第6話 入院
もう一つの大きな「事件」が起こったのは、それから一年ほどした頃だった。一つ年を取った志樹は、その分、より元気に活動的になった。学童保育に迎えに行くと、狭い室内で走り回っていたりして他の子供たちとはしゃいでいることも多かった。そして、私も妻も、まだ夏というには早いその季節に、志樹が大量の汗をかいていることに何の違和感も感じないでいた。この子は、本当に汗っかきな子だなぁと思っていた。私が発汗の良い体質だったので、それが遺伝したのかなぁと、とても自然に納得していた。
けれども、ある晩、気づいた。気づいたのは私だった。それは本当に偶然だった。けれども、その偶然がその晩に起きなかったら、いったいいつまで娘の異変に気付かないまま過ごしていたろうと思うとぞっとする。
いつものように川の字になって床に就き、眠りに落ちようとした時、ふと見た志樹の髪が濡れていた。特段蒸し暑い晩でもないのに、やけにひどい寝汗をかいているなと思った。パジャマまで濡れてるようなら着替えさせないと風邪をひくな。もっと薄手の物に替えてやるべきなのかもしれない。そんなことを思いながら、そっと布団をはがし、娘のパジャマの首元、胸元を触ってみた。
私はそれでびっくりした。
娘の胸が、まるで全力で五十メートルを走った直後のように、すごい速さで鼓動を打っていた。
異変。その時の感覚を、私は今も忘れない。本当に電気が走った。私の心が一気に緊張した。
「ねぇ、ちょっと起きて。」
と、既に眠りの中にいる妻を起こした。
「志樹がおかしい。急いで医者に連れて行かないと。」
「ええっ?」
妻の心にも電気が走った。
「胸、触ってみて。こんなに脈を打っているって、おかしい。」
妻も娘の胸に触れ、すぐにそれを感じて、ああ、と声を漏らした。
「志樹、起きて。眠いけど、起きて。」
妻は娘の耳元に口を寄せて、柔らかに声をかけながら、優しくその肩を叩いた。娘は、まどろんだ眼をうつろに開いた。
「あのね、これからお医者さんに行くから、眠いけど、ちょっと起きて。ごめんね。」
そうして、まだ半分夢の中にいるような様子の娘の体を起こし、抱き上げて階下へ降りた。私も起きて、後を追った。
私が病院の救急窓口に電話をする間に、妻は着替え、子供の服も支度した。私も同行するつもりで着替えを持ち出した。それを見て、妻は言った。
「あなたは、うちにいて。遅いし、時間がかかるようなら、寝ていて。私は大丈夫だから。明日も仕事だし。私は、何だったら休みを取るから。」
「・・・わかった。」
「電話したりしないから。待たないで寝ててね。」
「寝られないよ。」
「でも、二人とも寝不足だと、よくないから。」
妻は時々、私に有無を言わせない。そんなの、寝てられるものかと思ったが、しかし、それは正しい判断だとも思えた。二人揃って寝不足になれば、その先も妻は私を先に休ませようとするだろう。この人はいつもそうしようとする。だから、私が眠っておかないと、この人はいつまでも休めない。
「わかった。」
と、私は答えた。
「運転、大丈夫?」
「うん。大丈夫。」
じゃ、行って来るね、と言って玄関を出しな、送り出す私に、妻はもう一度、
「寝てね、お願い。大丈夫だから。」
と繰り返した。
「うん。ありがとう。気を付けて。」
娘は、何が起こっているのかわからないまま人形のように着せ替えられて、まだ寝ぼけ眼で立っていた。私はしゃがんで、両方の頬に手を当てながら、
「行ってらっしゃい。」
と、言った。父は一緒に行かないが、ここで見守っていると、そう感じさせてやりたかったのかもしれない。
「うん。」
と、娘は頷いた。状況はつかめないまま、私に愛されていることは、きっと感じてくれたろう。
夜の静けさの中、乗り込んだ二人を運ぶ自動車を、私はその姿が角を回って見えなくなるまで見送った。しんとした夜気が、いっそう私の不安を募らせていた。
いろんなことが起こるなぁ。
やけに冴える月明かりの中、一人たたずみながら、私は心に呟いてた。
結局、妻が戻ったのは二時間ほどしてからだった。言われたように寝ておくべきだとは思いながら、とても寝室のベッドに上る気にはなれず、私は暗くした居間のソファで横になっていた。
玄関の鍵が開けられる音に目を覚まし、体を起こして妻を待った。
妻は一人で帰って来ていた。
志樹はどうしたのかと私が口に出す前に、妻が言った。
「入院だって。」
「え。」
頻脈、ということは心臓?大丈夫だろうか。漠然とそんな連想はしていたが、特に苦しむことも無かった娘の様子に、私は本当に深刻な予想は全く持たないでいた。愚かだったろうか。
「どういうこと?」
尋ねると、妻は聞きなれない言葉を口にした。
「甲状腺の、機能亢進症だって。」
「甲状腺?」
私は、それが体のどこにあって、どんな機能を果たすものなのか、まったく知識が無かった。
「うん。甲状腺ホルモンっていうのを出してて、それが体のいろんな働きを活発にさせてて、でも、それが出過ぎると、心臓とか、余計な負担をかけてしまうんだって。甲状腺、ここにあるの。」
と、妻は喉の前の部分に手を当てて示した。
「言われて見てみたら、確かにのどのところが全体に膨らんでた。全然気づかなかった、そんなの。」
ふう、とため息をついて、うなだれた。
「脈も、行って計ったら、百二十近かった。いつもいっぱい汗をかいてたのもそのせいだって。普通にしてても、激しい運動をした時くらいの負担が心臓にかかってるんだって。」
やけに汗をかく子だなぁ、遺伝だね、きっと、と呑気に話し始めたのはどのくらい前からだったろう。二三か月程度ではなかったはずだった。至らぬ親が目の前にあったその異変に気付かないまま、あの子を苦しませ続けた。そしてもしそのことが娘の寿命を縮めてしまうことになったら、どうしたらいいだろう。いろいろな危惧と後悔が、私の中でぐるぐると回り始めていた。それは、妻も同じだったろう。
あれこれ尋ねようとする私を制して、妻は、
「志樹が待ってるから、すぐに戻らなきゃ。とりあえず着替えとか、取りに来たの。今晩は私、向こうに泊まるね。」
と言い、慌ただしく鞄に必要なものをまとめ、再び玄関へと向かった。
「朝ごはん、出来ないけど、適当にしてくれる?」
「わかった。」
「ごめんね。」
「仕方ないよ。気を付けて。向こうでは、横になって寝られるの?」
「簡易ベッドが貸してもらえるって。」
「なら、ちょっとましだね。」
「うん。じゃ、行って来るね。」
実質的には私は何もしていないのに等しかったけれど、私たちは、他の誰も頼りに出来ない、この世でたった二人の仲間同士で力を合わせて、我が家に訪れたこの突然の苦難に立ち向かっている実感を感じていた。子育てとは、いつもそうだった。子供本人と私たち二人だけしか知らない多くの出来事に直面しながら、いつもその狭い三人乗りの船に乗って、数々の場所を通り抜けて行く。時には傷を負い、癒えたはずでも消えずに残る痕の来歴を互いが心に刻みながら。例の水濡れの靴の事件も、この時のことも、その後の数々の出来事も、一つ一つ私たちの歴史として胸に残り続けた。
この時の、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないという恐れに心震える思いも、私は今、そのまま思い出し、同じように感じ取ることが出来るように思う。娘を抱きしめて、早く気づいてあげられなくてごめんと、私は心から謝りたかった。娘に対して。妻に対して。そしてもしかしたら神に対して。許しを請うから助けてくださいと、叫びたかった。その数時間前に、左の手のひらに感じた異常な速さの心臓の動きもまた、二十年を経た今も私は同じように感じ取れる。それは、悔恨の痛みの実感と共に、娘に対する愛情の実感でもある。失われたくないものが失われるかもしれないということに対する本能的な恐怖がどういうものなのか、私はその時、初めて知った。そして人は何よりも、愛する者を失いたくないのだと、初めて本当に味わった。
翌日の夜、娘のいる病室に行った。私は一度も入院したことが無かった。入院した人を見舞った経験も、あまりなかった。妻から知らされた病棟と階数を頼りに部屋を探し当てると、小さな会議室ほどの広さの部屋をベッドを囲むカーテンで四つに仕切った、その入り口際の区画に妻と娘はいた。
娘は病人とはいえ普段と変わらぬ様子で、ベッドに横たわり子供向けの本を読んでいた。その横で妻は備え付けの小机にテキストを置いて、授業の予習をしていた。そして私の姿を見ると、御苦労さま、と囁き、座っていた椅子を私に譲った。
「いいよ、座ってて。」
「ううん。座って。」
面会時間は終わりに近づいており、他の三人の患者で埋まっている区画に人の気配は無かった。私たちは吐息を吐くように声を潜めて話した。私は座り、椅子をベッドに寄せて、娘に話しかけた。
「しんどくないか。」
「うん。」
うつぶせに横たわり本を眺めたまま、顔だけを少しこちらに向けて、娘は答えた。私はその頭をそっと撫でた。
「ちゃんと眠れたか、ゆうべ。」
「うん。」
「そうか。」
不器用な父は、それ以上何を話したらいいのかわからなかった。
「特に変わったことは無いの。」
妻に訊いた。
「うん。熱も無いし、ご飯も食べられてるし。お菓子とかも、普通に食べていいって。」
「そう。」
「でも、脈はやっぱりまだだいぶ速いの。」
「そうか。」
「今晩は帰るの。」
「うん。簡易ベッドを置いて泊まることも出来るそうだけど、私の体が持たないから。志樹、ごめんね。でも、毎日ちゃんと来るからね、待っててね。」
妻がそう言うと、娘はやはり律儀に少しだけ顔をこちらに向けて、うん、と答えた。
「お休みが取れたら、お昼からいるからね。」
「うん。」
ひたすら本に向かうように見える娘の様子は、頑張って平気を装う姿にも見えた。
「お父さんも、なるべく休みを取って、来るからね。」
うん。
間もなく、八時になり、面会時間が終わった。相部屋なので、この時間は必ず守ってくださいと、看護師からは念を押されているのだと妻が言った。
「じゃあね、よくおやすみね。」
「うん。おやすみなさい。」
娘は、あどけない声で、丁寧にそう答えた。そして、肩越しに振り返るようにして、病室を出て行く私たちを、最後まで見つめていた。私たちは小さく手を振った。娘も、ドアが閉まるまで、同じように手のひらを揺らし続けた。妻は最後の数センチの隙間まで、そこから覗くようにしてそれに応え続けた。
ドアが閉まると、私たちは二人とも、深いため息をついた。
「今日は僕が泊まろうか。」
と、私はたまらない思いで言った。
「ううん。この先長いから。何日かに一遍、交代で泊まろ。あなた、それでなくても最近疲れてるし。わたしはまだ元気だから。」
「長くなるって?入院。」
妻の口にした言葉が気になった。
「ニ三か月にはなるって。」
「うそ、そんなに。」
「うん。脈が相当速くなってるから、時間をかけて落ち着かせるしかないんだって。」
たった今見た、ベッドの上の娘の小さな体が浮かんだ。
「毎日、ずっとあそこにいなくちゃならないのか。」
もう一度溜息をついた。
「でも、命にかかわるようなことはないからって。ただ、一生付き合ってゆく病気にはなるって。」
「一生。」
「うん。いろいろ資料ももらったから、うちに帰って、ちゃんと説明するね。お医者さんも、必要ならあなたにもう一度説明してくれるって。」
車の中では、お互いの仕事の予定を話し合った。休めそうな日は何曜日か。夜の七時までに病院に行けないかもしれない日はいつか。そんな情報交換をしているうちに、家にたどり着いた。
私の感情が持たなくなったのは、玄関を入り、居間に足を踏み入れた瞬間だった。情けない男だろうか。頼りない父親だったろうか。私は、こらえきれなくなり、妻の背中にしがみついた。
「なに、どうしたの。」
妻は驚いて振り返った。その胸に私はまたしがみついた。
「あの子が、可哀想で。」
涙が、止まらなかった。
「あの子が、可哀想で。」
私は、同じ言葉を何度も繰り返した。そして、声を上げて泣いた。幼い子供の頃以来、涙を流すことはあっても、嗚咽が止まらないという経験を、私は忘れていた。けれど、どうしてもそれが止められなかった。病室のベッドの上に、小さな体をちょこんと載せて、心細げに座っていた娘の姿が、目に焼き付いていた。
妻は驚いたようだったが、まるで部屋に入るまで必死にこらえていた子供を癒すように、胸にすがる私の頭をやわらかに抱きかかえた。そして、ふっと、笑うような吐息を吐き出した。吐き出して、私を抱える手にぎゅっと力を込めた。
うう、ううと、私はそのまま暫く、収まらない子供のように声を上げ続けていた。こんなに涙って流れるものなのだと自分でも驚いていた。そして、俺はこんなに辛かったのだと、その時初めて自分の思いに気付いていた。
「もっと早く気づいてやれてたらなぁ。」
すすり上げる私に、妻は、
「仕方がないよ。でも、・・・気づいてくれたのは、あなただったんだよ。」
と、私の頭の上で囁いて私を慰めた。
少しして、涙も収まり、気持ちも落ち着くと、私は妻から体を離した。
「ああ、ごめん。情けねぇ。」
目元をこすり上げながら、まだ少し残る涙声で私が言った。
「ううん。ありがとう。」
妻はそう言った。
甲状腺機能亢進症。甲状腺ホルモンの分泌が過剰になり、体の活動が部分的に活発になってしまう。頻脈はその典型的な症状なのだった。薬でその症状は緩和、安定化されるが、服用は数年、あるいは一生続けなくてはならない。一度収まっても、強い精神的あるいは肉体的ストレスがかかると復活してしまうことがある。女の子の場合は、出産の機会などにそれが起こることがある。また、娘の場合はいわゆるバセドウ病であり、眼球が突出したように見える症状が現れることもある。その症状は、学校の保険の教科書で、何度か見た覚えがあった。
大変だけど、仕方がないよね。少しでも良くなることを願うしか。
そう語り合いながら、あんなに幼いのに、そんなに大きな人生の重荷を背負ってしまった娘のことを思うと、あの子がこの先に抱えていかなくてはならないものの大きさを感じた。何よりも、あの子は当事者なのだ。傍から心配している私たちよりも、一番苦しむのはあの子なのだ。そう思うと、祈るしかなかった。出来るだけのことをしてあげよう。ただそれだけを思った。
普段定時に帰れるわけもなく、持ち帰る仕事もあり、土日も出勤することの多い私たちは、仕事と子育ての両立だけで日常的に疲労がたまっていた。妻は、前の晩、娘の病状も気になり、狭い相部屋の狭苦しい簡易ベッドでは眠れるわけもなく、一日で相当に疲労していた。
二人、コンビニで買って帰ったおにぎりとサンドイッチを夕食にした後、妻は「先にしていい?」と言って先に風呂に入り、また私に申し訳なさそうにしながら、先に床に就いた。寝室に入る妻の姿を追いながら、私は、どうしたらこの人を補助してあげられるだろうと考えていた。娘は、妻が横にいてやる方が心安らぐように思えた。朝はパンで、夕食もなるべく買ってきたもので済まそう。洗濯と掃除は私が全部するから。
それだけ?
二か月だか三か月だか、妻の方が、ダウンしなければいいけれど。早くに職場を出て病院に向かうということは、それだけ持ち帰る仕事が増えることを意味する。休みを取って、昼から、あるいは朝から一日傍にいるためには、授業を別日に移動させなくてはならない。そうすると、他の日がより授業が詰まって、小テストの採点も次の授業の準備もいよいよおぼつかなくなる。実際に、その翌日から娘が退院するまで、私も妻も、夜の一時よりも前に床に就くことは出来なかった。
娘と妻の体を憂えながら気が高ぶっている私はその晩、疲れているくせになかなか寝付けなかった。帰宅後に私を襲った感情の昂ぶりがまだ私の中に残っているようで、そこに改めて感じる自分の無力さが重なり、私は自分の感情をうまく抑えることが出来ないでいた。
それでもしばらくすると眠りに落ちた。一度沈むとその眠りはとても深かった。心も体も、睡眠を欲していた。
その深い底から無理やり私を引きずり上げるような警告音が遠くから聞こえて来て、ずっと鳴り響いていた。目を覚ますと、電話が鳴っていた。時計を見ると、時間は二時半だった。受話器を取ると、病院からだった。
「すいません、お母さんに、いますぐ病院に来てもらえますか。」
看護師の声は、昼間のそれと同じで、とてもはきはきしていた。私が眠っていても病院の夜は眠れないのだと、私は感じた。
「何かあったんですか。」
命にかかわることは無いと聞いていた。それが間違っていたのだろうか。私は、危機感が半分、そして怪訝な気持ちが半分で聞いた。危急なことならば何も妻を指定する必要はないはずだと、まだ少し眠りの影を引きずりながら、私の頭は冷静に考えてもいた。
「志樹ちゃん、寂しいって、廊下に出て泣いていたんです。すぐに、お母さん、来てもらえますか。」
頼む、という感じではなかった。こんな時にはそうするのが当たり前なのだと、そんな言い方だった。多くの子供がそうして、辛い入院を過ごすのかもしれない。私の胸はまた縮まった。そして、やはりこんな時には、母親が指名されるのだなと思った。
電話を切ると、妻も目覚めて後ろにいた。
「志樹が寂しがって廊下で泣いてるのを、看護師さんが見つけたんだって。お母さん、すぐに来てくださいって。」
聞いて妻は、溜息もつかなかった。すぐに着替えを用意し、そのまま出勤できる用意を整えた。
「今晩は泊まって、朝は病院から直接学校に行くから。特に何も無かったら連絡もしないからね。」
「わかった。夕方、なるべく早めに病院に行くよ。」
「私も、何とかして半休を取って、昼間から一緒にいられるようにする。」
慌ただしく言葉を交わし、妻は急いで家を出て行った。私も、玄関で妻を見送った。
たぶん、二人とも思っていた。何故、何もかもかなぐり捨てて、せめて初めの二三日くらい、昼も夜もずっと横についていてやることを選ばなかったのだろう。それを悔いていた。妻の言葉にも、眠りの不足を感じさせる気配も身にまとわずてきぱきと準備して足早に出かける姿にも、それが感じられた。けれども、少しの休みを取るために仕事の段取りをつけるのも大変なことなのだ。授業を自習にすることも安易には出来ない。そういうルールがあるわけではない。授業しなくては考査前に試験範囲まで進めないからだ。ただでさえ、いっぱいいっぱいでやっと求められている範囲まで進められている。授業速度を上げれば少しは余裕も生まれるが、駆け足で進められる授業はただ機械的な作業の繰り返しになり、面白味も無く、生徒の理解も落ちる。僕らは教師なのだから、そんな不誠実な態度で授業に臨みたくはない。けれども、そうすると、常に授業進度は許容される限界まで丁寧に時間をかけて行うことになる。私も妻も、そんな定期考査のたびに、そんなせめぎ合いと戦っていた。授業に穴は空けられないのだ。
・・・・・・いや、そんなのは言い訳だ。
大切なのはどちらだ。
私も妻も、いつも自分に問いかけていた。
けれども、実際には娘を選ぶことは出来なかった。いい加減な授業はしたくなかった。
二人とも、駄目な親だったのだろうか。
この晩以来、妻は、せめてもと、週日に二日、土曜は毎週、病院に泊まるようにした。それでも帰宅して過ごす合間の日の夜中に、同じように妻が呼び出されることが毎週一二度あった。半分は私が代わろうとしたが、妻は断った。自分は大丈夫だからと、言い続けた。それは、絶対に紙おむつは使わないと決めたら最後までそれにこだわり続けた、その頑固さに似ていた。夜中の誰もいない病棟の廊下で娘を泣きじゃくらせている自分に対する、彼女なりの母としての戒めだったのかもしれない。でもだからと言って、眠れない病棟に毎日泊まっていては、本当に体が持たない。それが彼女に出来る限界なのだった。
入院の目安はニ三か月と聞いていたから、二か月ほど経つとそろそろ退院かと期待した。医師も、そろそろですねぇと口にし始めていた。私も妻も、その頃には本当に体力的に限界になっていた。早くに職場を離れるために持ち帰る仕事も、疲労が蓄積した状態で、しかも帰宅後の九時から手を付けるとなると、頭が回らず、ミスも多くてなかなかはかどらなくなっていた。それでも、夕食が出る前には必ず私か妻が病院に着き、食事する娘の前でおにぎりだかサンドイッチだかを共に頬張り、あれこれと話しながら時を過ごした。食事を終えると、そこにいるのが妻でも私でも、毎日同部屋の患者に煙たがられないように小声で本を読み聞かせた。離れているとどうしても声が大きくなるので、狭いベッドに押し込むようにして体を乗せ、娘と二人並んで一冊の本を眺めながら、まるで耳元で囁くように朗読した。物語は娘の心を捕らえたようで、読んでやると退屈する素振りも無く、懸命に目で文章を追い続けていた。壮大なファンタジーは部厚い本で何冊にもわたり、どんなに読んでもまだ続きがあった。
しかし、二か月もすると、その朗読の最中にも親の方が眠りに落ちてしまうことがあった。今週の末には退院の許可が出るのではないかと毎週期待し、金曜に、まだ駄目みたいですと看護師に知らされるたびに、私たち二人は歯を食いしばるように、もう少し頑張ろう、もう少しさと語り合った。娘は、もうすぐ退院できるからねと繰り返す私たちの言葉に、いつものように、うん、とだけ答えていた。
結局、退院の許可が下りたのは、入院から三か月を少し過ぎた時だった。
荷物をまとめ、車に乗せ、三人がかりでそれを抱え降りて、揃って家の玄関をくぐった時、やっとそこに家庭が帰って来た気がした。私と妻はしゃがんで娘と同じ高さからその顔を見つめ、交互に娘を抱きしめ、大変だったね、よく頑張ったね、と言いながら両腕の中にある小さな体のはかなさを確かめるように、その手に力を込めた。そして落ち着くと、三人で娘の好きなレストランに出かけた。娘にとっても大変な三か月だったに違いない。食事から帰ると、すぐに眠ってしまい、そのまま朝遅くまで起きなかった。私たちはその晩、三本川の隙間を埋めるように三人がくっついて寝た。眠る時に横を見ると娘の寝顔がある。そのことの幸せを、その晩、私たちは本当に強く感じていた。
退院までには時間がかかったが、娘の病状は当初から安定していた。入院して二週間もすると以前のようなひどい発汗もしなくなっていたから、もうずいぶん前から、見た目では全く健康な子供に見えていた。だから退院の告知が延期されるたびに、私たちには、娘の体内の見えない異常に実感が感じられない、なんとも不思議な感覚があった。そして、だからこそ、いざ退院となると、それが見えないだけに、毎日医師の診察がされない日々が怖かった。私たちは、床に入るとまず娘の胸に手を当てる癖を身につけた。
一生付き合って行く病気になる。その言葉は重かった。私はあれこれ情報を仕入れ、神戸に全国でも有数の専門医があることを知った。是非そこでセカンドオピニオンを聞いてみたいと思った。投薬は今の状況で適切なのか、専門医が語る今後の見通しは何か今聞いている内容と異なりはしないのか。予約は取らないという。初診の者はその日の朝から受け付け順に診察するという。私は娘を連れ、前日から神戸の宿に泊まり、朝早くから並んだ。
結局、現在の医師の判断も対応も適切。私も同じ対処をすると思う。いずれ安定すれば投薬も減らし、ゆくゆくは止めることも出来る。あまり心配しないで、見守りましょうと言われた。それで、少し安心した。
娘はそれから十年間、同じ薬を飲み続けた。そして高校を卒業する頃、もう大丈夫だろうと、服薬停止が許された。以来、この病気に起因する症状は現れないでいる。
もう一つ、この入院話には後日談がある。
娘が退院し、再び学校に通い始めて三か月ほどした時、担任と個別面談をする機会があった。その時、担任は妻にこう話したという。
「入院して、戻って来てから、志樹さんは変わりましたね。以前は、何というか、教員に対して批判的なことがよくあったんですが、そういうのが全くなくなって、とても人懐こい、なんというか、柔らかい感じになりました。」
小学校の三年生の子が、教師に対して批判的?
「僕たちは、あの子の顔を、どれだけちゃんと見られてるのだろう。」
私がそう言うと、妻は言った。
「どんな親でも、全部の顔なんて見られないよ。」
私よりもずっと娘の横にいる時間の長い妻がそう言った時、私はふっと肩から力が抜けた。
「そうだな、当たり前だよな。」
私も妻も、その三か月間、本当によく頑張った。それでも満たしてやれないことはたくさんある。娘は、この二人の子として生まれて来て、それで幸運なところもあれば、負わなければならないハンディキャップもあるのかも知れない。でも、そのすべてを抱えて、生きて行ってもらうしかない。
いろいろあるさ、ね。
私は心で、自分に対して、妻に対して、そして志樹に対して、そう呟いた。
何はともあれ、娘は退院できたのだ。そして、少し優しい子になって帰って来たというのだ。横に並んで、魔法が使える少年の話を読み聞かせた時間は、多分、そんな風に報われたのだ。今は、それでいいじゃないか。
そう思った。
妻の顔を見た。気が付くと彼女はまたひとつ、母の顔になって見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます