第3話 デウス・エクス・マキナ

 時間は22時。神居市北区の廃ビル。そこに北山心春こはるがいるはずだった。なぜそんなことがわかるのかといえば、携帯のGPS信号がそれを示していたからだ。情報屋13号はいろいろ役に立つが、それは何もローカルテレビ局のスタッフとして情報をいち早くつかめるからというだけではなかった。こういう類いのこともできるのでたびたび助けられてきた。


 その廃ビルの入り口が見える車道を挟んで、俺は様子を窺った。見張りは二人。公然と武器を手にしていないのは、それがこの国では目立ち、そしてすぐに通報されるからに違いない。何かは隠し持っているだろうし、中にはもう何人かいるのだろう。


 そこに慌てて駆けこんできた男を見張りが制止する。声自体は聞こえなかったが、こういう時のために俺は読唇術も心得ていた。スパイの基本として、この国に帰ってきてから身に着けたスキルだ。


「人違いだ。こいつは春日井桜子じゃない」


 そう口にしているのがはっきりと読み取れた。それを受けて、見張り一人を残して廃ビルに二人が入っていく。見張りが一人になれば侵入経路の制圧は容易い。

 猛然とダッシュして残った一人に飛び掛かる。見張りは咄嗟にナイフを取り出したが、クラヴ・マガを身に着けた俺の敵ではない。

 即座に手刀でナイフを叩き落とすとそのまま背後を取り、腕を締め上げて自由を奪い、口を塞ぐ。振りほどこうとする男の膝に蹴りを入れて地面に沈めてみぞおちに拳を叩き込む。こうして残っていた見張りは意識が飛んで無力化された。


 廃ビルは七階建て。人質を監禁するとすれば最上階だろう。万一の際にも逃走されるリスクを抑えられる常道。

 俺は当然最上階まで駆け上がる。そして予想通り最上階に誘拐犯が陣取っていた。その部屋の中央に、椅子に縛られ猿轡を嚙まされている北山心春がいた。

 それだけではなく、懐かしい顔が誘拐犯の中にいることがすぐにわかった。

 向井彰。傭兵時代の顔馴染だった。粗野な男で傭兵の中でも問題が絶えない男。顔だけは良いので浮名は数知れず。


「おいおい向井じゃないか。奇遇だな。それともとんだ失態だと言うべきかな」


 今まさに手にした独特な形状のナイフで北山を口封じのために殺そうとしていた向井を挑発する。

 当然向井も俺の顔も声も覚えているのだろう。すぐに振り返って俺を見ると、残忍な笑みで俺を見つめた。


「ご無沙汰だなぁ、矢上わたる。額の傷を隠すために前髪伸ばしてるのか? ご苦労だなぁ。ああ、この国にお前の居場所なんざねーよ」


 そう言った向井の手にあるのはマンベレ。刃が三つある卍形の投げナイフで近接戦闘でも使えるそれは、しかしながらいささか前時代的な代物。使い勝手が良いとは言えず、わざわざそんな武器を持ち出す合理性は欠片もないが、これもまた見えざるやつの思召しというやつだろう。


「そんな骨董品みたいな武器持ち出して、銃の一つくらい持ってないのかね」

「銃は仲間が持ってるさ。こいつを見られたら生きては帰せないな。嬉しいねぇ。やっと傭兵時代の借りが返せるってもんだ」


 そう言うが早いか、マンベレを投擲する向井。しかし俺の足元にはこれまたおあつらえ向きに鉄パイプが転がっている。そいつを一本蹴り上げて掴むと、飛んできたマンベレの刃を絡めとって防ぐ。


「マジかよ……、お前らやっちまえ!」


 先手を弾かれた向井が叫ぶと残りの八人が襲い掛かってくる。拳銃持ちが三人に日本刀持ちが二人。残りの三人はナイフを手にしている。

 近づけば日本刀が厄介、距離を取れば拳銃が厄介。この国で比較的簡単に手に入る武器を揃えたにしてはよくできた組み合わせだ。しかし俺が戦場で鍛えてきたのは何も身体能力だけではない。戦術眼も大いに養ったのだ。


 相手が発砲を始めるよりも先に一気に距離を詰め、射線を避けるようにスライディングして滑り込むと、日本刀を手にした男の一人の足元をすり抜けて背後を取る。味方を盾にされれば相手は簡単には発砲できない。

 背後を取った男の首を掴んでそのまま柱に叩きつける。殺さない程度に、しかし意識を落とすほどに。この加減が難しい。

 もう一人の日本刀持ちが斬りかかってくるが、身を躱してそれを避け、右脚で刀身を蹴り折って左脚で回し蹴り。これであとは拳銃持ち三人とナイフ持ち三人。


 目まぐるしくポジションを入れ替えていくのは拳銃持ちが撃ち始めないようにするため。それが功を奏していた。銃が使えなければただの木偶の坊同然。今度はナイフ持ちを無視して拳銃持ちを潰していく。

 至近距離なら撃ちやすいと突き出してきた拳銃を腕ごとから娶って膝で顎を蹴り上げて無力化。続いてもう一人の拳銃を握る手を強かに蹴りつける。痛みに呻いて落とした拳銃を逆の脚で遠くに蹴とばし、肘を撃ち込んで失神させる。残る拳銃持ちは一人。そいつは少しは頭が回るらしく、人質の北山に銃口を向けて何かを言おうとしたが、射線を外したのが運のつき。脅迫の文言を吐く前に頭突きで吹っ飛ばし壁に激しく打ち付けられたそいつも沈黙する。


 残るは向井とナイフ持ち三人。ここまで数が減れば相手するのは容易。ゲリラ相手にも散々やってきたCQCClose Quarters Combatの本領発揮。ナイフで突きに来た一人を腕ごと巻き取って胸を膝で強打。そのまま前に転がりこんで背後を取ったもう相手に足払いをかけて地面に倒すと、そのまま背に肘打ち。

 残る一人はしぶとく何度か突きと蹴りの応酬が続いたが、最終的にナイフで喉元を狙うことに拘った相手の動きはだんだんと単調になる。思い切って突き出された軌道は読みやすく、右、左と何発か拳を叩き込んで沈黙させた。


「なあ向井、なんで春日井桜子を狙った? 今の官房長官、いや、今の政府自体、主流派の失態でお鉢が回ってきただけの、与党内でさえ支持されていない人間の集まりだぞ?」

「お前の知ったことか。俺は今『ブラック・フラッグ』で働いてるんだよ」

「傭兵からテロリストか。落ちるところまで落ちたな、向井彰!」


 互角。向井と俺は力量だけなら互角と言えた。それだけの訓練を受け、実戦を積んできた。金的を狙った蹴りと思わせて相手の腰が引けて上体が下がったところを後ろ回し蹴り。勝負は一瞬だった。


「悪いな。また貸し一つだ」


 俺はそう吐き捨てると、北山心春の猿轡を外して拘束を解く。ここまで約15分。上出来だろう。もっともそうなるように仕向けたのは、これを書いているやつなのだから予定通りになる以外には無い。向井には悪いことをした。自業自得だが。


 警察にテロリストの潜伏先を通報すると、程なくしてサイレン音が近づいてきた。トカゲの尻尾は切り捨てられるだろうが、これで北山を口封じする理由はなくなり、今度狙われるとすれば春日井桜子だろう。

 向井を締め上げてそれを吐き出させれば、警察やSPが春日井親子の身辺警護を強化するだろうし、そこまで付き合う義理は俺にはない。俺は北山を連れて廃ビルを後にした。

 そう、初めからそうなるように仕組まれ、そうなるようにしかならなかった誘拐事件はこうして幕を下ろした。

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