第30話 混沌

 混沌と混乱。

 その渦の中で、ナランサスの城は刻一刻と騒がしくなっていった。


 ──どこに逃げるのか。

 ──なぜ我らが誇り高き知の国が避難などを。

 ──地の民の言葉など、信じられるものか。


 広間に集まった民や貴族たちの間で、ざわめきは広がり続けていた。

 恐怖と誇りが交錯し、誰もが“信じたいもの”に縋っている。


 けれど、玉座に立ったアルム王の声が、全てを鎮めた。


「静まれ」


 低く、重い声。

 その一言で、ざわめきがぴたりと止む。


「信じられぬというならば、信じずともよい。

 だが──我が息子は命を懸けてこの知らせを持ち帰った。

 それを無にすることは、我が国の恥であり、民の命を軽んじる愚行だ」


 広間の空気が凍りつく。

 王の瞳には、恐怖でも怒りでもなく、ただ“覚悟”だけが宿っていた。


「四百年前のあの災厄を、もう二度と繰り返してはならぬ。

 生き延びれば、国は何度でも蘇る。

 光はある。──それを、我らが証明しようではないか」


 しばしの沈黙ののち、誰かが息を呑む音がした。

 そして、一人、また一人と膝をつき、静かに頭を垂れる。


「国王陛下に従う」

「家族を守ります」

「……我らも、行こう」


 そうして、混乱の中にも秩序が戻っていった。

 人々は荷をまとめ、三つの国へと分かれて避難を始める。


 北の蝶王がいる陽の国ソリュスタへ、ソレルが。

 西の獅子王がいる獅の国レオナードへは、アルム王が。

 そして南の鷲王がいる翼の国ファルネストへ、カミュラが。

 

 誰もが恐れ、泣き、祈りながらも、それでも前へと歩き出した。


 ソレルは振り返る。

 見上げた空の向こう──

 いつか見た天からの降りてくる梯子のような光が、かすかに瞬いていた。


 きっと、また戻ってくる。

 そう信じた、その瞬間。


 ラハル山の頂から、黒煙がゆっくりと立ちのぼった。

 空がざわめき、風が震えた。

 それはまるで、大地が再び“声”を上げたようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る