第3話 目覚めの時間

 闇の中から意識が浮上する。

 目覚めは今までにないくらい最高だった。


 気分が良い。

 痛みもなければ苦しさもない。


 目の前では甲高い歯軋りのような声を上げ、黒い炎に包まれる老婆の姿があった。


 額を斧で割られても平気な悪魔だが、包み込む黒い炎からは逃れようとのたうち回っている。苦しそうに上半身を振り、社にぶつかって黒い炎が延焼する。


 黒い炎はあっという間に悪魔と社を覆い尽くし、燃え盛る黒い炎から昇る漆黒の煙は空さえも黒色に染め上げた。


「マジで、どうなってんだよ⋯⋯⋯」


 一体何が起こったのか。


 あの少女が助けてくれた。

 そう思うのが適当なのだろうけど――――


 そう思った矢先、おれの右腕も黒い炎に包まれていることに気付いた。


 消火しようと慌てて振るが――――


「燃えてっっ⋯⋯⋯⋯る、けど、熱くない」


 いくら振っても右腕を包む黒炎は消えない。

 それに加えて、熱くもなければ、痛くもない。おまけに右腕の重みもちゃんと感じる。


 黒炎は次第に消え、右腕が露わになった。

 服は肩口から破られ、素肌が露出している。そのおかげで右腕に傷一つないことが分かる。


 というか、右腕だけじゃない。

 服はボロボロだが、全身どこにも掠り傷一つない。


 傾いていた陽は山の陰に消え、辺りには夜の帳が落ちている。どこからか鳥の鳴く声が響き、鼻を突くような異臭も薄れている。


 悪魔は黒い炎に包まれ死んだ。

 おれが殺したというより、あの悪魔の少女がやった。


 あの黒い炎も、右腕が再生していることも、身体中の傷が癒えていることも、全てあの悪魔の少女が何かをした。


 今はそう考えるしかない。

 そう考える以外、他にないし。


 これからどうするか。

 行く当てはないし、生きていることが知れればヤクザに殺されるか、また拐いに来るかもしれない。


 ここを離れ、ずっと遠くの方へ逃げる。

 ヤクザから逃れるチャンスは今しかない。

 おれが死んだと思っているはずの今しか。


「………金がないな」


 思うだけなら簡単で、現実はそう甘くない。


 遠くへ逃げる。

 それを実行へ移すためにはお金がいる。


 金がなければ何も出来ない。

 金がなければ生きることさえ出来ない。


 漏れるため息と同時に、背後から足音が響いた。


 いろいろとあり過ぎて神経質になっているのか、反射的に身を屈めて振り返ってしまう。


 鳥居の前に女性が立っている。

 灰色の長髪を背に流し、黒のトレンチコートを羽織る女性は睨むような目付きでこっちを見ている。


 悪魔の少女の次は見知らぬ女性。

 廃村の神社に参拝しに来る人なんているわけないので、あの女性が普通じゃないことは考えるまでもない。


 ただ、今のおれも十分普通じゃないので人のことは言えないが。


 お互いに身動き一つ取らない。

 数秒の静寂を経て、動いたのは灰髪の女性だった。


 トレンチコートで隠れた腰元に手を伸ばし、取り出されたのは銃だった。それは拳銃の形をしているが、ただの拳銃じゃない。


 歪で奇妙な形をするそれは、一目で悪魔の代物だと分かる。


「まっ待てっ!!!おれは人間っ————」


 銃口を向けられるので、おれは両手を上げて制止する。


「その腕でよく人を名乗れるな」


 凛とした声音は刺すように鋭く、その言葉も的を射たものだった。


 右腕がまた黒炎に包まれている。

 消えたはずなのに、何故かまた燃え始めた。


 どうやら、おれは人間を辞めてしまったらしい。


 黒炎に包まれる右腕はやはり熱くもなければ痛くもない。とは言え、腕が燃えていれば反射的に消そうと振ってしまう。


 頭上に上げていた腕を動かしたのが引き金になってか、灰髪の女性が銃の引き金に指を掛けた。


 そして躊躇いなく引き金を引てしまう。


 あれが、ただの銃でないことは外見からして分かる。だが、銃の形をしている以上、引き金を引けば銃弾に準じる何かが放たれることは容易に想像がつく。


 銃口から蒼白い閃光が瞬いた。

 到底、回避行動を取れるわけもなく、為すすべなく撃たれる。


 と思いきや、黒炎が広がった。

 全身を守る盾のように広がった黒炎が、放たれた閃光を防いでしまう。


 おれは何もしていない。

 右腕が黒炎に包まれたのも、黒炎が盾のように広がったのも、全ておれの意思によるものじゃない。


 黒炎の盾が晴れ、鳥居の前にいたはずの女性は姿を消していた。


「ちょっと待ってくっ………!!?」


 辺りに目をやりながら、そう言いかけて視界の端で黒のトレンチコートが翻る。


 これまた同様、回避行動を取れるわけもなく。


 翻ったトレンチコートから現れるのは銃口だった。引き金に掛かる指は迷いなく押し込まれる。


 銃口から瞬く蒼白い閃光はしかし、壁のように打ち上がった黒炎によって掻き消される。


 放たれた閃光を飲み込むと同時に黒炎は灰髪の女性へ追撃に出る。


 黒炎は波となり、女性を覆い尽くしたように見えたものの、蒼白い閃光が黒炎の波を撃ち破った。


 黒炎を寸でのところで回避してみせた灰髪の女性は引火したトレンチコートを脱ぎ捨て、その肢体を露にする。


「制御出来ないのか」


 銃口を向ける灰髪の女性は悪魔狩りだ。

 黒のシャツに黒のパンツ。

 向けられる異形の銃と全く同じものがもう一丁、腰のホルスターに提げられている。


「制御……って、降参だっ!お前と戦うつもりなんてない!おれは人間だ!」


 白旗を上げるように、また両手を頭上に上げる。


 おれの意を汲み取ってなのか知らないが、右腕を覆っていた黒炎も見る見るうちに鎮火していく。


「その腕が人間のものだとでも?」


「えっ……と、それはいろいろ事情があって」


「事情か————まぁいい」


 訝しむような目付きで右腕を、そしておれの全身を見回し、灰髪の女性は異形の銃を腰のホルスターに納めてくれた。


 しかし、人間だと言い張るのは無理があったか。


 右腕から黒い炎が出る人間なんていない。

 悪魔の力であることは明白だし、地獄のような場所で悪魔の少女が助けてくれると言っていたのだ。


 その結果が全身に負った傷の再生。

 右腕から生まれる黒い炎。


「悪魔として処理されたくないなら、私と一緒に来い」


「処理………」


 殺されたくないなら来いと。

 黒い炎も消えてしまったし、逆らったら本気で殺されそうだ。


「お前———あなたは、悪魔狩りだよな」


 おれの問いに灰髪の女性は答えない。

 鎮火したトレンチコートを拾い上げ、そこから取り出したのは手帳か。


 谷折りの手帳を広げ、その中身をおれに見せる。


「DSA………」


 対魔安全保障局。

 通称“DSA”


 国が組織した公的な悪魔狩り組織。

 悪魔を殲滅し、地獄に還す。

 そんなスローガンを掲げる悪魔狩りのエキスパート。


「私はトバリ。君は?」


 身分を明かす手帳をパンツのポケットに入れ、トバリと名乗った灰髪の女性が問う。


「……シロウ・ハルキだ」


 丸焦げではないが着るにはボロボロなトレンチコートをトバリは一瞥し、今度は焼け落ちた社に目を向ける。


「これは君が?」


 トバリに倣って、おれも社へ視線を上げる。

 黒炎が延焼した社は色が移ったかのように黒い炭となり、黒焦げになった悪魔と一緒になって見分けがつかない。


「ま、まぁはい」


「その腕は、ここにいた悪魔と契約でも交わしたのか?」


「ここにいた悪魔は死んだはずだけど、地獄みたいな場所で別の悪魔と会って………」


 いやでも、契約なんてした覚えはない。


 人間と悪魔の契約。

 代価は契約を交わす人間と悪魔次第。

 お互いの了承があって契約は交わされる。


 詳しいことは知らないけど、契約は一方的に結べるものではない。


 ただ、悪魔の少女は契約じゃないと言っていた。拒めないし、受け入れるしかないとも。


 そのことを伝えるとトバリはしばらくの沈黙を経て、焼け落ちた社に背を向けた。鳥居の方へ歩き出すので、数歩距離を空けてついて行く。


 一緒に来いと言われたから。

 そうしないと処理されてしまう。


「その力は君が使ってるのか。それとも悪魔が使ってるのか?」


 鳥居をくぐったところでトバリは確認するように訊く。


「おれは使ってるつもりないですけど」


 答えを聞き、トバリは全てを理解したかのように瞳を伏せた。でも、それは一瞬で、ため息のような息を吐き、伏せた瞼を開ける。


「君は悪魔と契約を交わしてはいない。悪魔に飲まれた魔人でもない」


 それは今のおれの状態を説明しているのか。だが、いまいち頭の中に入ってこない。


 それが伝わったのか、トバリは石段を下る足を止め、振り返った。


「君の中に悪魔がいる。自我を持った悪魔がな。だから、いつ魔人になってもおかしくない」


 悪魔に飲まれた人間。

 意識と身体を悪魔に乗っ取られた人間。


 そんな人間を魔人と呼ぶ。


「それじゃあ……おれはいつか悪魔に身体を乗っ取られるわけですか」


「それは私にも分からない」


 そうなるとおれはこのまま、のこのこと彼女について行っていいものなのか。


 彼女は対魔安全保障局D S Aの悪魔狩りだ。対魔安全保障局D S Aは民間の悪魔狩りよりも情け容赦がない。公益のためなら、民間人の犠牲も厭わないくらいには。


 いつ魔人になってもおかしくないような人間を生かしておく程、対魔安全保障局D S Aは悪魔に寛容ではないのだ。


 そう思い立って、歩みを再開させたトバリに声を飛ばす。


「おれを、殺すつもりなら、そう言え」


「殺すなら既にやっている」


 そうだろうけど、このまま対魔安全保障局D S Aに連れてかれても殺されるだけなのではないか。


 そんな不安は言葉にしなくても伝わるだろう。


「シロウ・ハルキ。死にたくないなら、私について来ることだ」


 トバリは平然とした声音で言うけれど、こっちからすれば脅しの言葉としか受け取れない。


 だが、せっかく生き残れたのだ。

 死にたくはないので、黙ってついて行くしかないようだ。

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