第3話

「……ここにも、いない……」

 そんなことを呟きながら、俺は消え掛かった字で『資料室』と書かれている部屋を後にする。

「……一体、何処に行ったんだろ……俺を置いて先に帰る、なんてことは……流石にしないと思うけど……」

 次の部屋に続く扉を開けようと、ドアノブに手を掛ける。すると、今までのドアノブとは、明らかに違う感触を感じ取り咄嗟にドアノブから手を離す。

「何これ! ……って……なんか、濡れてる……?」

 恐る恐る、手を自分の方へと向ける。そして、咄嗟に握ってしまった握り拳を解き、掌を確認する、と……俺の掌には、赤黒い『何か』がベッタリと付いていた。

「ヒッ……!?」

 自分でもびっくりするくらい情けない声を出しながら、俺の視線は掌からドアノブの方へと移る。すると……先程までは、本当に何も無かった……なんの変哲も無いドアノブだった筈のものが……いつの間にか、赤黒い『何か』がベッタリと付いた、人間の『手』になっていた。

「ッ……!? な、何、これ……!?」

 俺の恐怖と怯えを含んだ声が、月明かりに照らされている廊下に響き渡る。

「い、意味わかんないって……! は、早くあの子探して帰らないと……ッ!? う……動いてる……!?」

 ドアノブの位置に生えている、人間のものにしか見えない『手』が、俺のことを誘う様に、こちらに来い来いと、その『手』を拱いている。

「い、いやだ! 俺はそっちに行かないぞ……!!」

 拒絶の言葉を反射的に叫ぶと、『手』は一瞬動きを止め……大きな音を立てて、扉に『手』を打ちつけた。

「ヒッ……!? ビ、ビビらせても、結果は同じだぞ……!? ……俺は、絶対に『そっち』には行かない……! だから、諦めて……ッ」

 扉に、手形の形にベッタリと付いた、赤黒い『何か』が、ゆっくりと文字を型取りだし、俺はその文字を恐怖に煽られながらも、俺はゆっくりと文字を読み進める。

『あの、こは……あずか、った。かえし、てほしくば……めの、まえの「トビラ」をとお、れ』

「なッ……!? ……そ、そんな嘘には騙されない……! ……お、俺に……この扉を通っ欲しいなら……彼女が『そっち』に居るって証拠を、出せ……!!」

 強気のふりをして、目の前の扉に叫ぶ。実際は、手も足も、震えていてとても情けないけど。でも、相手にバレなければ、どうってことないんだって思うから。

『……わか、った……な、ら……』

 扉の文字が動いて変わるのと同時に、いきなり扉の『手』が、俺の手を掴む。

「ッ……!? はな……!?」

 俺が「放せ!」と言葉を言い終わる前に、『手』に掴まれた場所から、何かが俺の腕を這い、頭の方まで一気に上って行った感触がして、俺はその感覚の気持ち悪さに吐きそうになり……咄嗟に『手』に掴まれていなかった方の手で自分の口元を覆う。

「うぐッ……!!」

 吐き気を必死に抑えながら、未だ『手』に掴まれたままの腕を必死に振ろうとする。しかし、扉に生えている『手』の力の方が強いのか、俺の腕は殆どその場から動かない。

「(ッ……! なんで……!!)」

 そして、俺が混乱していることを感じ取ったのか、目の前の扉の文字が変わって行く。

『あば、れるな。これ、は……おま、えが……のぞん、だこと、だ』

「ッ……こんなこと、望んでなんて……!!」

『……わた、くしに……のぞんだ、でしょう? あのこ、が「こっち」にいるしょう、めいを』

『そ、う……これ、は……おま、えがのぞ、んだ……だい、しょう』

『きみ、が……のぞんだ……だいしょう』

「……そんな、わけ……」

 俺が呆然と目の前の文字を追っていると、突然……後ろから「……あるよ」という……幼い男の子の声が聞こえた。

「ヒッ……今度は何……!?」

「……なさけないなぁ……こんなこどもに、おどろくなんて」

 そう言って、男の子は……俺が『手』に掴まれている方の腕を触ってくる。

「……あ〜あ。ぼく、もっと……いきたかったなぁ……」

『だ、めだよ』

『だめ』

『きみ、は……だい、しょう』

「わかってるよ。でも……少しくらい、ぐちってもいいじゃん?」

 ……まだ舌足らずな喋り方なのに……とても大人びている様子の少年が、俺の服の裾を引きながら「ね、しゃがんで?」と警戒心なんてまるで無い様子で、喋り掛けて来る。

「……しゃがんでくれないの?」

「え、あ……は、い」

「……ぷっ……あはは! こどもあいてに、こわがりすぎだよ!」

「……怖くないよ」

「え? ……ぼくあいてにうそついても、な〜んにも、いいことないよ?」

「……うん。それは……何となく理解してる。だから……これは嘘じゃない。本心だよ」

 少年の信じられないと言いたげな顔を見て、少しだけ苦笑いが込み上げてくる。

「……君はそんなに、俺の言葉が信じられないの?」

「……ううん。ただ、ちょっと……さっき、ぼくの声におどろいて、なさけないひめいを出した人には、とうてい思えないなぁって……そう考えてただけ」

「う……で、でも! 誰だって、誰もいないと思っていた後ろから、急に声掛けられたら……悲鳴出ると思うよ……!?」

「あはは! それもそうだね〜」

 笑いながら、俺の言葉に答えてくれる幼い少年。その少年を見ていると、月を見た時と似たような安心感があって……こんな場所に、なんでこんな小さな少年が居るのか……そう言うことは、必死に考えない様にしていた。

「……ね、おにいさん。おにいさんは……ちゃんと生きてね」

「え?」

「ぼくは、もうここまでだから。ここから先は、おにいさんがたった一人で、あの子を探さないといけない……でもね、なんにもヒントないのは、かわいそうっておもうから……だから、ひとつだけヒントをあげる」

「ヒント……? 一体、なんの……」

「あの子の、なまえだよ」

「……え? ……君、あの子の名前知ってるの……!?」

 俺が少年の言葉に動揺していると、少年は何かを諦めた様な顔をして、俺に向かって言葉を続ける。

「うん。知ってるよ……だから、ヒントを出すんだよ。おにいさんには、あの子といっしょに……ちゃんと、かえってもらわなくちゃいけないから」

 そんな言葉と共に、少年は俺の自由な方の手を握る。その手は……少年が腕に触れて来た時よりも酷く冷たくて……俺は唐突に理解した。この少年は、俺のせいで命を『あちら側』に持って行かれてしまったから、こんなに冷たいのだと。

「……ごめん」

「……別に、あやまらなくていいよ。これは、ぼくがした……せんたくだから」

 繋いでいる手とは反対の手を、俺の額に当てる少年を、少しだけ不思議に思いながらも、俺は問いかける。

「……その選択に、後悔は無いの?」

「……ないよ。ぼくは……きみとあの子を……たすけられれば、それでいいから」

 そう言い切った少年の顔は、まるで……弟を守る覚悟を決めた、兄の顔だった。

「さぁ……もう、じかんがないよ。さっさと……あの子をみつけてかえってきて!」

 少年が声を上げると、その声に呼応する様に目の前にある扉が、ゆっくりと開いて行く。

「……その『手』は、おにいさんをあの子のもとまでみちびいてくれる」

 少年の言葉に、少しだけ戸惑いながら頷いて、俺は後ろを振り返る。その視線の先……扉が開いた先に有るのは……暗闇、という言葉では到底、言い表す事など出来ない……漆黒だった。

「ッ……!? ……この先に、あの子が……」

「そうだよ……だいじょうぶ。おにいさんなら、ぜったいにみつけられるから」

「……分かった。……それじゃあ……行ってきます!」

「ッ……! う、ん。行って、らっしゃい」

 名残惜しい気持ちはあったが、俺は一度も後ろを振り返らずに、扉の中へと歩を進めた。


「……何も、見えない……いや、無い、のかな……?」

 扉の中の空間は、扉の外から見た時と何も変わらない……何処までも続く、漆黒だった。

「……ここの何処かに、あの子が居る……あの少年のことを、疑う訳じゃないけど……本当に、この『手』が、あの子の元に導いてくれるのかな……」

 何も見えない漆黒の中。謎の『手』に腕を引かれ、歩きながら俺は一人で考えを巡らせる。

「(……なんで、あの少年の近くは酷く安心出来たんだろう? もしかして、あの女の子と同じように記憶を失う前の知り合いだったのかな……って思ったけど……この場所には、あの子と『二人』で来た筈だし……偶然居たって訳でもなさそうだったし……それに、あの少年は……俺のせいで、自分の命を……)」

 自分の思考が悪い方に寄っていっているのが分かる。しかし一度でも嫌な考えが頭を過ってしまうと俺一人では止められない。

「(そもそも、俺が……あの子から目を離さなければ……!!)」

 そんなことを一人で考えて、遂には自分で自分を責め始めてしまった時。今までは、音も何も無かった空間に一陣の爽やかな風が吹いた。

「……あの子だ」

 直感的に、あの子の『風』だと感じ取った俺は、腕を掴んでいる『手』の方を勢い良く見る。

「連れてってくれ! あの子のところまで!!」

 そう、俺が叫んだ、次の瞬間。俺は……すごいスピードで、漆黒の中を飛んでいた。

「は? なんだ、これ……!? どうなってるんだ……!?」

 混乱を極めてしまった俺は、結局「なんなんだよ、これ〜!?」と叫びながら、漆黒の中をしばらくの間、飛び続けていた。


「……よ、漸く止まった……! でも、止まったってことは、この近くにあの子が居る筈!」

 そう、自分なりの考えを呟いて、俺は辺りを見渡す。すると……淡い光を纏ったまま地面に倒れている、あの子を見つけた。

「ッ! 見つけた!」

 見つけた女の子に駆け寄って、俺は……少年に教えてもらった、あの子の名前を呼んだ。

「ッ……『美咲』!! 一緒に帰ろう!!」

 ……俺が、美咲の名前を呼んだ瞬間。漆黒の世界が、光に包まれる。

「何……!?」

 俺が目を瞑った直後。俺の耳には『ひさしぶりにはなせて、たのしかった。ありがとう』と言う優しい声が……聞こえた気がした。

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湊の不運 悠月蒼歌 @hinata11

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