第12話 制限の逆転
時間は、流れていた。
どれほどの時間が経ったのか――
エイルにも、わからなかった。
だが――
彼女は、再び天界の門を越えていた。
愛の女神カリューナの祝福を胸に。
ただ一人で。
リミタールの神域へ。
白き広間は、変わっていなかった。
床も、壁も、天井も――すべてが白。
そして――
玉座に、あの男が座っていた。
リミタール。
制限の神。
彼は、相変わらず気怠げな様子だった。
林檎を齧り、片手で鎖を弄んでいる。
足元には――
前回の戦いの痕跡が、まだ残っていた。
床の亀裂。
壁の焦げ跡。
それらは、あの激戦を物語っていた。
「またお前か」
リミタールは、エイルを見た。
「一度負けたヤツが、もう戻って来るとは――」
彼は、欠伸をした。
「勝算でも、あるのか?」
「あのときは――」
エイルは、弓を構えた。
「運が悪かっただけ」
彼女の瞳が、輝いた。
金と黒。
二色の光。
「今日は違う」
エイルは、微笑んだ。
「"二人とも"強くなってるから」
「……はァ?」
リミタールは、眉をひそめた。
「二人? お前、一人だろ」
「今はね」
エイルは、矢を番えた。
「でも――すぐに来る」
「……ふーん」
リミタールは、鼻で笑った。
「根拠がない、ハッタリだな」
彼は、立ち上がった。
「まあいい。相手してやるよ」
そして――
エイルが、突撃した。
速い。
エイルの動きは、以前とは比べ物にならないほど速かった。
矢が、連続で放たれる。
それらは、光と闇を纏っていた。
金色と漆黒が、螺旋を描いて絡み合う。
「おっ?」
リミタールは、軽く身体を傾けた。
矢が、彼の頬を掠める。
「やるじゃん」
だが――
リミタールの手が、動いた。
鎖が、空中に現れる。
「1つ目――"速さ"」
エイルの動きが、鈍った。
「くっ……!」
「2つ目――"跳躍力"」
エイルの足が、重くなる。
だが――
彼女は、止まらなかった。
「まだ!」
矢を、放ち続ける。
刃が、空を裂くたびに黄金の光が弧を描く。
それは、カリューナの元で鍛えた力。
本来あるべき力の均衡。
「へぇ」
リミタールは、感心したように言った。
「前よりいいじゃん」
彼は、鎖を増やした。
「3つ目――"反射神経"」
「4つ目――"筋力"」
「5つ目――"視力"」
制限が、次々とかけられていく。
エイルの光が、徐々に鈍っていく。
だが――
彼女は、立ち続けた。
「6つ目――"聴力"」
「7つ目――"平衡感覚"」
「ほら――」
リミタールは、肩をすくめた。
「もう7つ目だ。まだ立てるのか?」
「立てる」
エイルは、答えた。
息が、荒い。
身体が、重い。
だが――
「だって――」
彼女は、前を向いた。
「彼が、必ずここに来るから!」
「……そうかよ」
リミタールは、つまらなそうに言った。
「じゃあ、とっとと終わらせるか」
彼は、手を振った。
鎖が、エイルへと殺到する。
エイルは、剣を振るった。
光の剣。
それは、別れ際にカリューナが授けた、神の武器。
だが――
力が、足りなかった。
鎖が、剣を弾く。
そして――
リミタールの蹴りが、エイルの腹に入った。
「ぐ……!」
エイルの身体が、吹き飛んだ。
壁に、叩きつけられる。
石が砕け、煙が上がる。
「……はぁ……はぁ……」
エイルは、ゆっくりと立ち上がった。
全身が、痛む。乱れた呼吸が戻らない。
鎧が、砕けかけている。
「まだ立つのか」
リミタールは、歩いてきた。
「しぶといな」
彼は、足を振り上げた。
止めを刺すために。
エイルは、目を閉じた。
『エピテウス……』
彼女は、心の中で呼んだ。
『早く……来て……』
リミタールの足が、振り下ろされた。
だが――
金属音が、響いた。
「……お?」
リミタールの足が、止まっていた。
いや、止められていた。
誰かが――
その足を、掴んでいた。
「すまない」
声が、聞こえた。
懐かしい、温かい声。
「待たせた」
エイルは、目を開けた。
そこに――
エピテウスが、立っていた。
「……エピテウス」
エイルは、微笑んだ。
涙が、溢れそうになった。
だが――
戦士は、泣いてはいけない。
「……遅いぞ」
「ああ」
エピテウスは、苦笑した。
「ごめん」
彼は、リミタールの足を離した。
そして、エイルの前に立った。
「でも――」
彼は、剣を抜いた。
光の剣。
魂の剣。
「もう大丈夫だ」
リミタールは――
楽しそうに笑った。
「おお、二人揃ったか」
彼は、両手を広げた。
「いいじゃないか」
鎖が、空中で渦を巻く。
「じゃあ――」
リミタールの瞳が、輝いた。
「本当の"制限の意味"を、教えてやるよ」
二人は、肩を並べた。
エピテウスとエイル。
剣と弓。
光と闇。
「行けるか?」
エピテウスが、問うた。
「当然」
エイルは、答えた。
「今度は――」
二人は、同時に言った。
「負けない」
彼らの力が、一つになった。
エピテウスの光と、エイルの闇。
そして――
カリューナと、僧侶の教え。
すべてが、混ざり合った。
「行くぞ!」
二人は、同時に駆け出した。
リミタールは、両腕を広げた。
空間が、軋んだ。
無数の鎖が、空中でねじれ始める。
それらは、今までとは違った。
もっと複雑に。
もっと密に。
世界全体を、覆い尽くすように。
「これまでかけてきた――」
リミタールの声が、響いた。
「全ての"制限"を、反転させる」
鎖が、逆回転し始めた。
「これが俺の本当の権能――」
リミタールの身体が、光を放った。
「"局限廻転"《リミット・リバーサル》」
瞬間――
世界が、変わった。
周囲の空気が、力場がリミタールへ吸い寄せられていく。
それだけではない。
エピテウスとエイルにかけられていた制限が――
逆に、彼らの力を増幅させた。
「な……!」
エピテウスの剣が、激しく輝いた。
エイルの弓も、光を放った。
二人の力が、一時的に爆発的に上昇する。
「制限は制御」
リミタールは言った。
「制御は秩序」
「そして秩序は――」
彼の身体が、さらに輝きを増した。
「俺の、力だ」
戦いが、始まった。
いや、嵐が始まった。
剣と拳がぶつかるたびに、空が裂けた。
矢と鎖が交錯するたびに、地が震えた。
エピテウスの剣が、リミタールの頬を切る。
エイルの矢が、リミタールの肩を貫く。
だが――
リミタールも、反撃する。
蹴りが、エピテウスを吹き飛ばす。
鎖が、エイルを縛る。
「あの時と違う!」
エピテウスが、叫んだ。
「俺たちは――」
「心で繋がっている!」
エイルが、続けた。
「そう!」
二人の声が、重なった。
「だから制限は――」
「もう私たちを縛れない!」
二人の攻撃が、激しさを増した。
エピテウスの剣が、百の軌跡を描く。
エイルの矢が、千の光を放つ。
リミタールは、それらをすべて受け止めた。
いや、受け止めながら――
力を増していった。
制限の反転。
それは、敵にも味方にも作用する。
戦えば戦うほど――
全員が、強くなっていく。
「こいつァ――」
リミタールは、笑った。
「ヘビーだな」
彼の拳が、エピテウスの剣を弾いた。
彼の足が、エイルの矢を蹴り飛ばした。
「でもな――」
リミタールの瞳が、冷たく光った。
「俺は、神だ」
「人間に負ける筋合いは――」
彼の力が、さらに増した。
「ねぇ」
エイルの鎧が、砕けた。
カリューナが授けた、愛の鎧。
それが、光の破片となって散っていく。
エピテウスの剣も、欠けた。
魂の剣。
それすらも、この戦いには耐えられなかった。
「……はぁ……はぁ……」
二人は、膝をついた。
全身が、限界を超えていた。
「終わりか?」
リミタールは、二人を見下ろした。
「もう立てないか?」
だが――
エピテウスは、立ち上がった。
震える足で。
「……まだだ」
エイルも、立ち上がった。
折れそうな腕で、弓を構える。
「まだ……終わってない……」
二人は、互いを見た。
そして――
微かに、笑った。
「行こう」
「ああ」
二人は、息を合わせた。
同時に、最後の構えを取る。
リミタールの瞳に――
一瞬だけ、戸惑いが走った。
『コイツらのこの力……』
彼は、心の中で呟いた。
『どこから、来ている……?』
そこには――
恐怖がなかった。
絶望もなかった。
ただ――
強い意志だけが、あった。
自由のための。
生きるための。
そして――
守るための。
「行くぞ!」
エピテウスが、叫んだ。
「ええ!」
エイルが、応えた。
二人は、同時に放った。
斬撃と矢。
光と闇。
それらが、一つになった。
愛の神の祝福によって。
恐怖を越えた心によって。
過去最大の一撃。
それが――
リミタールへと、向かった。
リミタールは――
正面から、受け止めた。
両手を広げ、鎖を展開し。
「来いよ――」
彼は、笑った。
「人間!」
光と闇が、鎖とぶつかった。
爆発。
衝撃波が、広間全体を揺らした。
壁が崩れ、天井が砕ける。
そして――
剣が、リミタールの胸を貫いた。
「……チッ」
リミタールは、剣を見下ろした。
血は流れなかった。
ただ、光が漏れていた。
「ツいてねえなァ」
彼は――
どこか満足そうに笑った。
「まさか……本当に……」
鎖が、一斉に崩壊していった。
制限が、解けていく。
「お前ら……本物だ……」
リミタールの身体が、光の中に溶けていく。
「また……会おうぜ……」
最後に――
「 人間 」
そして――
完全に、消えた。
二人は、膝をついた。
崩れ落ちる神域を、見上げる。
天井が崩れ、壁が砕け――
そして、その奥に。
新しい光が、現れていた。
天の門。
その奥へ続く、道。
「……エイル」
エピテウスが、呟いた。
「見えるか?」
「ええ」
エイルは、頷いた。
「あれが――」
二人は、同時に言った。
「神々の都」
アウレオス。
天界の中心。
すべての神々が住まう、場所。
「行こう」
エイルは、立ち上がった。
「この先は――」
「神々の都だ」
エピテウスも、立ち上がった。
「あぁ」
彼は、剣を握りしめた。
欠けた、剣。
だが――
まだ、戦える。
「上の奴らに――」
二人は、同時に言った。
「見せてやろう」
「人間の、力を」
二人は、光の中へと歩き出した。
崩れる神域を抜けて。
神の都へ続く門へ、辿り着いた。
そこは――
「……ここからか」
エピテウスが、呟いた。
「ああ」
エイルは、頷いた。
その時――
遠くから、鳴き声が聞こえた。
「オォォォン……」
エイルは、はっとした。
「この声は……!」
彼女は、走り出した。
門の向こう側へ。
そして――
「ノヴァ!」
そこに、銀色の狼がいた。
傷だらけで、疲れ切った様子。
だが――確かに、ノヴァだった。
「どうして……ここに……!」
エイルは、狼を抱きしめた。
ノヴァは、彼女の顔を舐めた。
尻尾を振り、小さく鳴く。
「ずっと……待ってたの?」
エイルの声が、震えた。
「私の帰りを……一人で……」
ノヴァは、何も答えなかった。
ただ、そこにいる。
あの時、リミタールの攻撃を躱し二人の帰りを、じっと待っていたのだ。
「……ごめんね」
エイルは、ノヴァの頭を撫でた。
「待たせて」
涙が、溢れた。
今度は――
堪えなかった。
戦士は、泣いてはいけない。
だが――
今は、いい。
大切な仲間と、再会できたのだから。
エピテウスも、近づいてきた。
「よく、生きてたな」
彼も、ノヴァの頭を撫でた。
「お前も、強いな」
ノヴァは、エピテウスの手を舐めた。
そして――
立ち上がった。
まだ、戦える。
二人と共に。
「……行こう」
エイルは、涙を拭った。
「今度は、三人で」
エピテウスは、頷いた。
「ああ」
三人――いや、三つの影が、門をくぐった。
光の中へ。
神々の都へ。
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