風化の織

木工槍鉋

朽ちていく家

「先生、最後の作品が自邸ですか」

若い所員が、真っ白な図面を前に尋ねた。

老建築家の砂倉 静志は、静かに頷いた。

「50年、人の家を建ててきた。最後くらい、自分の家を建てたい」

「でも…なぜコンクリートの構造に木の構造を混ぜるんですか?」

砂倉は窓の外を見ながら答えた。

「コンクリートは変わらない。木は変わる。両方必要なんだ」

「木は生きている。樹齢と同じ年数をかけて強くなり、また樹齢と同じ年数をかけて朽ちていく」

砂倉は設計図に書き込みを始めた。

「屋根は檜皮葺。野地板には樹齢10年の木を使う。壁は土壁。下地には樹齢30年の木を。柱は樹齢50年の木を」

「それじゃあ、建物が不均等に朽ちていきますよ」

「ああ、そうだな。20年で屋根が朽ち、60年で壁が朽ち、100年で柱が朽ちる。計算通りだ」

砂倉は図面を見つめた。

「建築の完成は、建った瞬間じゃない。時間が完成させるんだよ」

 

それから3年。自邸が完成した。

夜明け前。砂倉は木造部分の隙間に立っていた。手には小さな袋。中には種が入っている。

50年前、砂倉には幼い娘がいた。

「パパ、この花きれい」

娘が庭で、小さな花を見つめていた。

「そうだな。でも、いつか枯れる」

「枯れても、また咲くよね?」

娘は、その半年後に病死した。葬儀の日、砂倉は娘が最期に握っていた花の種を見つけた。

「また咲く、か」

 

コンクリートの骨格。一見すると抽象的で、意味のわからない配置。

しかし砂倉は知っていた。木が時間差で朽ち、種が芽吹き、植物がコンクリートに巻きついたとき、この骨格が何を描くのかを。

彼は野地板の隙間に、土壁の中に、柱材の隙間に、娘の花の種を仕込んだ。様々な発芽条件を持つ種。木が朽ち、光が届いたとき、初めて芽吹く種。

「20年後、60年後、100年後…それぞれの時に、お前が育て」

夜明けの空に向かって、砂倉は祈るように呟いた。

最後の一粒を、樹齢50年の柱材の隙間に押し込む。

「この種が育つ頃、俺はいない。でも、そのときやっと、この建築は完成する」

 

砂倉は遺言を残した。

「この家を、100年間は取り壊さないこと」

親族は困惑したが、遺言は法的に有効だった。砂倉は土地と共に、維持管理の基金も残していた。

家は封鎖され、誰も住まなくなった。

時が流れた。20年後、屋根が朽ち始めた。60年後、壁が崩れた。100年後、柱が朽ちた。

そして―

 

建築史家の図司 暦人は、奇妙な報告を受けていた。

「砂倉邸が面白いことになっています」

一世紀前に亡くなった建築家、砂倉 静志。遺言で100年間の保存が義務づけられていた自邸。ちょうど今年が、その期限だった。

「建物が、緑に覆われています」

図司が現地に向かうと、想像を超える光景があった。

木造部分は完全に朽ちていた。しかしコンクリートの骨格だけが残り、その周りを無数の植物が巻きついている。

上空から見ると、緑に覆われたコンクリートの骨格が、一輪の花の形を描いていた。

「まさか」

調査の結果、すべてが明らかになった。

木が時間差で朽ちる速度。20年後、60年後、100年後―それぞれのタイミングで光が届き、異なる種が芽吹くよう設計されていた。

木は樹齢と同じ年数をかけて強くなり、また樹齢と同じ年数をかけて朽ちていく。その自然の法則を、建築に織り込んだ。

「建築じゃない。これは時間の彫刻だ」

図司 暦人は呟いた。

コンクリートという永遠と、木という移ろい、そして種という未来―三つの時間軸が、一つの形で共存している。

「変わらないものはない。だから砂倉は、美しく変わる建築を作ったんだ」

砂倉の遺した資料には、一枚の写真が挟まれていた。幼い少女が、小さな花を握りしめている写真。

裏には、震える文字でこう書かれていた。

「娘へ。また咲いたよ。100年かかったけど」

 

建築家は知っていた。自分が完成を見ることはないと。

それでも種をまいた。夜明けの空に、未来への問いかけとして。

変わらない骨格と、変わり続ける生命。その矛盾こそが、人が生きた証だと信じて。

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風化の織 木工槍鉋 @itanoma

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