恋を忘れたエリート ー氷を溶かすミント味ー
@cococh
第1話
朝の六時半。
東京・虎ノ門の高層マンションの窓辺から、相沢翔真はゆっくりとブラインドを開けた。
眼下に広がるのは、霞が関のビル群と、薄く朝靄をまとった都心の街並み。
コーヒーメーカーが静かに湯気を立てる音だけが、部屋に響いている。
黒のスーツにネイビーのネクタイ。鏡に映る自分を見て、翔真はネクタイをわずかに締め直す。
無駄がなく、どこか冷たい完璧さ。
彼の部下たちはよく言う——「相沢主任は、まるで人間じゃないみたいです」と。
翔真は、誰もいない部屋の中で、苦笑した。
「……人間じゃない、か。」
確かに、そう見えるかもしれない。
入社以来、営業トップの成績を維持し続ける。クライアントとの交渉は一発で通す。
社内では“氷のエース”と呼ばれている。
女性社員からの視線も、ランチの誘いも多い。だが、彼は一度もプライベートな誘いを受けたことがなかった。
理由は、ひとつ。
——恋愛ができないからだ。
高校三年の夏。
当時の恋人、早瀬紗英。
成績優秀で、吹奏楽部の人気者だった。
翔真は、彼女のことを本気で愛していた。
だが、ある日、彼女が他の男と抱き合っているのを目撃してしまった。
それが彼の中で“恋愛”というものを完全に壊した。
「感情なんて、信じるだけ無駄だ。」
そう言い聞かせ、仕事に逃げるように生きてきた十数年。
気がつけば、三十歳。
同期たちの多くは結婚し、家庭を持ち、翔真だけが残された。
だが、寂しいとは思わない。
そう自分に言い聞かせることで、今まで保ってきた。
……その朝も、いつも通りだった。
スマートフォンに届くのは、取引先の確認メールと、上司からのスケジュール変更。
予定を頭に入れ、コーヒーを飲み干す。
冷めた液体の苦味が、心地よい。
マンションを出ると、秋風がスーツの裾を揺らした。
「今日も、仕事か。」
誰に言うでもなく呟いた声が、都心の喧騒に吸い込まれていった。
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