天翔る月星 〜ずっと君の隣で見上げていたかった〜

涼月

第1話 美しい学友

 成条京せいじょうきょうの大学寮は都の東側にあった。


 周囲には陰陽寮と図書寮が並び立ち、厳かな雰囲気に包まれている。出入りできるのは身綺麗な貴族の子息のみ。

 国のこれからを託された者たちは、生まれながらに選ばれし幸運の持ち主だ。


 

 左大臣、橘史麻呂たちばなのふみまろの孫、橘真人たちばなのまひとが学び舎へ踏み入れば、既に到着していた貴族子息達がにこやかな笑顔で近づいて来た。


「真人殿と共に学べるとは光栄です」

「父、永塚清房ながつかのきよふさよりよろしくお伝えするように言われております」


 あからさまな世辞の言葉に内心辟易しながらも、真人はにこやかに微笑んだ。


 頭一つ抜きん出た身の丈に筋肉質な体躯。涼やかな目元に筋の通った鼻。少し薄い唇が完璧な弧を描く。

 恵まれた容姿と才能を余すことなく操って、自分の立ち位置を見せつけた。


 そんな真人を冷ややかに見つめる眼差しを感じて視線を向ければ見知った人物。

 座っていてもわかる。真人と並ぶ上背を誇り、秀でた額に日焼けした肌。表情の見えぬ硬質な面構え。


 帯刀舎人たちはきのとねりとして皇太子の護衛を務めていた時から切磋琢磨してきた男、大伴一颯おおとものいぶきだった。


 彼は右大臣、大伴兼実おおとものかねざねの孫で、真人の次に権力を握る家柄の出である。当然、真人に媚びを売るようなことはせず、寧ろ媚びを売られる側なのだが、その全てを寄せ付けぬ冷徹な雰囲気ゆえに、気安く近づく者はいなかった。


 真人も一瞥しただけで、それ以上声をかける気はなかったのだが、目の端に映り込んだ信じられない光景に惹かれて、再び目を向けた。


 一颯が笑っている!


 共に語り合っている男は背をこちらに向けて座っていた。華奢な首元に見覚えはない。


 彼を笑顔にする男がこの世にいたとは。


 どうにも気になって仕方なかった。

 そのままつかつかと近づき、正面に回り込んだ。


 ふいっと彼の者がこちらを見上げてきた。


 透き通る白肌に、中紅花なかくれないの唇。少し青みがかった瞳が驚いたように見開かれた。

 

 儚げな雰囲気に、吸い込まれそうになる。ぐらりと身体が揺れたように感じて、真仁は慌てて踏ん張った。


「そちらの御仁、宮中で見かけたことがないようだが」

「何か用か」


 二人の間に一颯が立ち塞がった。


「挨拶くらいさせてくれてもいいだろう」

「わざわざする必要はない」


 一颯の言葉に引っ掛かりを覚えた。


「必要がないわけないだろう。これから共に学ぶ学生がくしょうになるのだから」

「一颯さん、私は大丈夫ですから」


 険悪な雰囲気になった真人と一颯に交互に目を向けてから立ち上がった彼はふわりと微笑んだ。


 それはとても温かくて魅力的な笑みだった。


 これは……一颯も無視できまいな。


 先ほどの笑顔の謎に納得しつつも、何故か己の心にもざわめくものが立ち昇る。真人は戸惑いを隠すように真っ直ぐに見つめ返した。


小野悠月おののゆづきと申します。よろしくお願いします。あの、我が家は六位以下の位階ゆえ、本来であればここへ通うこと能わぬのですが」


 悠月の言葉をひったくるように一颯が続きを言う。牽制するように鋭い眼差しで真人を串刺しながら。


聖樂みらく博士と爺さんの推挙で入寮した。問題はなかろう」


 大学寮は基本的に五位以上の貴族の子息が学ぶ場所。例外的に地方で国学を修めた者が入寮できたが、身分の低い者が学ぶことは許されていない。


 聖樂博士の推挙とは。

 大御所に気に入られているなら、何か抜きん出たものを持っている男なのだろう。


 そう思った真人は、人好きのする笑顔を貼り付けて手を差し出した。


「おお、聖樂博士の推挙とは。素晴らしいですね。私は橘真人。こちらこそ、よろしくお願いします」

「あっ、橘……」


 悠月の顔に微かな緊張が走った。


「馴れ馴れしい物言いをしてしまって」


 下げかけた頭を慌てて引き止める。


「いや、ここでは無礼講といこうじゃないか。学友とは共に学び合う同士のこと。互いに気を使い合っていたのでは、いかんなく意見することも難しくなってしまうからな」


「ありがとうございます」


 頬を染め畏まる悠月の様子は、花綻ぶような初々しさだった。

 何故か目が離せなくなる。


 そんな呪縛を断ち切るように、一颯が「ふん」と鼻を鳴らした。腕を組み真人を睨みつけている。


「まったく……お前は何故そういつも敵意を撒き散らしているんだ。少しは悠月殿を見習って、その眉間の皺を伸ばしたほうがいいぞ」


 ふふっと悠月が吹き出した。

 邪気のない清らかな瞳が一颯に向けられる。


「一颯さん、真人殿の仰る通りですよ」


 そう言って無邪気に一颯の眉間に手を伸ばした。

 慌てたように顔を背けた一颯の顔になんとも言えない羞恥の色が浮かぶ。


 これは……


 鉄仮面一颯の意外な一面を見て、真人は内心ほくそ笑んだ。


 しばらく楽しめそうだな。



「皆様、席についてください」


 律学を教える坂上さかのうえ博士の到着で、早々に講義が始まった。

 朗々と語る博士の声を聞きながら、真人は思考を巡らしていた。


 聖樂博士の覚えがめでたいとは、小野悠月という男は一体どんな出自の者だろうか。


 聖樂は隣国『さい』より招かれた高僧だった。儒学、漢学に法学、算術。

 大学寮で学べる知識の大元は、この聖樂からこの国へ伝えられたものと言っても過言ではない。


 聖樂博士と大伴兼実の推挙による特別待遇というのも気になった。


 一颯の祖父、大伴兼実は右大臣であり真人の祖父、橘史麻呂と共にこの『暁国あけのくに』を支える両翼である。

 両家は祖父同士が従兄弟で血の交わりも濃いが、いつ誰が裏切るかわからないのがまつりごとというものだ。


 にこやかな笑顔の下に、常に警戒心を潜ませるよう鍛えられてきた真人にとって、小野悠月という違和感は早々に解決しておきたい問題に感じられた。


 それにしても、あの気安さは一朝一夕で築けるものではあるまい。


 あの一颯が完全に心許しているように見えた。


 そんな関係なんて……


 警戒と共に憧れが湧き上がる。


 真人は狼狽えた。



 


 

 


 


 


 


 

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