔。刺さる人には刺さるんだろう。俺はただ怖かったが。
駄目だ、分からなくなってくる。段々適当になって来る。諦めて信じてしまえば楽なのだと、これも呪いの一種なのだろうか。そう言えば小学生の頃に中学生に絡まれたことがある。タッパがあるから他校生とでも思われたのだろう。小遣いを出せというので千円札握りながら殴ってやった。あれも俺の姿に掛けられた呪いだったのかもしれない。
あー駄目だ、信じる方向に行ってる。弁舌転がされるのは苦手だ、自分の頭が悪いのを自覚するから。どうやって否定したら良いのか分からない。イルも、見る人間が見ればドジでよく転ぶ中学一年生だが、他方から見ればわざと転んだりしているのがばれるのかもしれない。俺が見分けるのに一か月かかった見せ掛けの天然ぶりと同じように。
イル、お前は他の角度から見ればどんな顔をしているんだろう。例えばジルの前では、どんな妹を演じて。クラスメートで端末でもある莫根の前ではどんな。気になることが多すぎて段々眠くなってくる。ジルに案内された客間の布団でオレはうつらうつら、いつの間にか眠りんでしまった。
※
神はいないけれど呪いはこの世に実存する。……のかもしれない。
奇跡は見たことがないけれど、汚れたものはたくさん見た。地獄に良く似たものもたくさんたくさん見た。
僕は、
あたしは、
………呪われたものの代表なのかもね。
だから、
ちょっとだけちょっとだけ。自分を誤魔化すの、自分を偽るの。二重露光した写真みたいにどこかぶれた自分の幻影。
それに頼るの。それに頼ってもらうの。
誰かがいるだけで強くなれるでしょう?
頼らせて、頼って?
大丈夫と言ってくれるのは自分だけ。
手をのばして?
導いて?
あたしはカタンだけれど、
あたしのカタンはどこにもいない。
何所にも———
「イル?」
呼んで。必要として。あたしを見て。
ここにいるのはあたし。困ってるのはあたし。泣いてるのはあたし。
誰も気にかけてくれないなら、あたしが誰にも見えていないのなら、
あたしはどこにもいないということなの?
自分の存在を肯定してくれる相手は自分しかいないなんて、そんなのはあまりにも悲しいことじゃないですか…………。
※
ピンポン、と朝一番にチャイムが鳴ったので浅い眠りはアッサリと醒めてしまった。オレは客用の布団を借りて客間に眠っていたのだが、休みでもいつも通り結局早くに起こされる。たまには十時間ほど熟睡してみたいものだ。
「なぁんだぁ…まだ九時前じゃねーかよぅっ…」
「でも、朝だよぉ。おはようナルナル、お目覚めはいかがぁ?」
—————————。
「すわっ!?」
「いだっ」
「うををを……っ」
突然上から覗き込む衣琉の顔に驚き思わず飛び起きると、ゴンッという鈍い音がして頭がぶつかった。い、いてぇ…朝から何やってんだオレ達は。
「いったぁいぃ…何さ何さ、せっかく起こしに来てあげたのにぃ!」
「なっなんだ? 朝飯か?」
寝惚け眼をこすり、畳んであったジャージを引き寄せて(夏場は暑いので下着とタオルケットのみで寝ていた)そう問う。大体なんで衣琉が起こしに来る、滋留が来ればいいじゃねーか。
「もぉ、暢気なんだからぁ! 朝ごはんは自分で用意してちゃっちゃと食べるのが水原家の現在の舌切り雀だよ! チャイムが聞こえたでしょ、お客さまだよ…僕達共通のね」
「多分舌切り雀じゃねえ、しきたりだ……って、は? 客? 俺達共通で?」
思い当たらない顔をいくつか浮かべながら、俺は考え込む。莫根か? それとも他の端末? あのヨウとかヨルとか言われていた奴らか? でもそれは別に俺には関係ないネットワークの事だろう。そこに俺はあまり絡まない。ズボンを上げてシャツの裾を仕舞う。それからTシャツ――前述通り十波ヶ丘中学の衣替えは夏休み明けなので、少しでも涼しくなるように中には薄手のTシャツなんかを仕込んでいる奴が多い――を被るように着て、最低限身だしなみを整える。寝癖も付かない短髪に無意味に手櫛を入れ、両頬をパンっと叩いて覚醒完了。
先を行く衣琉の後ろをついて行くと、そこにいたのは――
「———これはこれは、どうしてそうそうたる面子だな」
「そぉ? 適当に引っ掻けただけのつもりだったんだけれど」
「生徒会長殿に応援団長殿なのであろう? それにお前とて、校外で実施される定着度確認テストでは毎回地味に上位に食い込んでいるであろうが」
「まぁね、それはそれは地味に」
「……おい……滋留?」
「なんだ?」
「なんで……コイツが……ここに……」
「おお、久しいな瀬尋。小学校の同期にこのような所で
「そりゃ……どう考えてもこっちのセリフだろ、八頭司? お前なんでこんなトコに……」
開いた口が塞がらないって言うのはこういう時に使う言葉だったか。呆然としてオレは目の前にいる二人の女を凝視する。
一人は衣琉だ。この家の住人である。すっかり身体は良くなったようで、顔に浮き上がった痣がちょっと痛々しい。幸い攻撃は腹に集中していたのでそれは見えなかったが、親父さん達が帰って来るまでに消えるのだろうか。密かに心配である。手首の手錠の跡もだが。下手をすると滋留に容疑が掛かる可能性もあるしな。或いはオレ。
止めてくれ、前科者まっしぐらなのは理解しているが、冤罪まで引っ被るのは勘弁だ。
もう一人は———なんつーか。
オレの知己である。しかし、ここ二、三年は会っていない。しかしインパクトの強い女だったので覚えている、覚えているが———なんでここにいる? そう、イルの言った容姿の呪いがかかっているような女なのだ。この女は昔から随分整った顔をしていて、ヒトの価値観を揺さ振り———見るモノに呪いをかける。逆らえない。怖い、と。
八頭司綾姫はそんな女なのだ。
「宇都宮の遣いだよ。知らなかったか、衣琉の伯父貴である現宇都宮コンツェルン総帥は私の兄でな…向こうに婿養子に入っているのだ」
「そりゃ初耳だ! だ、大体だったらなんでお前外部の中学に行ったんだ? 自分の兄貴が経営してる十波ヶ丘系列に入ればよかったじゃねーか」
十波ヶ丘は系列が小学校から大学まである。折々に外部から新たに入ってくる人間は多いが、進学なんかで出ていく奴はそうそういない。十波ヶ丘は結構名門なのだ、上を目指すものには極上のステータスになる。……オレは近かったから入っただけだが。母親が『お受験』させてみたかったのだといつか言っていた。ミーハーな母である。
まあ落ちても近隣の公立中学に行けば良いだけだから、最初で最後の疑似がけっぷち体験をさせてみたかったのだろう。高校はエスカレーター式だが軽い試験はあるらしいと聞いている。
「社会見学といったところだな。高校は十波に戻るつもりだ、アレが強く勧めるゆえな」
「へー、綾姫ちゃんとナルナルは一緒の学校だったんだ、知らなかった」
「こちらも、言ってなかったからな」
八頭司は相変わらずの一種独特な喋り方でじゃれ付く衣琉の相手をしている。女でありながらも背の高い八頭司――百七十センチ近い――がチビの衣琉と一緒にいると、まるで巨人と小人のデコボコなコンビを見ている気分になった。って、それはオレといる時も同じか。十波ヶ丘名物・巨人と小人。
埒外に小さいこいつは百四十センチの壁は超えているが、それ以上は語らない。一度莫根に訊いてみたことはあるが、限りなく曖昧に眼を逸らされた。そう言う事だろう。下手をすると小学生に負けるぞ。最近の子供は発育が良いからな。俺や八頭司がそうだったように。
「ま、茶でもどうだ?」
「ああ、すまんな」
滋留ともどうやら知り合いらしい。のほほんと茶を啜ってる場合じゃないだろう、と自分でツッコミをいれたくなるが———ツッコミはオレのキャラではない(かと言ってボケでもないぞ)。とは言ってもこの面子では何故かツッコミにまわらざるを得ない状況が多くて地味に不本意だ。
って言うか何しに来た八頭司? 総帥が兄なら簡単なパシリはさせられまい。簡単な――では『簡単じゃなかったら』? それなら子供だらけの家にもう一人増えたって構わないだろう。こんな台風の中でなけりゃだが。窓ががたがた言っている。空気は肌に張り付いて来る。わざわざ外出するなんて、よっぽどの用事の中でしか。もっとも八頭司はちっとも濡れてやしないが。薄手のブラウスにマキシ丈のスカート。そのどこも、泥や水の気配がない。
総帥――顔だけ見えなかったあの男性の事だろう。何がどこで繋がっているか分からない。八頭司も、『スポンサー』側の人間だと言う事だろうか。送辞も答辞も読んでたこいつの現在の学力が知りたい、とは、ただの好奇心だ。ちなみに俺が知る限り、こいつのテストの点数が三桁でなかったことはない。それもこの女の怖い所だ。十波ヶ丘への転入は多分簡単だろう。
外部からも次々に人が入って来るのが高校受験なのだという。規模もグレードアップするから、入試も繰り上がり組の現生徒は多少贔屓されるが、外部生にはちょっと厳しいらしい。母親は果たしてそこまで考慮に入れてオレの十波ヶ丘入学を勧めたのだろうか。それなら何とも、食えない性根をしていると思わざるを得ない。我が母ながら。大体塾も家庭教師もなしで受かる程度の学校なのだ、中学は。小学生の問題は容易い。中学はちょっと手強いだろう。
大学は、このまま魚屋になるなら要らないが、それは俺の夢次第だ。叶う夢があるとしたら、そうだな、今からでもこの綱渡りな日常をもう少し緩くしてほしい。寝不足はバイタリティを大幅に下げる。最低十時間の睡眠は欲しい。もっとも核心に大分近付いてしまったオレには、それは出来ないだろうが。下手をすれば大学まで飼い殺しにされるかもしれない。宇都宮の総帥辺りに。そしてよく出来た番犬になるのだろうか、衣琉の。
とそこで、ソファーの八頭司の隣にぽすんと腰を下した衣琉がぐりんっとその顔を上にあげる。身長差ほどではない座高差、足が長いと言う事だろう。八頭司の。衣琉はまだ伸びしろがあるということにしておいてやる。俺が滋留の横に座ると、すい、と緑茶を出された。茶菓子は落雁。朝一番にはちょっと堪えるが、食えなくもない。
「で、伯父さまの遣いなんでしょ、綾姫ちゃん。伯父さまなんか言ってたの?」
「いや、様子を見てこいといわれただけだ。薬は……速効性ゆえに抜けるのも速効だったと言うところか」
「ん、もぉ平気」
「それと、アレからの封書」
「アリガト」
八頭司は自分の兄貴をアレと呼ぶらしい。……妙に他人行儀な気もするが、兄妹とはそういうモノなのだろうか。一人っ子のオレには良くわからんが。滋留と衣琉は本当の兄妹ではないらしいし。
……八頭司は、
オレ達のことを知っているのだろうか。こうしているのを見ていると、八頭司は滋留よりも核心近くにいるように思える。
何もかも知っている。そう言うような。
慧眼とはこういう奴のことを言うのだろう。
全てを知っているような悟りきった眼差しは——何所か無機質にも思えて、それが恐怖心や畏怖を煽って平静を乱す。
——相変わらず怖い女だ。
クラスで暴政を敷いていたバカ共も八頭司のひとにらみには敵わなかった。この容姿、この口調、おまけに運動も学力も人並み以上。オールA以外見たことがない。才色兼備ッてのはこういう奴のことを言うんだろうとオレは常々思っていたが——ここまで謎な女とは思わなかった。
イルと繋がってるってことは、コイツもまた……何やら妖しげなモノに通じてるはずなんだから。実家も確か神社をしていたはずだが、兄がいた事すら初耳の俺は家族構成など知る由もない。
「九時、か。そんなトコだね…」
ポツリと衣琉が呟き、今まで読んでいた手紙を封筒にしまって目の前にあった親父さんの灰皿に入れる。ガラスで出来た灰皿はつかう者がいない所為なのか空っぽだった。そもそもここんちの親父さんは現在禁煙している。そうでなくても電子タバコの方がやりやすいだろう。今どきの風潮を考えれば。それでも匂いは残るが。
「綾姫ちゃん、火ィ持ってる?」
「
八頭司は手紙に手を翳し、パチンっと指を鳴らした。
「!?」
途端に封筒が炎を上げて燃え出した。火が生き物のようにうねり、紙を舐め上げるようにして——あっという間に白い紙を黒い灰に変えてしまう。
「なっ……なんだ今のは!?」
「手品」
「嘘つけ!」
「手品だ。」
っ……。
言い張っていやがる。しかし、どう見てもオレの目にはタネらしいものもそんな仕種も見えなかった。
それに、本能が言ってる。
アレは手品なんかじゃない、と……。
一発で死ぬと言われていた薬を覆し、異常な状況をすべて把握しながら動いたり動かなかったりする兄を持つ奴だ。指から炎を出す親戚ぐらいいても良いのかもしれない。良くないけれど。けっして良い事ではないけれど。
時折オレはこの奇人変人の中にいることを疑問に思う。それもまた、無駄なことなのだろうと思いながら。俺は何もできない。力技にちょいと自信がある程度だ。脳筋。この仲間たちの中では一番要らない。なのに滋留と同じぐらいの場所に立って事情を把握してる。疑問だ。
「あ、そーいえば
「ああ、例によって下らぬ喧嘩よ。蒼が一方的に怒る所為で
「あははぁ、綾姫ちゃんって鈍いんだから」
「何がだ?」
いいように煙に捲かれ、オレは呆然としながら傍らの滋留を見た。しかし奴もまた、何事も無かったかのように茶を啜って菓子をつついている。
やっばり事象すべてを無視して流しやがった。オレだけが混乱している。
——訊くに訊けない状況の中で、オレは溜息をついて菓子を食うことにした。呆れる、そして諦めることには慣れているんだ。繰り返し頭の中で唱えるのが無意識である程度には。
外の雨は、何日か前の天気予報通り台風を予感させて———ずいぶんと荒れていた。
「瀬尋」
「あ?」
「お前はどこまで知っているつもりなのだ?」
八頭司がそう訊ねたのは、見送りに出た玄関先だった。
風でよく聞き取れない声は、傍らの衣琉にすら聞こえていないだろう。ひゃー、と風で乱れる髪を押さえるように耳を塞ぐ形になっている。
八頭司はオレだけに向かい、それを話している。
どこまで、知っている、つもり。
「何も…わかってないと思う」
「賢明だ。無知の知というヤツだな」
「なんだそりゃ」
「まあいい、知らないことなど何一つ無いとは思うな。世はいつでもすべてを欺いている、自然に意思など無いと思っているから天変地異で痛い目を見る。ヒトはなんでも出来ると思っているようだが、それは無知の無知でしかないのだ。己は何一つ知らぬと思っていた方が、衝撃も少なくていいだろう——」
「八頭司? 何言って」
「ではな、衣琉」
「うん、綾姫ちゃん!」
イクォールとはまったく逆のことを言った八頭司は、迎えにきた黒塗りの長い車に乗り込み、雨と風の中に姿を完全に隠した。
……何だったんだ、一体。
「どんな様子だったかね」
「ピンピンしていましたよ。流石に強い。用意していた薬が無駄になって良かったですね」
「そうか。ならばいいが――そろそろ頃合いだとも思わんかね、綾」
「そうですね。このミッションが無事に終わり、無事に『コト』を終える頃には、何もかも分かっているでしょう」
「何もかも、か。私には分からない事ばかりだよ、もう二年も付き合っていると言うのに、あの子の力は底知れない。恐ろしいモノを感じるのは、そう言う力の名残かな」
「気のせいですよ。強いて言うならあの子には仲間がいる。それだけです」
「そうか」
「はい」
「私達にはなかったものだな」
「一括りにしないで下さい。私には蒼も銀も翠も
「……妹が冷たい~~お兄ちゃん泣いちゃう」
「きもいです。さくさく前を見て運転してください。この車長いんですから」
「うう。それで、綾が思うにどんな子だったんだい? 『三人目』は」
「物分かりの良い朴念仁ですよ。それこそ、昔から変わらない。異を唱えられなければ黙ることも知っている。正直心配でしたが、彼なら大丈夫でしょう。もしもいつかすべてを知ることになろうとも」
「そう――か。では私は綾の言葉を信じよう」
「最初から信じる気だったくせに、よく言います」
「ばれていたのかい。私もまだまだだな、はっはっは」
※
わかんないよ、もうやだよ、こんなことできないよ!
あたしはふつーのこどもなんだってば、いきなりそんなこといわれたってなんにも……なんにもわかんないってば!
『それでも、君は物部衣琉なのだよ』
ちがうもん、あたしはみずはらしずるだもん!
『これは君の仕事なのだ』
しらないもん、そんなのしらないもん!
そんなむずかしいことばなんかおぼえられないし、そんなこわいことできないし、あたしはほんとになんにもできなくてっ……
ふつうのこどもなんだもん。
ふつうの、こどもだもん……。
『あんな呪文など覚える必要は無い。遥か昔から、異国の言葉でもたくさんの異形は呼び出せたのだ。ようは自らの念じ方よ……ただ、そういうモノが、そういう呪文があったほうが力を込めやすいだけだ』
そういうんじゃないよ。
そういうのがつらいんじゃないよ。
『こんなところで脱落するようではいかんな……』
じゃあやめて。
できないよ! こんなのへんだよ!
あたしはそんなんじゃないんだ!
「大丈夫」
……だれ? あなただぁれ?
「大丈夫だ。僕がついてるから」
あなたはだれなの?
「大丈夫だよ、全部僕がしてあげる。全部僕が出来る。全部全部」
『凄いな……どうした事だ、この数値は』
「ほらね、なんだって出来る」
『知能指数が一気に撥ね上がってるじゃないか! どういうことなんだ一体……この前までまったく普通の子供だったというのに』
「ほらね、こんなに簡単なことだ」
あなたは、
だぁれ?
「大丈夫。つらい事も苦しい事も全部、僕が引き受けて上げるから」
あなたは……
「僕は———イルだよ、倭柳」
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