第7話 女神の贈り物

聖都の戦いが終わった夜。


エピテウスとエイルは、森の中で休んでいた。


焚き火が、静かに燃えている。


ノヴァは、エイルの足元で丸くなっていた。疲れ果てて、深く眠っている。


二人も、無言だった。


身体は疲れていたが、眠れなかった。


戦場の光景が、まだ目に焼き付いている。


「……なぁ、エイル」


エピテウスが、口を開いた。


「俺たち、これからどうする?」


エイルは、焚き火を見つめたまま答えた。


「わからない」


「でも、戻れないよな」


「ええ」


エイルは、自分の手を見た。


金と黒の光が、微かに指先で揺れている。


「私は、もう戦士じゃない」


「太陽神に仕える者でもない」


「ただ――」


彼女は、言葉を探した。


「ただ、私は私」


「……そうだな」


エピテウスも、剣を見た。


ルキス・アナスタス。


それは、鞘に収められていたが、微かに光を放っていた。


「俺も、もう村には帰れない」


「母さんは……元気だろうか」


その時――


焚き火の炎が、揺らいだ。


いや、揺らいだのではない。


炎の周りに、光の糸が舞い降りてきた。


星屑のような、美しい糸。


それらは、空中で編まれ、形を作っていく。


「これは……」


エピテウスとエイルは、立ち上がった。


ノヴァも、目を覚まし、警戒するように唸る。


光の糸が、三つの人影を形作った。


そして――


三人の女神が、そこに現れた。


「アステリオネ……」


エピテウスは、呟いた。


星をまとう少女。彼に運命の糸を託した、女神。


「クロノメア……」


エイルも、息を呑んだ。


砂時計を手にした、時間の女神。冥界で彼女に真実を示した者。


そして――


三人目の女神。


彼女は、黄金の糸車を手にしていた。どこか幼げな姿だが、その瞳には無限の知恵が宿っている。


「カイリュサ……」


アステリオネが、紹介した。


「運命を紡ぐ、三女神の末妹」


「初めまして、誤りの子」


カイリュサは、穏やかに微笑んだ。


「そして、二色の瞳を持つ娘」


エイルは、一歩後ずさった。


「なぜ……あなたたちが……」


「警告をしに来た」


クロノメアが、答えた。


彼女は砂時計を傾けた。砂が、逆に流れ始める。


「神々は、秩序を乱すお前たちを見逃さぬ」


「天上では既に軍が編成され――」


カイリュサが続けた。


「神々の遣いが、地上に降りようとしている」


エピテウスは、剣の柄に手を置いた。


「神々の……軍?」


「そうだ」


アステリオネが頷いた。


「あなたは、本来存在してはならない命」


「そして、エイル。あなたは、神の光と冥府の闇を同時に持つ者」


「どちらも――」


三女神が、同時に言った。


「神々にとって、脅威なのだ」


「戦の神々は怒り――」


カイリュサが言った。


「光の神々は恐れている」


「神の手を離れた命ほど――」


クロノメアが続けた。


「神々にとって恐ろしいものはないのだ」


沈黙が、訪れた。


焚き火の音だけが、パチパチと響いている。


エピテウスとエイルは、互いに視線を交わした。


「……なぁ、エイル」


エピテウスが、口を開いた。


「逃げるか?」


「どこへ?」


エイルは、微かに笑った。


「世界の果てまで逃げても、神々は追ってくる」


「じゃあ――」


「なら、逃げるのではなく――」


二人は、同時に言った。


「「行こう」」


アステリオネが、微笑んだ。


「やはり、そう言うと思いました」


彼女は、掌を開くとそこに、光と闇の糸が現れた。


金色の糸と、漆黒の糸。


それらは、アステリオネの指の間で踊り、やがて地面へと降りていった。


糸は、地を這い、編まれ、形を作っていく。


そして――


二頭の馬が、そこに現れた。


一頭は、漆黒だった。


夜そのものを纏ったような、黒い馬。


鬣は闇で編まれ、風になびくたび星の光を散らす。蹄が地面に触れると、冷たい霧が立ち上る。


「ノクスファール」


アステリオネが、その名を呼んだ。


「夜を駆ける者」


馬は、エイルへと近づいてきた。


その瞳は、深い紫色。まるで、冥府の空を映したかのような色。


「これは……」


エイルは、恐る恐る手を伸ばした。


馬は、彼女の手に鼻先を寄せた。温かい息が、手のひらに触れる。


「お前の乗騎だ」


クロノメアが言った。


「冥府の風を纏い、空を滑るように進む」


「影の道を走り――」


カイリュサが続けた。


「死の地さえも渡る」


もう一頭の馬は、対照的だった。


白金の毛並み。

太陽の光を反射して、眩しいほどに輝いている。


鬣は炎のように燃え、瞳は黄金色。蹄が地面を叩くたび、小さな火花が散った。


「ソルディアス」


アステリオネが、その名を呼んだ。


「太陽の子」


馬は、エピテウスへと近づいてきた。


その瞳は、まるで生きた炎のようだった。


「これが……俺の?」


エピテウスは、馬の首に手を置いた。


温かい。いや、熱い。まるで、命そのものが燃えているかのように。


「天を蹴って駆ける」


クロノメアが言った。


「お前の剣と共に、光を生む」


二人は、それぞれの馬の前に立った。


神が与えた、乗騎。


「時間は流れる」


クロノメアが、砂時計を回した。


「だが、選ぶことはできる」


「お前たちが進む先に何を見るか――」


彼女は、二人を見つめた。


「それは、お前たち自身が決めるのだ」


カイリュサが、前に出た。


彼女は、糸車を回しながら語った。


「天上の神々を殺すことは叶わない」


「彼らは不死。永遠の存在」


「だけど――」


彼女は、微笑んだ。


「彼らの”支配”を縛り、世界を再び人の手に戻すことはできる」


「どうやって?」


エピテウスが、問うた。


「それを、お前たちが見つけるのだ」


カイリュサは答えた。


「答えは、天上にある」


アステリオネが、最後に前に出た。


彼女は、二人の手を取った。


「運命は、我らが織るものではなく――」


彼女の瞳が、優しく二人を見つめた。


「もはや、あなたたちの剣が紡ぐもの」


「神々の都〈アウレオス〉へ行きなさい」


「その地で――」


アステリオネは、微笑んだ。


「“人の自由”を示すのです」


三女神の姿が、薄れ始めた。


光の糸となって、散っていく。


「待って!」


エピテウスが叫んだ。


「俺たちは、本当に――」


「大丈夫」


アステリオネの声が、風に乗って届いた。


「あなたたちは、もう一人じゃない」


「互いがいる」


クロノメアの声。


「そして、選ぶ力がある」


カイリュサの声。


「さあ、行って――」


三人の声が、重なった。


「あなた達だけの物語を、紡ぎなさい」


女神たちは、完全に消えた。


光の糸となって、空に溶けていく。


夜空に、二つの流星が走った。


それは、まるで祝福のようだった。



エピテウスとエイルは、しばらく空を見上げていた。


やがて、エイルが口を開いた。


「……行くのね」


「ああ」


エピテウスは、頷いた。


「神の座へ」


「運命の糸を――」


二人は、同時に言った。


「「俺たちの手で、断ってやろう!」」


ノクスファールが、嘶いた。


ソルディアスも、それに応えた。


二頭の神馬が、月光の下で輝いている。


エイルは、ノクスファールの背に跨った。


馬は、彼女を受け入れた。まるで、ずっと待っていたかのように。


エピテウスも、ソルディアスに乗った。


馬は、力強く嘶き、蹄で地面を叩いた。


ノヴァが、エイルの馬の隣を走る。


三人と二頭の馬、一匹の狼。


それが、これからの旅の仲間。


「準備はいい?」


エイルが、問うた。


「いいや」


エピテウスは、正直に答えた。


「全然、準備なんてできてない」


「……私もよ」


エイルは、微かに笑った。


「でも、行くしかない」


「そうだな」


二人は、北を向いた。


遥か彼方に、山々が連なっている。


その向こうに――


神々の都、アウレオス。


天上の世界。


「じゃあ――」


エピテウスが、手綱を引いた。


「行こう」


二頭の馬が、駆け出した。


ノクスファールは、影のように地を滑る。


ソルディアスは、炎のように空を蹴る。


二人は、夜の中を駆けていった。


星々が、道を照らしている。


運命の糸が、背後で輝いている。


そして――


新しい物語が、始まった。


神々に挑む、二人の物語が。


誤りの子と、二色の瞳を持つ戦士の物語が。


夜風が、彼らを送り出すように吹いていた。


それは、優しく、そして――


どこか、悲しい風だった。


まるで、行く末を知っているかのように。


だが、二人は止まらなかった。


前へ。


ただ、前へ。


自分たちの意志で、自分たちの道を。


馬の蹄の音が、夜に響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る