第2話 異国の地図

 暁国あけのくにの官吏の勤務時間は、漏刻台ろうこくだいによって正確に管理されていた。

 毎朝辰の刻、昼の丑の刻、夕方酉の刻の始まりに鐘の音が響き渡る。


 大学寮も同じだった。

 辰の刻から講義が始まり、丑の刻から給食と休憩。酉の刻に終了しそれぞれの家へ、地方から来ている学生は寄宿舎へ帰る。


 悠月はいつも一颯と連れ立って帰っていく。寄宿舎では無く大伴屋敷の離れに暮らしているのではと、真人は当たりをつけていた。


 それならば、あの親しげな様子にも納得がいく。

 できれば面白い話を引き出して一颯の弱みを握ってやりたいと思い、悠月と二人で話せる機会を伺っていたが、ぴたりと寄り添う一颯に阻まれて未だに成し得ていなかった。



 幼い頃より、その余りある権勢と財力によって集められた橘家の蔵書に親しんできた真人にとって、大学寮の講義は今更で面白みの無いものばかりだった。


 が、異国人による特別講義だけは別だった。


 特に青い瞳の講師、破理亜ハリア人の商人、安佐度アサドによる異国に関する講義は格別だ。


 片言の暁の詞あけのことば斎語さいご破理亜ハリア語を織り交ぜて、身振り手振りで語られる世界は、奇想天外で波瀾万丈。


 彼が母国を立ち、この暁国まで辿り着くまでに実際に体験したことは、圧倒的な力強さで真人の心を魅了した。


 行ってみたい。

 自分の目で見たい。


 純粋な願望が湧き上がってくる。

 だが、直ぐにその芽を自ら刈り取ってしまった。


 無理なことを夢見ても、苦しくなるだけだ……


 左大臣の家格、跡取り息子としての重圧から、一瞬たりとも逃れることはできないとわかっていた。


 

 そんな現実に、小さな変化が訪れた―――


 二度目の講義で、安佐度アサドが面白い提案をしたのだ。


「ミナサン、タスケテクダサイ」


 切迫した言葉から始まった講義。

 何事かと身構えた学生達に、安佐度アサドが笑いながら続けた。


「ワタシ、エ、ニガテ。ワタシノカワリ、オネガイシマス」


 続けた斎語によると、天皇より異国の地図を描いて欲しいと言われたが、絵心が無いので自分では難しい。

 絵師の派遣をと提案されたが、言葉の壁が立ち塞がる。


 ならば、斎語に強く破理亜ハリア語への興味も持ち合わせている、若い頭脳を使おうと思い立ったらしい。


 四人一組となり、毎講義で安佐度アサドが語る異国の地形や風物を描き起こすように指示された。


 平素は派閥で固まる彼らの選別基準に、別の要素が加わったことは、画期的な出来事だった。


 絵心のある者は誰か?


 四人のうち誰か一人は、描ける人でなければ課題がこなせない。

 自分の成績に繋がる有用な才能を見つけて引き入れようと皆の思考が動き出したのを感じて、真人は内心痛快に思っていた。


 常日頃、媚びることしか能のない連中にとって良い刺激になっただろう。


 自分は真っ直ぐに、悠月の元へと向かった。当然の権利のように、横に張り付いている一颯を見おろしつつ声をかける。


「悠月殿、一緒に組まないか」

「はい、お願いします」


 一颯の顔に少しだけ抗議の色が浮かんだが、悠月の笑みで有耶無耶になった。


「これで三人、後お一方ですね」


 悠月は他の者たちと違う。

 おもねるような仕草、表情は露ほども無く、屈託の無い柔らかな笑顔が、真人の心にもすうっと入り込んでくる。


「悠月殿が決めてくれ」


 そう言って、真人は後ろを振り返った。


 結局、思考を放棄した連中が、権力者の孫と組もうと金魚の糞のように真人を追いかけて来ていた。


「えっ、僕が……」


 心底困ったように、悠月の顔が強張る。


「お前……」


 一颯がキッと真人を睨み、彼の後ろへ目を走らせた。渋い顔がますます険しくなり、はあっと嘆息。


「後一人は俺に決めさせて欲しい」


 そう言って「羽栗弘杜はぐりのひろもり!」と彼方にいる男に声をかけた。


 彼は特定の派閥に組しない数少ない学生の一人だ。

 父親は典薬頭てんやくのかみ。天皇の健康を護る者として、常に中立を求められる立場ということもあり、貴族達も慎重に動かざるおえない相手だった。当然、息子の弘杜に対しても。


 そんな相手に、権力の一翼である一颯が声をかけるのは危うい行為でもあったが、同じ場に対極の真人がいることで、上手く相殺された。


 かたりと席を立った弘杜が真っ直ぐにやって来る。


「私で良ければ、よろしくお願いします」


 一颯と同じく、表情の機微は出にくい質だが決して冷たい印象は無い。穏やかで常に冷静な語り口は、寧ろ周囲に安心感を与えていた。


 一颯の視線を受けて、悠月が嬉しそうに頷く。


「弘杜殿が加わってくれたら心強いです。よろしくお願いします」


 もちろん、真人にも異論は無かった。


 この場の均衡を保つことと、おべっか貴族子息たちへの意趣返し。

 一瞬にして両立させた一颯の手腕を、心の奥底では拍手喝采したい思いだったが、悔しいので黙っていた。


「これで揃いましたね」


 無邪気に喜ぶ悠月を見つめながら、真人は今更肝心なことを問いかけた。


「で、誰が描く?」

「えっと、皆で少しずつ描くのでは無いんですか?」

「草花なら描けますが、建物や人物は無理です」

「悠月が描けばいい」


 三者三様の返しに思わずぶはっと笑った真人を見て、再び三者三様の表情が返ってきた。


 むっと不機嫌に磨きがかかる一颯。

 何が可笑しかったのだろうと静かに考えている弘杜。

 

「あ、もしかして真人殿が描きたかったですか?」


 とんちんかんな気遣いを見せた悠月。


 真人は何故か、腹の底から愉快な気持ちになってもう一度「はっはっは」と朗らかな声をあげた。


 彼らの言葉に裏は無い。

 予定調和も無い。

 ただ自分が返したい言葉を口にしただけ。


 そんなやり取りが、こんなにも解放的で気持ちが高揚するものだとは……思ってもみなかった。


「絵は苦手なんだ。だから悠月殿と弘杜殿にお願いしたい。そのかわり、情報収集は任せてくれ」 

「俺も情報収穫する」


 ぼそりと呟いた一颯に、「一颯さんのせいで、断れなくなりました」と、ちょっと頬を膨らませた悠月だったが、直ぐに三人に向き直った。


「僕も得意ではありませんが描くのは好きなので、お役にたてるなら」


「決まりだな」


 終いとばかりに呟いた一颯に「もう、他人事だと思って」と悠月がもう一度恨み言を零した。


 


 


 


 


 

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