第3話 出会い
フレア広報との合同プロジェクト。
内容は、新製品「アクアシールド」の広告キャンペーン企画。
翔真の商社が扱う製品を、フレア広報がブランディングするという形だ。
会議室には十数名のスタッフが集まり、前方のスクリーンには製品のロゴが映し出されている。
その中央で、プレゼン用のマイクを握るのが——新田美桜だった。
「えっと、こちらが今回のキービジュアル案です! “都会の雨にも、強く、美しく”というコンセプトで……」
彼女の声は澄んでいて、よく通る。
言葉の端々に情熱があり、身振り手振りも自然だ。
翔真は資料をめくりながら、黙ってその姿を見つめていた。
周囲のスタッフがメモを取り、相槌を打つ中、彼だけは無表情のまま。
だが、美桜がふと彼の視線に気づくと、ニコッと笑って言った。
「……相沢さん、どう思われます?」
会議室の空気が一瞬、ピリッとした。
氷のエースが、直に意見を求められる——珍しい。
翔真はわずかに眉を上げ、静かに答えた。
「悪くない案です。ただ、“美しく”という言葉に頼りすぎている気がします。
強さと美しさを両立させるなら、もう一歩、現実的な視点が必要でしょう。」
「現実的な……視点、ですか?」
「そう。雨の中で傘を差すモデルより、ずぶ濡れでも笑ってる人間の方が、心を動かす。」
その瞬間、会議室が静まり返った。
誰もが息をのむ中、美桜だけが嬉しそうに笑った。
「いいですね、それ! “強さは、濡れても笑える心”……。あ、キャッチコピーに使えそう!」
翔真は思わず口元を緩めた。
——この女、ただの明るい人間じゃない。
直感で、そう思った。
会議が終わると、美桜が翔真のもとへ駆け寄ってきた。
「相沢さん、先ほどの意見、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」
「構いませんが、メールで——」
「メールじゃイヤです。直接、聞きたいんです!」
その笑顔に押され、翔真は観念したように頷いた。
打ち合わせ後、カフェで二人きり。
店内はガラス越しに柔らかな午後の日差しが差し込み、コーヒーの香りが心地よい。
「それで、“現実的な視点”って、どういう意味だったんですか?」
美桜はノートを開き、真剣な眼差しを向ける。
「広告って、理想を描くものだと思ってる人が多い。でも、共感を生むのは“少しの不完全さ”だ。
人間は、完璧よりも“欠けた美しさ”に惹かれる。」
「欠けた……美しさ……」
翔真の言葉を繰り返しながら、美桜は少し考え込んだ。
そしてふと、いたずらっぽく笑った。
「それ、相沢さん自身のことですか?」
「俺の?」
「はい。“完璧に見えて、実は欠けてる”って感じします。」
翔真は返す言葉を失った。
彼女はまっすぐに、彼の心の奥を覗くように見ていた。
どこか無邪気で、けれど核心を突く目。
「……そういう分析、得意なんですか?」
「いえ、ただの勘です。でも、当たってる気がします。」
翔真は、思わず視線を逸らした。
こんなふうに、自分の内側を覗かれるのは久しぶりだった。
その日から、美桜と翔真は仕事で何度も顔を合わせるようになった。
彼女はいつも明るく、素直で、少し天然。
会議の空気をやわらげ、誰からも好かれる存在だった。
一方、翔真は相変わらず冷静沈着。
だが、美桜だけは彼の表情の“わずかな変化”を見逃さなかった。
「相沢さん、今ちょっと笑いましたよね?」
「笑ってない。」
「え〜、口角、上がってましたよ?」
「それは誤認識だ。」
「その言い方がもう笑ってます!」
周囲の社員たちは、そのやり取りにくすくす笑っていた。
“氷のエース”が溶けていく——そんな噂が、社内で少しずつ広まり始める。
ある日、プロジェクトの進行確認のため、二人は夜まで資料作成をしていた。
時計はすでに22時を回っている。
「すみません、こんな時間まで付き合わせちゃって……」
「構わない。どうせ帰っても仕事しかない。」
「それ、ちょっと寂しい台詞ですね。」
美桜はパソコンを閉じ、コーヒーを飲みながら小さく笑った。
「私、仕事も大事ですけど、“好きな人と笑ってる時間”が一番大事なんです。」
翔真は、一瞬だけ手を止めた。
“好きな人”——その言葉が、胸の奥に鋭く刺さる。
十年以上前の記憶が、ふとよみがえる。
紗英の笑顔、あの夏の風、そして——裏切りの瞬間。
「……相沢さん?」
美桜の声で、現実に戻る。
「いや、なんでもない。」
「もしかして、昔、恋愛で嫌なことありました?」
その問いに、翔真は思わず苦笑した。
「鋭いな。」
「勘がいいんです。女性って、そういうの察しますから。」
美桜は悪戯っぽく笑いながら言った。
「でも、過去の誰かが相沢さんを“氷”にしたなら……、私が少しずつ溶かしますね。」
その瞬間、翔真は何も言えなくなった。
彼女の言葉が、胸の奥で静かに波紋を広げていく。
帰り際、エレベーターの前。
美桜がふと、ポケットから飴玉を取り出した。
「はい、今日頑張ったご褒美です。」
「飴?」
「うん。“ミント味”。氷が溶ける味ですよ。」
そう言って、彼女はウインクした。
翔真は、何年ぶりかに、ほんの少しだけ笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます