第5話 靴事件

 子供は大きくなって、小学校に入学した。保育園は学童保育に変わったが、私たちが毎日そこへ迎えに行く生活は、子供にとっても親にとっても変わらなかったし、迎えに行くと娘がたった一人、最後の子としてぽつんとそこに残っていることも変わらなかった。子供にはすまないと思いながら、それ以上早くに迎えに行くことは私たちには不可能だった。ただ、部活動の出来ない考査期間中などは、少しでも早くに迎えに行くことを心掛けた。そうしてたまに早くに行くと、学童保育の部屋は狭く、その割には子供が多く、一年生から六年生までの子で、足の踏み場もないほどにごった返していた。当時は施設の数も少なく、子供の数は今よりずっと多かった。いくら子供でも、なんだか息が詰まるような場所だなと私は何度もそう感じた。

 娘はやっと歩けるようになった頃から、妻にぴったりとくっついて離れない子だった。食事の用意をする間も、キッチンに立つ妻の服の端を手でつかみながら、いつも横に引っ付いていた。寂しがりな子なのだろうか、女の子はこんなものなのだろうか。初めての子育ては、常に特殊と一般の区別がつかず、私たちはいちいち不安になりながら、その不安に立ち止まる余裕も忙しい毎日の中では見出せないでいた。

 小学校の二年生の時、夜、担任から電話がかかってきた。

「すいません。今日、帰ろうとしたときに、志樹さんの靴の中に水が入れられていて、取り敢えず学校の上履きを代わりに履いて帰ってもらったんですけれど。誰かのいたずらだと思われるので、明日、クラスでも話をして、誰か何か知らないかと、もちろん志樹さんの名前は出さずに、広い範囲で調べてみようと思うんですが、大変申し訳ありません。」

 娘は、その日確かに学校から借りた上靴を履き、濡れた靴をビニール袋に入れて学校を離れていた。迎えに行った妻が尋ねると、娘はただ「水に濡れたから先生に借りた。」とだけ答えた。私も妻も、単純にその答えを信じていた。だからこの電話には驚いた。いじめられてるのだろうか。他にも辛い思いをすることが、これまでもあったのだろうか。私たちが気付かなかっただけで。

 どう聞いてやったらいいだろうかと、妻と相談をした。幼い子供の心がどこまで出来上がっているものか、どんなに考えてもわかるものではなかった。ただ、脆く崩れやすいことだけは感じられる。それをどういたわりながら、何が起こったのか、何が起こっているのかを聞き出すには、どうしたらいいか。結局、理屈でもノウハウでもないのだろう。子供を思いやる気持ちだけを頼りに手探りするしかないのだろう。たどり着く場所は、そこしかなかった。私が訊いてみるよ、と妻が言い。私はそれに任せた。

 子供はいつも、遅くとも九時過ぎには寝た。まず妻が子供に添い寝をして寝かせ、寝付くと起き出して、私と共に持ち帰った仕事をした。どちらかが先に終えても、必ず相手が作業を終えるまで起きていて、それから一緒に寝床に入って、娘を挟んで川の字に並んで寝た。妻は子供を寝かしながら一緒に眠りに落ちてしまうことも多く、そんな時は私が起こしに行った。持ち帰る仕事は、それを済ませておかないと翌日の授業が出来ないことが多い。

 その日、娘を寝かした後、妻に様子を尋ねた。

「今日みたいなことは初めてなんだって。いじめられたりすることは、無いって言ってた。」

 妻はそう答えた。

「だいぶ、訊いてみた?」

と、私は重ねて尋ねた。うん、と妻は答えた。その後に訪れた沈黙は、お互いの不安と戸惑いの気持ちを表していた。

「いろんなことがあるね。」

と、妻は浅い溜息とともにそう呟いた。そうだな、と私は返した。

「まぁ、明日先生に訊いてみよう。」

うん、と答えて、妻は持ち帰った授業プリントを取り出した。

 仕事を終えて、床に就いた時、私はぐっすりと眠る娘の顔を見た。この、小さくて可愛らしい子が、心の中で何か苦しみを抱えているのだろうか。そう思って見つめると辛かった。靴箱に濡らされた自分の靴を見つけた時、この子の胸はどんなに痛んだろう。それとも子供は、大人ほどはそのことを深刻に受け取らないのだろうか。いや、そんなことはないだろう。この子の胸は冷たく縮んだに違いない。思いはめぐった。娘の向こう側には、同じように寝顔を見つめる妻の顔があった。彼女も同じことを考えているに違いなかった。そして、浮かび続ける思いになかなか寝付けない中、たぶん、私も妻も、疲れた体に引きずれられるようにして眠りに落ちた。

 翌日は一日、夜にかかってくるはずの担任からの電話を気にかけて過ごした。何が知らされ、何が語られるのだろう。娘は今日、普通に過ごしているだろうか。一日保健室の世話になっていたりはしないだろうか。手の届かないことを待つだけの思いは不安ばかりを募らせた。

 その日、電話がかかる前に帰りつきたいと慌てて帰宅すると、娘は黙ってテレビを見ており、いつものようにお帰りなさいとも言わなかった。妻はその横にいつもよりぴったりと寄り添い、横に娘を抱くようにして、共に画面を見ていた。そして、振り返るようにしてこちらを見て、お帰りなさい、と静かに言った。何かがあったのだと、私は感じた。

 妻は立ち上がり、食卓に着いた。私も同じように、席に座った。

「何かあったの。」

 私は訊いた。

「また、水が入れられてたんだって。」

「また?」

 私の心がきゅんと縮まった。

「うん。また学校で靴を借りて、濡れた靴を持ってたから聞いたら、そうだって。あとは、ずっと泣いてて。」

「そう。」

溜息をつくしかなかった。

「先生からの電話は、まだ?」

「うん。ご飯の準備するね。横についててあげたかったから、何もしてなくて、冷凍のものになるけど。」

「うん。」

 近くにいる娘を思って、抑えはしたが、もう一度吐き出した溜息は、どうしても深くなった。

 担任からの電話は、妻が席を立って冷蔵庫を開けたくらいのタイミングでかかってきた。私が、電話に出た

受話器の向こう側で、四十歳くらいかと思われる女性の担任は、とても落ち着いた調子で、その日の出来事を一つ一つ丁寧に話してくれた。

「昨日お話ししたように、今日、朝、各クラスで、志樹さんの名前は出さずに、こういうことがあった。もし何か知っている人があったら教えて欲しい。もし、軽いいたずらのつもりでした子がいたら、された人の気持ちを考えて、正直にごめんなさいといいましょうと、話しました。」

「ありがとうございます。」

「ですが、もうお気づきかと思いますが、今日また同じことがあって、放課後、志樹さんが濡れて泥の入った靴を持って泣きながらやって来まして。泥は職員が洗って、きれいにしておきましたけれども。で、私が志樹さんをなだめながら話を聞いていたんですが、」

「ああ、ありがとうございます。」

「そうしたら、・・・実は職員の者で、志樹さんが外の水飲み場で、自分で靴の中に水を入れているのを見ていた者がありまして。」

「え。」

「昨日も実は、自分でしたんだそうです。聞き始めたらずっと泣いてて、少し落ち着くまでに時間がかかりましたけれど。」

「はぁ。」

「何でそんなことしたの、って聞いてみたんです。寂しかった?お家で何か悲しいことがあった?とか。それにはしっかり首を横に振るんですけれど。何か最近、おうちでの様子で、気になられるようなことは無かったですか。」

「いや、・・特に何も。」

「そうですか。あの、明日以降、私もなるべく声掛けをするようにして、温かく見守っていこうと思うんですが、お父さんお母さんからも、またゆっくり話を聞いてあげてもらえますか。で、差し支えなければ、その様子もまた、私の方にお教えいただければ有難いんですが。」

「はい、わかりました。そうさせていただきます。」

 囁くように答える気落ちした父親の声は、先方にも伝わったようだった。担任は、最後に念を押すように言い添えた。

「ご両親もショックな話だとは思うんですが、あまり深刻になると志樹さんも辛くなりますし、問い詰めるようにならないで、なるべく温かく、優しく接していただけたらと思います。心配なお気持ちはとても察しますが。」

 経験のある、しっかりした先生だなと思った。

「ありがとうございます。そうします。ご丁寧にありがとうございます。今後とも、どうぞよろしくお願いします。」

 受話器を置くと、一方の受け答えだけしか聞けないまま不安げに私を見ていた妻が訊いた。

「どうだって。」

「うん。ちょっと。」

と、私は妻を隣室に誘った。その気配を背中に感じながら、娘はじっとテレビの画面を見つめていた。

 たった今聞いた話を、妻に繰り返した。妻は、下を向いてふぅと長く息を吐いた。

「ちょっと話、聞いてみて。僕は少し、外に出ているよ。」

 食卓に着かせて、二人で挟んで問い詰める形になることは避けたかった。

「うん。わかった。」

 妻は、何か覚悟するように、頷いた。

 私は部屋を出て、車のキーを手にした。娘の後ろを通る時、一度立ち止まり、右手を大きく開いてその頭を撫でた。娘は、何の反応もなく、ただ前を向いたままでいた。

「ちょっと出て来るね。」

と、何気ない素振りで妻に声をかけて、玄関に向かった。妻は、普段のように、行ってらっしゃいと応えた。

「ご飯、先に食べておいてくれたらいいから。」

 レンジに入れた食品も、ただ入れたままで温められないでいた。何も食べずに身をすくませている娘に、まず何かを食事させてやりたかった。

 足取り緩く歩きながら、車に乗り、近くのカフェに入り店に置かれた雑誌をめくって過ごした。出来れば、娘が風呂も済ませ、寝付いてから帰りたかった。私の前で申し訳なさそうにしている娘の姿も、ごめんなさいと謝る声も聞きたくなかった。そんなことを、言わせたくなかった。

 頃合いを探るように時計を見ては時の経過を確認し、九十分ほどが経った頃、そろそろかと腰を上げた。歩みはやはり緩く、体も気怠かった。

 家に戻ると、妻が一人、食卓で座って待っていた。

「任せてごめんな。」

と、妻に詫びた。ううん、と妻は答えた。

「どんなこと話してた。」

「泣いてるばっかりで、ごめんなさいばっかり言ってた。」

 妻は静かな声で答えた。私は、娘の姿を想像した。

「で、なんて。」

「何も。私も、なんでそんなことしたの、なんて訊けなかった。」

「そっか。」

 向き合ったのが私でも、そうだったろう。

「ちゃんと訊いた方がいいのかなぁ。」

 妻は自分自身に問いかけているのか、私に尋ねているのかわからない言い方で呟いた。

 私も、自分の思いを探りながら、ゆっくりと答えた。

「どうかな。僕は、そっとしておいてやりたい気がするけれど。先生にも色々訊かれたろうし。駄目かな。」

 妻は少し考えるようにしてから答えた。

「私も、・・・そうしたいかな。」

 私は、黙って小さく何度か頷いた。

「じゃぁ、今はそうしとこう。少し様子を見よう。」

「うん。」

「ご飯は。食べた?」

「あの子にだけ、食べさせた。」

「ちゃんと食べた?」

「うん。おなか空いてたみたい。普通に食べた。」

 伝えた妻が、言いながら自分もほっとしているような言い方だった。私も、それを聞いて少し安心した。

「じゃ、何か食べようか、僕らも。」

「うん、ちょっと待ってて。」

 妻は、冷凍のピラフを温めて二つの皿にとりわけ、私たちは二人で静かな食事を始めた。しかし、食べ始めてすぐ、妻は口に運ぶスプーンを宙に浮かせたまま手を止めた。そして、

「寂しかったのかなぁ、ずっと。」

 と、呟いた。口に出した妻も、私も、切なかった。

「そうなのかなぁ。」

 私もまた、独りごつようにそう呟いた。

 顔を上げると、妻の目に涙が溢れていた。私は席を立って、妻の背中に回った。

仕事の量は減らない。だから生活のリズムを大きく変えることも出来ない。少しでも手際よく、切り捨てられることは切り捨てるように頑張ることは出来るけれど、今の生活サイクルをがらりと変えることなど無理だ。娘が寂しがっていたとしても、どうしたらいいかわからない。私も妻も、抱えている問題と現実の間で当惑していた。

 私はただ黙って、後ろから妻の肩を抱いた。

 今ほどは心のケアという言葉が口にされていない時代だった。だから、学校も夜の電話まで私たちに連絡をしてくることも無かった。携帯電話の無い時代だった。今ならば、放課後早速、私か妻のもとに連絡が入って、私たちはすぐに娘を迎えに行ったろう。何事も迅速に。しかし、その素早さは、私や妻をより焦らせたかもしれない。今、この時のことを思い出しながら、この時の緩やかな時の進み方が、いくらか私たちを落ち着かせていたのかもしれないと思ったりもする。待つ間の心の準備は、不安に揺らぐ心の腰を、いくらか強く据えさせていたような気もする。

溜息は、時間をかけてつくものだ。慌ててはいけない。

 その隙間の時に、人は落ち着きを取り戻す。きっと。

 私たちはいろいろと思いを巡らせて、どんなことも受け留められるように身構えていた。それでいても、聞かされた予想もしなかった出来事に、私たち夫婦は、相当打ちひしがれていた。

 その晩、私と妻が吐き出した溜息の数は、どちらが多かったろう。食事の後、こんな日にも逃れられない持ち帰りの仕事を進めながら、お互いに相手に気づかれないように気を付けつつ、そっと息を漏らした。しかし、どんなに吐き出しても、心の内の憂いは減らなかった。

 その晩は、疲れているのになかなか寝付けず、眠りに落ちてもあれこれの不安に目を覚まし、私は何度も寝返りを打っていた。そうして目覚めた時に横を見ると、やはり寝付けない妻が、娘の髪をなでながらその寝顔を見つめていたりした。二人で子供を両側から挟みながら、壁になって外の何物かから守っているような気がした。何かがやるせなく、自作自演を演じ、それがすぐに見破られてしまった。逃げ場の無いこの子の逃げ道を、何とか作り出してやりたかった。それが、追い詰めた自分たちの責任であるように思っていた。

 そして、結局、私も妻も、翌朝起きた時には、何も無かったように娘に接した。

「おはよう。」

と言えば、娘もいつものように、

「おはよう。」

と返した。その声は心なしかいつもより小さく感じた。その印象を吹き飛ばすように、私は、

「ねぇ、お茶くれる?」

などと妻に求めて、平穏な日常を振り撒こうとした。

「ちょっと待ってね。」

と、妻もくつろいだ素振りで対応した。そうして、私たちは二人で、

「忘れよう。志樹。」

と、娘に語り掛けているつもりでいた。そうした日常の空気によって、この二日間の出来事を幼い娘が夢の中に追いやってくれることを願った。

 現実を変えられない無力な親は、ただそうして祈りながら見守ることしかできないのだった。

 翌日から、私たちはたとえ三十分でも早く帰ろうと心がけた。週末は、無理をしてでも空けられる限り空けた。

 娘は、休まず学校に通い続けた。学校での様子も、初めは周りの大人の様子を気にするように、教員たちには近寄らないようにしている素振りが見えたが、こまめに担任が話しかけているうちに、二日もすると笑顔も戻り、後は以前の通りに過ごしているということだった。

 そうして、私は、これにかかわるすべての人が、この事を上手に忘れたつもりになれることを願った。

 その年から、我が家は年に二度か三度、数日の旅行に出来かけるようになった。夏にはディズニーリゾートへ。帰りには、高速道路のインターチェンジから行きやすいサファリパークや遊園地に寄った。そうするために往復は私が運転する自動車で出かけた。特に行きは私が徹夜で運転をし、翌朝そのまま入場待ちの列の前の方に並んだ。冬には温泉地に向かい、都合がつけば、春の休みにもどこかしらに出かけた。英語と国語の教師である私たちには補習もあり、部活動も毎日行っており、長期休業のたびに数日連続の休みを取るのは周囲の顰蹙を買うこともあった。また、英国数は「主要教科」として、各学年に各教科一人か二人が担任として配置される。私も妻もずっとクラス担任を務めることが続いていた。そうすると、その長期休みの期間に進めておかなくてはならない仕事も多かった。それでも私たちは、普段不足している時間をそこで埋め合わせるように、三人で過ごす時間を優先した。徹夜の運転はなかなかきつかったが、私はそうして子供のために頑張っている姿を娘に感じさせたかった。

 その習慣は、それから六年間、志樹が高校受験を迎える前まで続けられた。

 志樹、そのために父も母も、たくさん努力したんだよ。お前もたくさん寂しかったかも知れないけれど。わかってくれるだろうか。

 私は今も、時々心の中でそう呟く。

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