第2話

午前八時半。

 商社「東邦トレーディング」本社。

 エントランスを抜けると、すでに部下の佐伯が待っており、慌てて駆け寄ってきた。


 「相沢主任! 昨日のプレゼン資料、先方の担当が急に仕様変更を——」

 「分かった。三十分で直す。プロジェクターは俺が持って行く。」

 「えっ、でも相沢さん、今日の会議は——」

 「心配するな。両方やる。」


 そう言い切ると、翔真は無駄のない動作でPCを操作し始めた。

 手早く修正を加え、データを送信する。

 彼の指先はまるで職人のように正確で、周囲の社員たちは思わず見とれていた。


 「……ほんと、完璧超人ですね、相沢さん。」

 後輩の女子社員が呟く。


 翔真は顔を上げずに返す。

 「完璧じゃない。ただ、ミスが嫌いなだけだ。」


 その一言に、オフィスの空気が少しだけ静まり返った。


昼休み。

 部下たちはランチに出かけていく。

 翔真は一人、デスクでサンドイッチをかじりながら、プレゼン資料の修正をしていた。


 そんな時、課長が声をかけてきた。

 「相沢、来週の合同プレゼン、担当変わったからな。取引先の“フレア広報”と組むことになった。」

 「フレア広報……ですか。」

 「そう。新しく担当になった女性がいるらしい。明るくて評判いいみたいだぞ。相沢みたいな無表情男には、ちょうどいい刺激になるんじゃないか?」

 「……刺激は、仕事の中だけで十分です。」


 課長は笑いながら去っていった。

 翔真は無表情のまま、コーヒーを口に運ぶ。

 だが、どこか心の奥に、小さなざわめきが生まれていた。



 その週末。

 翔真はフレア広報との初回打ち合わせのため、都内のイベントホールへ向かった。

 受付で名刺を差し出すと、受付係の女性が笑顔で頷く。


 「お待ちしておりました、相沢様。担当の新田がすぐに参ります。」


 そう言った瞬間、背後から明るい声が響いた。


 「すみません! お待たせしました!」


 振り向くと、そこに立っていたのは、肩までの茶髪をふわりと揺らす女性。

 白いブラウスにベージュのタイトスカート。

 表情は柔らかく、どこか子犬のような愛嬌があった。


 「フレア広報の新田美桜です。よろしくお願いします!」

 翔真は一瞬、言葉を失った。


 明るい笑顔。屈託のない瞳。

 どこか無防備で、他人の心にすっと入り込むような存在感。


 「……相沢翔真です。よろしくお願いします。」

 「相沢さんですね! 噂、聞いてます。『氷の営業マン』って!」


 「……余計な噂が好きな人が多いようですね。」


 美桜は悪びれもせず笑った。

 「いいじゃないですか! 氷も、溶けたら水になりますよ?」


 ——その一言に、翔真の胸がわずかに揺れた。

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