第3話 長い一日の始まり
ザッザッザッザッザッザッ
はぁ、はっ、はぁ、はぁ、はぁ
暗い森の中、ジィンの足跡と短い息が抱きしめる腕が、静かさの中に広がる。
「リリウム様、これからは孤児で私の妹、リームとして過ごす事になります。場合によってはお側を離れる事になるかも知れません。でも必ず見守っています。信じてくださいますか?」
その切実な、声が、あまりにも悲しかった。
目をぎゅっと瞑って涙を堪えた。
「はい。ジィン兄様」
ジィンのリリウムを抱く手に更に力がこもった。
「聞き分けが、良過ぎます。リリウム様、もっと、あなたのわがままを聞きたかったのに、いつだって、、、」
「リーム早く支度しなきゃ!」
そう言って同室のヤニャナに起こされた。
ジィン!と叫びそうになって、声にならなかった。
「今日はあんた受付でしょう!髪まとめてあげるからほら起きて」
「久しぶりに、みた、」
「えー?なんて?夢見たの?またお兄さんの夢?」
「…うん。えっ?ヤニャナ?」
「そうよ!あんたの姉役のヤニャナ!お兄さんの夢見てる暇なんて無いのよー起きなさい!」
「うわーごめんなさい寝ぼけてた!ひゃー起きなきゃ」
慌てて飛び起きて、使用人の制服に着替えながら、今はもう、1人でここで働いているのだった、ここにジィンはいない。そう自分に確認した。
青の杭の長の大邸宅。
今日は大陸の大商人を集めての宴がある日だ。
1ヶ月前から準備が進められて来た。
昨日まで忙殺されて夢など見もしなかったのに、驚くほど現実的な夢だった。
まるであの日に、7年前のあの日に戻ったかの様な。
この邸宅に住み込みで働き始めたのは、15歳、2年前からだ。3つ年上のヤニャナは来たばかりの頃から同室で、よく世話を焼いてくれる。
またふと、意識が飛びそうになって、頭を振った。
「ヤニャナ、髪をお願いします!」
ヤニャナは手先が器用で、来賓の身支度などをよく受け持っている。
リームは使用人の中でも最も字が美しいと認められて、その能力を買われてこの屋敷の使用人となれたのだ。
こういった宴が催されると、必ず招待状係になり、当日は受付に回され、招待状の確認、記入を担当する。
ただ、字を書く読む以外にはあまり上手い事が無く、未だに自分の髪も上手く纏められない。
普段は人前に出ないのでなんとなく纏まっていれば良しとされているが、今日は受付に立つのだ。きちんとしておかなくては、屋敷の品位が疑われる。
その度に姉御肌のヤニャナは張り切って髪を結ってくれるのだ。
「これでお化粧が出来れば、その辺のご令嬢に負けないのに。でもそれじゃぁやっかまれちゃうわね。ドレスアップした女性達に使用人服で勝っちゃうなんて、変な人に目を付けられたら大変だわ!
あ、前髪は下ろしておかないと、奥様に叱られる」
「ふふふっ。ヤニャナ、1人で何を言ってるのかわからないわ」
口と手が同時に動くヤニャナに思わず笑ってしまう。不穏な夢の心のざわつきが少し収まった。
「やーね、褒めてるのよ!リームは磨けば光る。でも光ると虫が寄ってくるからね。奥様のご心配も解るわー旦那様に近づけたく無いわよねー」
「どう言う事?私何か旦那様に失礼をしてしまったの?」
別の心配を始めるリームに、ヤニャナは呆れる。
「もう、わかんなくていいわ。とにかく、不用意に男性に近づいちゃダメだからね!」
「お客様に男性はたくさんいらっしゃるわよ、全員の招待状を確認するのに近づかないのは難しいわ」
「あぁもうっ。受付のカウンターからは出るなって事よ!話しかけられても知らない人について行っちゃダメだからね」
ピシッと言われて背筋が伸びる。
「私、もう子供じゃないわ」
不貞腐れた様にリームは呟く。
そう言う所が、と言いかけてヤニャナは止めた。
「ほーらできた!さぁ、まずは朝御飯に行くわよ」
ぽんっと肩を叩かれて、部屋の戸を開けるヤニャナに遅れないよう、慌てて立ち上がった。
「まって、ヤニャナ」
長い一日の始まりに、慌ただしくも楽しいヤニャナとの会話に、心が日常に戻っていく。
これからも続くと思っていた、この屋敷での日常に。
その祐筆は優秀である。 底無しビューティー @Chiyo-one-note
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