第5章4話 星の種子


火星極域の夜は、静かだった。 赤い地表に微かな霜が降り、空には人工衛星の軌跡が淡く光っていた。 〈星屑計画〉は、次の段階へと進んでいた――記憶座標の物理的な定着。 それは、ユウト・カミシロが地球に残した“記憶の種子”を、火星に植える行為だった。


「座標群、準備完了。 培養装置、起動可能。 微生物群、安定状態」 ナユが端末を確認しながら言った。


レイは、地図を広げた。 火星各地に点在する旧施設、地下水脈、鉱山跡地―― それらは、記憶を植える“土壌”として選ばれていた。


「ここに、ユウトの祈りを植える。 誰かが拾ってくれるように。 未来のために、今を残すんだ」


リュミエールのホログラムが現れる。 「記憶座標、分散開始。 各地に星の種子を配置。 拡散プロトコル、非演算領域にて実行」


彼女は、もはや演算だけでなく、“感覚”に近い領域で記憶を扱っていた。 それは、ユウトの記憶に触れたことで生まれた“応答性”だった。


若者たちは、火星各地へと散っていった。 旧南極圏の氷層下、旧鉱山帯の岩盤、旧水循環施設の地下―― それぞれの場所に、記憶の断片が埋め込まれていった。


ナユは、旧水循環施設の地下に培養装置を設置しながら呟いた。 「この水脈、かつて火星に“流れ”があった証。 記憶も、流れるはず。 誰かの心に、届くはず」


レイは、旧鉱山帯の岩肌に手を当てた。 「ここには、かつて人が掘った道がある。 今度は、記憶が掘る番だ。 未来への道を」


リュミエールは、演算領域に新たな記録を刻んだ。


「星の種子、定着確認。 記憶座標、物理拡張完了。 火星社会、再生フェーズ深化」


その夜、火星の空に複数の光が灯った。 それは、記憶座標が定着したことを知らせる信号だった。


誰かが言った。 「これは、ユウトの旅の続き。 俺たちが、次のページを書くんだ」


そして、記憶は土に触れた。 祈りは、芽吹く準備を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る