第2話 神の采配
3日後の月曜日。それは起こった。
事の始まりはこういう次第。その日、大学の講義が一通り終わり、料理研究会「Stella Kitchen」のメンバーは、初めてのテレビ取材に向けて全員が張り切っていた。
北山
「どうせ素人のお遊びでしょ? 視聴率、取れるんですか?」
番組のキャスターはこの企画に対してはじめは文句を言った。有名店の取材を繰り返していけば、いずれ全国区になる店も出る。そうなればそれを最初に取り上げた自分も運が良ければ全国区に顔が売れる。そんな下心丸出しのキャスターに対して、ディレクターはこう切り返して企画に納得させた。
「あのサークルはな、春日井桜子も所属しているんだよ。今は有名人ではないけどな。春日井官房長官の一人娘だ。将来はその旦那か、あるいは本人が政界入りするだろう。今のうちに顔を売っておいて損はないぞ」
そんな言葉でうまく言いくるめられたキャスターは、一転気合いを入れて顔を売り込むべく、現場では番組そっちのけで春日井を探した。
顔も性格も成績も良い北山心春をサークルの看板にしようと意気込んでいたメンバーは、「結局親のコネにも上には上がいるってことか」と地団駄を踏んだが、そうはいってもテレビの取材である。気を取り直して取材対応はいたってスムーズに進んで行った。
そう、この時点ではまだ事件は起きていない。なぜならそう決めたやつがいるからだ。このとき、取材クルーの中に都合よく俺のよく知る情報屋がいたことも、事件の首謀者が紛れ込んでいたことも、すべてはそいつが仕組んだことに過ぎない。
「お疲れ様ー」
すっかり春日井中心に撮影が進んだことは気にしないことにしたサークルメンバーは、この日材料調達から料理そのものまで大車輪で活躍した北山にねぎらいの言葉をかける。春日井は春日井でメインキャスト扱いにすっかり気を良くして得意満面でそれを見下していた。
なんでそんなことまで俺が知っているかって? それは情報屋がこのサークルにもいるからだ。そういうところまで都合よく采配しているやつがいるのだから、ご都合主義は諦めて欲しい。
そんななんやかやがあって、取材は無事終わりキャスターとクルーたちは引き上げていった。
そのクルーの中の一人、俺の知己の情報屋から連絡が入った。ちょうど俺は一人の客もこなかった一日を終わろうとしていた時だった。
「誘拐だ。矢上
なんだって北山が狙われるのか見当もつかない。老舗海鮮問屋といっても財閥の娘でもないのだから、金目当てだろうか。そんな当て推量をしている間に、情報屋が相手の狙いを伝えてきた。
「おそらく春日井桜子と間違えたんだろう。背格好は似ているからな。顔と性格は全然違うのだから気づけそうなものだが、夜の暗がりで背後から狙ったなら間違えるのも無理はない」
そう、北山から聞いていた話では、確かに背は同じくらい。髪型も北山を意識しているのかそっくり。顔はそんなでもない。性格に至っては政治家の娘とあって、特権意識が服を着ているようなもの。それが北山の春日井評だったことを思い出す。
「連絡ありがとう。情報屋13号。連絡感謝する」
「その名前、もう少し何かないのかねぇ」
「俺に何かあったとき、敵に渡る情報は少ない方がそっちにも害は少ないからね」
そう言って通話を切る。北山に情がないかと言えば嘘になる。もう1年近くこの寂れた喫茶店「すのうどろっぷ」で共に働いてきた仲だったし、春日井官房長官の一人娘と間違えられたとなれば、そのことに気づいた瞬間、口封じに殺されるだろう。
17歳で退屈な高校を中退して海外へ。中東に渡ったところで傭兵に拾われ入隊、そこから15年近く戦場を転々とした。銃火器から爆弾解除、素手での格闘術クラヴ・マガまでみっちり仕込まれた。トルコ料理もそんな中東暮らしで身に着けた。
傭兵のトップはイスラエル軍の退役軍人だった。常に戦火が絶えない中東で、多くの命を奪い、救ってきた。それは任務のためであったが、絶えることのない戦場暮らしにいつしか疲れ、日本に戻ってきた。
それから10年、今までスパイとして生きてきた。平和ボケしたこの国では、戦場で培った危地を察する力は大いに役立った。戦場よりはよほどぬるい。
「すのうどろっぷ」はそのための隠れ蓑だったし、だからこそ集客など考えてもこなかった。スノードロップの花言葉は旧約聖書由来の「希望」という意味と、イギリスのケルマに伝わる伝承に由来する「あなたの死」という意味がある。
そのダブルミーニングを知る者はいない。旧約聖書の方が有名だし、そんな物騒で知名度も低い死の花言葉を知っているほどの人間などそういないものだ。
「閉店、21時じゃなかったでしたっけ?」
月曜日から木曜日は21時閉店、金曜日から日曜日の週末は19時閉店。休みは不定期。こんな寂れた喫茶店の閉店時間を知っている客など珍獣並みの貴重な客ではあるが、丁重にお断りする。
「ちょっと野暮用がありましてね。申し訳ありません。またの日に」
右手を胸に当て深くお辞儀してその珍しい客に詫びる。こうして久方ぶりに死地に赴くことになる。もちろん丸腰で。この国には銃刀法があるのだから仕方がない。こんな無茶な状況を作為した人間は万死に値する。
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