第8話 黄金の番人

極寒の風が、容赦なく吹きつけていた。


雪に覆われた山々を、二人は登り続けていた。


ノクスファールは、影のように雪の上を滑る。蹄が雪に触れても、跡すら残さない。


ソルディアスは、炎のように雪を溶かしながら進む。

その身体から放たれる熱が、エピテウスを寒さから守っていた。


ノヴァも、必死に後を追っている。

銀色の毛並みに、雪が積もっていた。


「もう……どれくらい登ってる……?」


エピテウスが、息を切らせて問うた。


「三日……いや、四日か」


エイルも、疲れた声で答えた。


「時間の感覚が、おかしい」


それもそのはずだった。


この山は、普通の山ではなかった。


天上へと続く、神域の山。


時間も、空間も、ここでは歪んでいた。


「……見えた」


エイルが、前方を指差した。


エピテウスも、目を凝らした。


雪の向こう、雲の上に――


何かが、見えた。


巨大な門。


それは、黄金で作られていた。


いや、黄金そのものが、門となっていた。

太陽の光を集めたような、眩しいほどの輝き。


門は、天へと続く階段の入口に立っていた。


「あれが……」


「神々の国へ続く、階梯の門」


エイルは、呟いた。


「伝説でしか聞いたことがない」


二人は、馬を進めた。


やがて、門の前に辿り着いた。


雪が、ここだけ積もっていなかった。門の周りだけ、春のように温かい。


だが――


門の前に、誰かが立っていた。


いや、何かが。


それは、人の形をしていた。


だが、人ではなかった。


黄金の鎧。


全身を覆う、完璧な鎧。継ぎ目一つなく、まるで生きているかのように輝いている。

太陽そのもののような光を放ち、見つめるだけで目が痛くなるほどだった。


右手には、巨大な盾。


それは人の背丈ほどもあり、表面には無数の紋章が刻まれている。

太陽、月、星々――すべての天体が、そこに描かれていた。


左手には、湾曲した剣。


刃は波打ち、まるで炎のような形をしている。鞘に収められているが、そこから微かに光が漏れていた。


そして――


兜の奥から、二つの光が見えた。


瞳。


それは、人間の瞳ではなかった。黄金の炎が、そこで燃えていた。


「……何者だ」


エピテウスは、馬から降りた。


エイルも、続いた。


ノヴァは、唸り声を上げて警戒している。


黄金の戦士は、動かなかった。


ただ、そこに立っているだけ。


だが、その存在感は圧倒的だった。まるで、山そのものが立ち上がったかのような。


やがて――


戦士が、口を開いた。


声は、静かだった。


だが、響きは大地を震わせた。


「神々の門をくぐらんとする者よ」


その声は、エピテウスとエイルの骨まで響いた。


「お前たちの”正義”を――」


戦士は、剣を抜いた。


刃が、太陽の光を反射して輝く。


「力で、証明せよ」


瞬間――


戦士が、動いた。


速い。


その巨体からは想像できないほど、速かった。


一瞬で、エピテウスの目の前に迫る。


剣が、振り下ろされた。


「くそっ!」


エピテウスは、咄嗟に自分の剣で受け止めた。


ルキス・アナスタス。


金属音が響き――


エピテウスの身体が、吹き飛んだ。


地面を転がり、雪の中に突っ込む。


「エピテウス!」


エイルが叫んだ。


彼女は、弓を構えた。


矢を番え、狙いを定める。


戦士の兜の隙間――そこを狙う。


矢が、放たれた。


それは、闇を帯びた光。


エイルの最強の一撃。


だが――


戦士は、盾を掲げた。


矢が、盾に当たった。


そして――


弾かれた。


いや、飲み込まれた。


盾が光を放ち、矢を吸収してしまった。


「嘘……」


エイルは、信じられないという顔をした。


「私の矢が……通じない……?」


戦士は、静かに彼女へと向き直った。


「弓では、この門は越えられぬ」


そして――


戦士が、盾を振った。


光の波が、エイルへと押し寄せる。


「ノクスファール!」


エイルは、馬に飛び乗った。


馬は、影のように動き、光の波を回避する。


だが――


戦士は、さらに剣を振るった。


刃が、空気を断った。


轟音。


それは、天の雷鳴のような音だった。


衝撃波が、エイルを襲う。


「ぐ……!」


エイルは、馬ごと吹き飛ばされた。


地面に叩きつけられ、息が止まる。


「エイル!」


エピテウスが、立ち上がった。


彼は、ソルディアスに飛び乗った。


「行くぞ!」


馬が、嘶いた。


そして――突撃。


ソルディアスは、炎のように駆けた。蹄が地面を蹴るたび、火花が散る。


エピテウスは、剣を構えた。


全身全霊の一撃。


「おおおおおお!」


剣が、振り下ろされた。


だが――


戦士の盾が、それを受け止めた。


光の壁。


エピテウスの剣は、その壁を破れなかった。


「くそ……!」


エピテウスは、歯を食いしばった。


力を込める。


剣が、微かに光を放つ。


だが――


足りない。


「まだ……足りぬ」


戦士の声が、響いた。


そして――


盾が、押し返した。


エピテウスは、馬ごと吹き飛ばされた。


雪の中に叩きつけられ、視界が歪む。


「くそ……」


エピテウスは、ゆっくりと立ち上がった。


全身が痛む。


剣を握る手が、震えている。


少し離れた場所で、エイルも立ち上がった。


彼女も、満身創痍だった。


弓を握る手から、血が流れている。


二人は、戦士を見た。


黄金の番人。


彼は、傷一つ負っていなかった。


ただ、そこに立っている。


圧倒的な、壁。


「……強い」


エピテウスは、呟いた。


「神に仕える者は、こんなにも強いのか」


「違う」


エイルが、答えた。


「あれは……かつて人だった者」


「人……?」


「黄金の番人 ゴルダール」


エイルは、戦士を見つめた。


「伝説の戦士。最強と謳われた男」


「戦場で死に――」


彼女の声が、震えた。


「神によって、“永遠の試練者”として再生された」


「再生……」


エピテウスは、戦士を見た。


兜の奥の、黄金の炎。


あれは――人の瞳なのか?


「死んでも、なお戦い続ける」


エイルは、続けた。


「それが、彼の運命」


「そんな……」


エピテウスの胸が、痛んだ。


死んでも、解放されない。


永遠に、門を守り続ける。


それが――神が与えた、役割。


「……俺たちは」


エピテウスは、剣を握りしめた。


「どうする?」


エイルは、彼を見た。


そして――


微かに笑った。


「決まってるでしょ」


彼女は、弓を構え直した。


「倒す」


「でも、俺たちの攻撃は――」


「一人では、通じない」


エイルは、エピテウスの目を見つめた。


「なら――」


二人は、同時に言った。


「二人で」


エピテウスは、ソルディアスに乗った。


エイルは、ノクスファールに乗った。


二頭の馬が、並んだ。


炎と影。


光と闇。


「神に届かぬなら――」


エピテウスが、言った。


「二人で、届かせる」


「太陽と闇――」


エイルが、続けた。


「今だけは、一つになる」


二人は、手を伸ばし合った。


そして――


手を、握った。


その瞬間。


二人の力が、混ざり合った。


エピテウスの光と、エイルの闇。


それらが、一つになる。


剣が、輝いた。


弓が、脈打った。


馬たちも、嘶いた。


ソルディアスの炎と、ノクスファールの影が融合する。


「行くぞ!」


二人は、同時に駆け出した。


二頭の馬が、完璧に並走する。


戦士は、盾を構えた。


光の壁が、展開される。


だが――


今度は、違った。


エピテウスの剣と、エイルの矢が――


同時に、放たれた。


光と闇が、螺旋を描いて絡み合う。


一つの力となって、戦士へと向かう。


戦士の盾が、それを受け止めた。


光の壁と、二人の力が、激しくぶつかり合う。


火花が散り、衝撃波が広がる。


「押せ……!」


エピテウスが、叫んだ。


「まだ……!」


エイルも、力を込めた。


二人の力が、さらに強まる。


そして――


盾が、押された。


わずかに。


ほんの、わずかに。


だが――確かに、押された。


戦士が、一歩後ずさった。


その瞬間――


門が、動いた。


重き門が、軋むように開き始める。


黄金の扉が、左右に分かれていく。


光が、その奥から溢れてきた。


天界への、階段。


二人は、力を解いた。


息を切らせ、馬から降りる。


全身が、震えていた。


だが――


やった。


門を、開けた。


戦士は、静かに立っていた。


そして――


笑った。


声が、大地を震わせた。


空気が、振動した。


それは、雷鳴のような笑い声だった。


「……通るがいい」


戦士は、剣を鞘に収めた。


「お前たちは――」


兜の奥の、黄金の炎が揺れた。


「“まだ”人でありながら、神を恐れぬ者たちだ」


戦士は、門の脇へと退いた。


道を、開ける。


「行け」


戦士の声が、優しく響いた。


「お前たちの、物語を紡げ」


エピテウスとエイルは、互いを見た。


そして、頷いた。


二人は、馬に乗り直した。


ノヴァも、後を追う。


門へと、向かう。


光が、二人を包んだ。


温かく、眩しく――


そして、どこか懐かしい光。


エピテウスは、最後に振り返った。


戦士は、そこに立っていた。


永遠に、門を守り続ける者。


「……ありがとう」


エピテウスは、小さく呟いた。


戦士は、何も答えなかった。


ただ――


微かに、頷いたように見えた。


二人は、門をくぐった。


天界への階段が、目の前に現れた。


それは、雲の上へと続いていた。


無数の段が、どこまでも続いている。


「……長そうだな」


エピテウスが、呟いた。


「ええ」


エイルも、同意した。


「でも――」


二人は、同時に言った。


「行こう」


馬が、階段を登り始めた。


蹄の音が、天に響く。


それは、まるで――


新しい時代の、鼓動のようだった。


背後で、門がゆっくりと閉じていった。


戦士は、再び動かなくなった。


次の挑戦者を、待つために。


永遠に。


雪が、静かに降り始めた。


それは、まるで祝福のようだった。


そして――


天界への旅が、始まった。​​​​​​​​​​​​​​​​

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