第6話 戦火の聖都

目を開けたとき――


そこは、地獄だった。


炎が、天を焦がしていた。


いや、炎ではない。光だった。


純白の、眩しいほどの光。それが雨のように降り注ぎ、地上のすべてを焼き尽くしている。


建物が崩れ、石畳が溶け、人々が逃げ惑う。


悲鳴が、止まない。


「ここは……」


エピテウスは、立ち上がった。


冥府から戻ったはずだった。


だが――戻った場所が、こんな戦場だとは。


「エピテウス!」


エイルの声が聞こえた。


彼女もまた、少し離れた場所で立ち上がっていた。ノヴァが、彼女の足元で警戒するように唸っている。


「無事か?」


「ええ……でも、ここは」


エイルは、周囲を見回した。


そして――息を呑んだ。


目の前に広がっていたのは、巨大な都市だった。


いや、かつて都市だった場所。


白い石で築かれた壮麗な建物が、今は半ば崩壊している。塔は折れ、城壁は穴だらけ。そして、地面を覆い尽くす灰塵が風で巻き上がる。


空からは絶え間なく光の雨が降り注いでいた。


「聖都セラフィオン……」


エイルは、呟いた。


「神々を祀る、最も神聖な都」


「神聖……?」


エピテウスは、眉をひそめた。


「これが?」


その時――


光の砲撃が、彼らのすぐ近くに落ちた。


爆発。


衝撃波が二人を吹き飛ばし、地面を転がる。


「くそっ!」


エピテウスは咄嗟に剣を抜き、身構えた。


遠くに、軍勢が見えた。


白銀の鎧を纏い、光の旗を掲げた兵士たち。彼らは整然と隊列を組み、前線へと進んでいく。そして、その手には――


光の武器。


剣、槍、弓。すべてが純白の光で作られ、神々しく輝いている。


「聖都軍……」


エイルの声は、震えていた。


「神の審判を執行する、天の軍勢」


聖都軍の対面には、別の軍勢がいた。


ボロをまとい、錆びた武器を手にした兵士たち。旗はバラバラで、統率も取れていない。

だが――彼らは必死に戦っていた。


「異教徒の連合軍」


エイルが続けた。


「聖都に反旗を翻した、諸国の同盟」


「なぜ、戦っている?」


「神の名において」


エイルは、遠くを見つめた。


「聖都は、すべての神々を統べると主張している。従わぬ者は、異端として裁かれる」


光の砲撃が、再び空から降り注いだ。


それは、連合軍の陣地に落ちた。


爆発。


炎。


悲鳴。


兵士たちが、焼かれていく。


「神罰……」


エピテウスは、呟いた。


「これが、神の光?」


その時――


二人の存在に、兵士たちが気づいた。


「あそこに、二人いるぞ!」


「敵か味方か!」


「確認しろ!」


聖都軍の兵士が、三人近づいてきた。


白銀の鎧に、光の剣。その顔は、仮面で覆われていた。


「お前たち、どちらの軍だ?」


兵士の一人が、問うた。


エピテウスは、答えなかった。


エイルも、黙っていた。


「答えろ! さもなくば――」


兵士が、剣を構えた。


その時――


エイルの瞳が、光った。


金と黒の、二色の瞳。


「あれは……!」


兵士が、後ずさった。


「闇に堕ちた者だ!」


「異端者だ! 殺せ!」


光の剣が、振り下ろされた。


だが――


エイルの手から、黒い光が放たれた。


それは、聖都軍の光を打ち消した。


剣が、霧散する。


「な、何……!」


兵士たちが、動揺した。


その隙に、エピテウスが前に出た。


剣を一閃。


兵士の鎧を裂き、彼らを吹き飛ばす。致命傷ではない。だが、戦闘不能にするには十分だった。


「走るぞ!」


エピテウスがエイルの手を引き、二人は駆け出した。


ノヴァが先導し、崩れた建物の間を縫って逃げる。


だが――


前方に、別の軍勢が現れた。


連合軍だった。


「待て!」


一人の兵士が、槍を構えた。


「お前たち、聖都の手先か!」


「違う!」


エピテウスが叫んだ。


「俺たちは、どちらでもない!」


「嘘を言うな! その剣――神の武器だろう!」


兵士たちが、じりじりと近づいてくる。


エイルは、周囲を見回した。


聖都軍は後ろから追ってくる。


連合軍は、前を塞いでいる。


挟まれた。


「……仕方ない」


エイルは、弓を構えた。


「やるしかないわね」


「待て、エイル」


エピテウスが、彼女の肩を掴んだ。


「あそこを見ろ」


彼が指差した先に――


人々がいた。


民間人。老人、女性、子供たち。


彼らは崩れた建物の影に隠れ、震えていた。戦火に巻き込まれ、逃げ場を失っている。


「……くそ」


エピテウスは、歯を食いしばった。


「こんな場所で、戦えるか」


その時――


空から、再び光が降り注いだ。


それは、民間人たちがいる場所へと向かっていた。


「危ない!」


エピテウスは反射的に駆け出した。


エイルも、後を追う。


二人は、民間人たちの前に立ちはだかった。


「逃げろ!」


エピテウスが叫ぶ。


光が、降り注ぐ。


だが――


エイルが、手を掲げた。


彼女の周りに、黒い光の膜が展開される。


それは――光の砲撃を、受け止めた。


聖都軍の光と、エイルの闇が、激しくぶつかり合う。


「ぐ……!」


エイルが、膝をつく。


力が、拮抗している。


「エイル!」


エピテウスが、彼女の背に手を置いた。


「一人で背負うな!」


彼は、剣を掲げた。


ルキス・アナスタス。


それは、微かに光を放ち始めた。まだ弱い光。だが――


「輝け……!」


エピテウスの叫びと共に、剣が光を増した。


その光は、エイルの闇と混ざり合った。


金と黒。


光と闇。


二つが、一つになった。


そして――


聖都軍の砲撃を、押し返した。


光が、空へと跳ね返される。


「やった……!」


民間人たちが、歓声を上げた。


だが――


その光景を見ていた者たちがいた。


聖都軍の神官。


白い法衣を纏い、黄金の杖を持った老人。彼は、高台から二人を見下ろしていた。


「闇に堕ちた巫女め……!」


神官の声が、響いた。


「神の名を穢すな!」


「その男もまた、女神に囚われし異端者!」


神官が杖を掲げると、周囲の聖都軍が一斉に二人へと向かってきた。


「エイル、エピテウス!」


民間人の一人、若い女性が叫んだ。


「逃げて! あなたたちは、私たちを守ってくれた!」


だが――


エピテウスは、剣を構えた。


「逃げない」


「エピテウス……」


「俺は、もう決めたんだ」


彼は、エイルを見た。


「神の光が誰かを焼くなら、それはもう悪だ」


エイルは、彼を見つめた。


そして――微かに笑った。


「そうね」


彼女も、弓を構えた。


「太陽神の名を掲げながら、民を焼く」


「それは、もう神の光じゃない」


彼女の瞳が、輝いた。


金と黒。


光と闇。


「あれは我が神の光。けれど――」


エイルは、矢を番えた。


「どうして民を焼くの……?」


矢が、放たれた。


それは、闇を帯びた光。


聖都軍の兵士の武器を弾き、無力化する。


エピテウスも、前に出た。


剣を振るい、次々と敵を薙ぎ払う。殺さない。ただ、戦闘不能にする。


二人の連携は、完璧だった。


エイルの矢が敵を牽制し、エピテウスの剣が仕留める。


ノヴァも加わり、三者が一体となって戦場を駆ける。


「くそ、強い……!」


聖都軍の兵士が、後ずさる。


「神官様、援軍を!」


だが――


神官は、動かなかった。


ただ、二人を冷たく見つめている。


「異端者どもめ」


神官は、杖を掲げた。


「神よ、御照覧あれ」


空が、割れた。


巨大な光の柱が、天から降り注ぐ。


それは――神の審判。


聖都が持つ、最大の力。


「まずい……!」


エピテウスは、民間人たちを見た。


あの光が落ちれば、すべてが焼かれる。


「エイル!」


「わかってる!」


エイルは、両手を掲げた。


闇の力を、最大限に引き出す。


だが――


光は、あまりにも強かった。


「ぐ……あああああ!」


エイルの身体が、きしむ。


闇と光が、彼女の中で激しくぶつかり合っている。


「エイル、無理するな!」


「黙って……!」


エイルは、歯を食いしばった。


「私は……まだ……!」


その時――


エピテウスは、決断した。


「運命を与えられるのは、もうごめんだ」


彼は、剣を天に向けた。


「俺たちは――奪い返す!」


剣が、輝いた。


今までにない、強い光。


それは、アステリオネの糸が共鳴しているからだった。少年の胸に宿る、金の糸が、剣に力を与えている。


「そうね」


エイルも、叫んだ。


「太陽も冥府も、今はただの空と土」


彼女の瞳が、さらに輝く。


「私の光は――私の意志で燃やす!」


二人の力が、一つになった。


エピテウスの光と、エイルの闇。


それらが混ざり合い、新しい力となった。


そして――


神の審判を、押し返した。


光の柱が、空へと跳ね返される。


爆発。


衝撃波が、戦場を揺らした。


神官が、信じられないという顔で二人を見た。


「馬鹿な……神の力を、人の手で……!」


だが――


それは、終わりではなかった。


反対側から、連合軍も攻撃してきた。


「今だ、聖都軍を討て!」


「民を守った二人も、一緒に倒せ!」


「待て!」


エピテウスが叫んだ。


「俺たちは――」


だが、言葉は届かなかった。


戦場では、味方か敵か。


それしか、ない。


「くそ……」


エピテウスは、剣を構え直した。


エイルも、弓を構える。


二人は、背中合わせに立った。


「どうする?」


エイルが、問うた。


「両方と戦うしかない」


エピテウスは、答えた。


「俺たちは、どちらでもない」


「神の軍でもない」


エイルが、続けた。


「人の軍でもない」


「ただ――」


二人は、同時に言った。


「自分の意志で戦う」


-----


戦いは、夜明けまで続いた。


エピテウスとエイルは、民間人を守りながら、聖都軍と連合軍の両方と戦った。


ノヴァも、疲れ果てていた。


だが――


彼らは、立ち続けた。


やがて、東の空が白み始めた。


夜明けが、来る。


太陽が、地平線から顔を出した。


その瞬間――


エイルの影が、揺らいだ。


「……あ」


彼女の身体から、闇が薄れていく。


太陽の光が、冥府の闇を押し返していた。


「エイル!」


エピテウスが、彼女を支えた。


「大丈夫か!」


「……平気」


エイルは、歯を食いしばった。


「まだ……戦える……!」


彼女は、内なる光と闇を必死に均衡させようとした。


太陽の光。


冥府の闇。


両方が、彼女の中にある。


どちらも、捨てない。


「私は……両方だァッ……!」


エイルの叫びと共に――


彼女の瞳が、再び輝いた。


金と黒。


太陽が昇っても、闇は消えなかった。


均衡。


それが、彼女の新しい力だった。


そして――


エピテウスの剣も、再び光を放った。


それは、アステリオネの糸がまだ彼を見守っている証。


二人の光が、戦場を照らした。


聖都軍も、連合軍も――


その光景に、動きを止めた。


「あれは……何だ……」


誰かが、呟いた。


「神の光でもない……」


「人の光でもない……」


「あれは――」


太陽が、完全に昇った。


その光の中で、二人は立っていた。


戦場を抜け、燃え落ちる都を背に。


「行こう」


エピテウスが、言った。


「どこへ?」


「わからない」


彼は、微かに笑った。


「でも、前へ」


エイルは、頷いた。


「そうね」


彼女も、笑った。


「神の光が焼き尽くすなら――」


二人は、同時に言った。


「人の手で、再び灯そう」


二人は、歩き出した。


ノヴァが、その後を追う。


民間人たちが、二人を見送った。


「ありがとう……」


「神々よ、彼らを守りたまえ……」


その背後で――


空を覆っていた灰の雲が、少しだけ割れた。


朝日が、差し込んでくる。


温かい光。


それは、神の光でも、人の光でもなく。


ただ――太陽の光だった。


エピテウスとエイルは、その光の中を歩いていった。


次の場所へ。


次の戦いへ。


そして――自分たちの運命を、自分たちの手で紡ぐために。​​​​​​​​​​​​​​​​

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