第11話 事故

 そして、三度目の事故が起きた。それは、娘が上京して三年目の冬だった。その冬一番の寒波の到来で、みぞれ交じりの雨が降っているような晩だった。遅くなるような話は聞いていなかったのに、十時を回っても妻は帰宅せず、何の連絡もなく、私の送ったメッセージにも返信が無かった。私は家の前を減速しながらこちらに近づいてくる車の音がすると、窓のカーテンを開けて外を覗いたりもしたが、いつも車はうちの前をするすると通り過ぎて行くだけだった。

 十一時近くなった。何度目かの接近音に窓辺に寄って外を見ていると、車体の上に赤い点滅灯を光らせたパトカーが止まった。サイレンは鳴らしていなかった。エンジンを止めると警官が二人降りて来て門扉の前に立った。私は驚いた。慌てて玄関に向かううちに呼び出しのチャイム音がしたが、放ってそのまま外に出た。

 向かい合うと、警官の一人が言った。

「夜分にすいません。こちらは、佐々木志乃さんのご自宅で間違いありませんか。」

 胸が、どきんと、音を立てたように思った。

「はい。」

「失礼ですが、志乃さんの御主人さんでいらっしゃいますか。」

「はい。」

 妻が無事なら、電話がかかるだろう。突然、警官がやって来るはずがない。

 そこから先の会話を、私はよく覚えていない。思念と世界とが共にぐるぐると回り始め、私は自分が現実の世界にいないのではないかと感じていた。聞こえてくる言葉の意味を、嘘だ嘘だと否定しながら、呆然と、流れ込んでくる情報を受け留めていた。事故があった。車体の損傷は激しく、大きな怪我をした。懸命に救出したが、助けられなかった。

 助けられなかった?

 警官が、確認した。

「ご家族の方は、他にいらっしゃいませんか。お子さんとか。」

「いえ、私一人です。」

 多分、私はうわごとを言うように答えた。

「そうですか。よろしければ、病院までお送りします。今はご自分で運転なさらない方がいいと思います。」

 警官は、私の動揺の激しさがそれほど明白に見て取れたのか、それともこんな時にはそうするのがセオリーなのか、そんなことを言った。

「お願いします。」

 私にも、自分がとても運転できる状態にないことはわかった。

「上着を着てらしてください。寒いですから。」

 警官は、ゆっくりとそう言った。

 人の命とか人生とかいうものは、こんなにも簡単に失われてしまうものなのだろうか。

 病院までは、三四十分かかったと思う。車内で、私も、二人の警官も、何も話さなかった。聞きたいことはいくらもあったが、一番大切な答えは既に告げられていた。私は、その言葉をもう一度聞くことに繋がる全ての問いを、口にすることが出来なかった。ただ思っていることは、何が起こっているのだろうという当惑だけだった。発生した出来事は明確に伝えられているのに、不思議な感覚だった。自分の手が確かにそれを握っているのを目の前で見つめながら、その手が何かに触れている実感が全く感じられない、そんな感じだった。頭も心も麻痺して、まるで、ただ自分の肉体だけが、石化してそこに置かれているようだった。

 病院の救急口に車がつけられても、私は到着したことを認識していなかった。先に降りた警官が、反対側に回って私の横のドアを開け、

「着きましたよ。」

と声をかけ、私はその人の目を見て、初めて、ああ、降りなくてはならないのだと思った。地に足を着けると、その警官は私の左側にぴったりと体を着け、右手をそっと私の背に回して、重心を失おうとする私の体を支えた。

「大丈夫ですか。歩けますか。」

と、彼は訊いた。

「すいません。大丈夫です。」

と、私は答えたと思う。

 出て来た白衣の人に導かれて、私と寄り添う警官と、ゆっくりと病院の廊下を歩いた。白衣の人が男性だったのか、女性だったのか、覚えがない。ただその人は、初めすたすたと先を進んだが、一度振り返ってまったく追いつけない私たちに気が付き、後は歩みを和らげ、時々私たちを待つようにしながら進んだ。

 時間が、停止していた。慌てて進まないと間に合わない何物も無かった。けれども、進むことを促された。

 私は、止まりたかった。歩くのを止めて、その場所で立ち尽くしていたかった。どこにもたどり着きたくなかった。けれども、停止しようとする足を押し出させるように、背中に置かれた警官の手が、そっと私を押し続けた。

 ある部屋のドアの前で、白衣の人が立ち止まった時、私は、ああ、と声を出した。ああ、ともう一度声を出し、うなだれて足元の床を見つめた。ああ、と、声と共に既に涙がこぼれ始めた。ドアが開けられても、私はそこに入ることが出来なかった。

 唾を飲み込む音を喉元でさせて、それを見つめていた警官が言った。

「お辛いでしょうが、・・・確認していただけますか。」

 気が付くと後ろについて来ていたもう一人の警官が、同じように私の体を支え、そっと、ゆっくりと、私を先へと促した。

 広い部屋には、中央にベッドが一つ置かれていた。

 白いシーツが掛けられ、それは、人の体の形に膨らんでいた。

 警官と共に、ベッドの向こう側まで歩いた。

「奥さんに、間違いないでしょうか。」

 警官が言った。白衣の人がシーツを少しめくり、横たわる人の顔を見せた。

 妻だった。

 私は、慟哭した。

 とめどなく流れ出る涙をぽたぽたと床に落としながら、もうどんなに支えられていても立っていることは出来ず、抑えきれない声を上げて泣いた。ただただ、慟哭した。わあわあと、声を上げて、泣き続けることしか出来なかった。


 警察による遺体の検分に一日を要し、二日後に通夜、その翌日に告別式を行った。親戚と職場に連絡をし、娘を呼び返した。私は何を考えることも出来ず、ただ葬儀屋が出してくれる指示に従い、あちこちに電話をし、あれこれの書類にサインをし、判を押した。覚えているのはそれだけだ。葬儀には、妻の今と過去の同僚たちに、教え子も大勢集まってくれたが、多くは私の見知らぬ人たちだった。それでも、悔やみの言葉をかけられ、涙を流してもらえれば、旅立つ妻が寂しがらずに済むように思い、集まってくれた人々に感謝した。けれども、人々の去った後、私の悲しみを分かち合ってくれる人はどこにもいなかった。急遽帰郷した娘も、始終泣いていたが、私と言葉を交わすことは頑なに無かった。自宅に戻り最初に妻の遺体と対面して泣き崩れる娘の肩に手を回した時にも、娘は黙って、激しくその手を振りほどいた。それから、葬儀の二日後に再び東に戻るまで、娘はほとんど口を開かなかった。家を出る時に、

「学費と仕送りは、心配しなくてもいいから。」

と、それだけは言ってやらなくてはならないと声をかけたが、娘は、

「お母さんが可哀想。」

とだけ、呟いて返し、また涙を流した。

 私には、娘の言葉の意味が分からなかった。その後に何度も考えたが、わからなかった。

 娘は、自分の部屋にあったものをケースと鞄にたくさん詰め込んで、帰って来た時の数倍の荷物を手に首都圏に帰って行った。娘は、もう二度とこの家に戻らないのではないか。そんな予感を、私は感じた。


 行わなければならない手続きが、たくさんあった。私は、昼間はそれを一つずつ片付けて行った。なるべく妻のことは考えないでいた。それでも一瞬、迂闊にその顔や声を思い浮かべてしまうと、涙がこみ上げて来て、暫く収まらなかった。役所や銀行の窓口の人に名前を呼ばれても止まらず、その度に相手を戸惑わせてしまうので、私は、外では必死に、妻の姿を心から追い出していた。けれども、家に戻ると辛かった。顔を上げると、カウンターの向こうの台所に妻が立っている気がした。グラスを持つテーブルの向こうにも、妻が据わっている気がした。誰もおらず誰の声もしない空間に一人いて、私は、ただ、お前はどこに行ってしまったんだと呟き続けた。酒を飲まずにはいられなかった。けれども、何度酒を注ぎ直しても、心が麻痺することは無かった。酔って足元が揺れるようになっても、私は飲み続けた。そうして食卓の椅子に座ったまま眠りに落ち、途中、ふと目覚めると、ふらつく足取りで二階にある寝室へと向かった。ゆらゆらと揺れながら階段を上る私に、大丈夫かと声をかけてくれる妻も無い。酩酊した頭でもそんなことを思い、また涙を流しながら、寝室のベッドに倒れ込んだ。隣には、無人のベッドがもう一つ並んでいる。私は声を上げながら泣き、そのまま眠りに落ちた。

 飲み過ぎた翌朝は、目覚めも遅く、昼近くに起き出してみても、頭にははっきりと酒が残っていた。とても車を運転できる状態ではなく、提出するべき書類を出しに行くことも出来ない。忌引きの休暇は限られており、授業もそうそう空けるわけにはいかなかった。空いた授業は、自習にするわけにはいかず、基本的には他の教員が代わって授業したり、他の教科に振り替えられる。その分、私の授業は遅れ、休暇が明けた後、追いつかなくてはならない。ただでさえ余裕のない授業展開を進める中で、それはなかなか大変なことだった。

 私は、悲しみの中でさえそんなことに追い立てられなくてはならないことに疲れながら、書き出したメモの項目を一つずつ消して行った。それを消し終えるためには、酔い潰れて翌日を駄目にしてしまう余裕は無かった。けれども、それでよかったのかもしれない。そのままいつまでも休んでいることが許されれば、私はきっと、当分の間、昼間から酒を飲み、何もせず、ただ飯を食い、寝、酔いの中を漂う時間をずっと過ごしていたかもしれなかった。

 何が起こっても、生きて行かなくてはならない。職場に戻って、以前のように仕事をこなさなくてはならなかった。悲しみに浸り続けている余裕など、ありはしなかった。それは、とても、とても辛いことに思えたけれども。

 翌週から、私は出勤した。憔悴した様子は周囲にもはっきりと感じられたろう。言葉少なないたわりの後はとり立てて気遣われることもなく、ただ、何でもない世間話を振られることも無かった。普段なら時折聞かれる若い教員のはしゃいだ会話も、私の近くでははばかられているようだった。私は、仕事がらみのことばかりだったが、意識的に隣席の同僚に話しかけるようにした。私が搔き乱した日常を、修復するのは私の義務であるように感じた。そしてその努力はいくらかの効果を上げているようで、私を取り囲む世界が少しずつ緊張をほぐして行くのを、私は感じていた。

 けれども、校門を出た後、家に戻るまで、涙のこみ上げるのを我慢できる日は、その後、当分の間、無かった。


 妻を亡くした悲しみは、癒えることは無かった。あるはずも無かった。

 娘は翌年、大学を卒業し、そのまま関東で職を得た。娘の言った、妻が可哀想だというあの言葉は、結局何を意味するのかは分からなかったが、私は考えることを止めた。よくよく考えれば、私と妻との時間の大半を娘は知らないのだった。娘が幼い時には、娘を先に寝かせてから、私たちは一番心の通う話をしていた。中学生になると、娘は自分の部屋にいる時間が多くなった。その娘の目に映る私たち夫婦の姿は、どんな風に見えていたのだろう。私は、娘のことには無頓着で、時折偉そうに親父風を吹かせる、自分の困難すら乗り越えることの出来なかった、だらしのない人間に見えていたのだろうか。そして、母一人が、苦しみと戦いこの家を支え続けた、頼もしい人に見えていたのだろうか。

 私はもう、それでもいいような気がしていた。妻が、この子にそうして愛され続けるのなら、それでいい。

 父としての寂しさはあった。妻の不在で失われた隙間を埋められるのは、血の繋がった娘以外にはいないから。けれども、何かを話し合ったからと言って、彼女の心に作られた私の姿を変えられるようには思えなかった。

「いずれわかるよ、あの子も。まだ十年くらいかかるかもしれないけど。」

 妻はそう言ったけれども、私にはその日が来るようには思えなかった。世の中は、多分、そんなに美しく出来てはいない。


 洗濯をし、掃除をし、買い物をして、料理をした。心寂しい時には、音楽をかけた。

 私以外に人影の無い部屋では、テレビをつけるのが嫌になった。

 何故だろう。妻の帰りを待つだけの時間には、同じ部屋で、だらだらと中身の無い番組を眺めて過ごすことも多かった私が、待つ相手が無くなった瞬間に、画面から聞こえるはしゃいだ声を虚しく感じるようになった。

 

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