第十五幕
「うむうむ。こう細い道を歩いているとあの時の校舎を歩いていたことを思い出すな。」
「あー。あの時の。懐かしいな~。」
エマと悠斗は談笑しながら長い廊下を歩んでいた。いつの間にか火は沈んでおり、薄暗い月光が廊下の障子から漏れていた。
長い廊下はいくつものT字路に行きつき、方向感覚を奪っていく。
「ユート。この道は通った道ではないか?ほら、床に私の落書きが残っているぞ。」
エマが指さす床には乱雑な猫の絵が彫られている。
「建築物を傷つける行為は建造物等損壊罪だぞ。」
「なら私たちは既に住居侵入罪だな。問題ない。」
「しかし、『狭間』を住居に含むのか?」
「どうだろうな。しかし面倒なことになったな。ここら一帯どころかいつから『狭間』に入っていたんだろうか。」
悠斗は右手の日本刀を床へ突き刺す。目を閉じ、小さく呟いた。
「
日本刀の黒い刀身が空間に現れた粒子を収束させていく。集められた粒子を吸収して、刀は徐々に刀身を伸ばしていく。
目を開き、刀を振り上げる。
切り裂かれた床、障子、天井は壁紙のように剥がれ落ちる。翻った壁紙は本来の世界を露わにする。
薄暗い廊下、異様に清掃された廊下。月明かりは一筋も見られなかった。
「流石に暗いな。」
「だろうな。夏の月は低い。デカい塀に囲まれたこの屋敷に月光が入るわけねえだろ。」
悠斗は長い廊下の突き当りの襖を開けた。そこには中学生ほどの少年と小学生程と思われる少女がいた。少女の袖が少年を守るように庇う。
「君は吉永家の子供かい?名前は?」
「
「そうか。悪いけどお話してもいいかな?」
「嫌だ。お前、兄さんたちを殺したんだ。そんな奴らに言うことなんてない!!」
昭宜は後ろ手に隠した短剣を取り出す。少女も同型の短剣を袖から取り出す。
「そうか。だけどお兄さんも強いぜ。エマ、任せた。」
「承った。」
二人は動き出した。
エマはナイフを突き出す。短刀でその攻撃をずらす。逆手持ちの短刀がエマの顔に目掛けてすり抜ける。身体を反らすと同時に、ミドルキックで距離を取る。
左腕でガードし、少女も後ろへ跳ねる。少女は軽くステップを踏む。浮かせた踵から高速でエマに近づく。短剣の切っ先がエマの首を狙う。真っすぐ狙った短剣はエマの首を貫く前に、軌道を変える。接近した瞬間を狙い、エマは短剣を持つ手の手首を払っていた。体のバランスが崩れた少女にエマの回し蹴りが炸裂する。少女の脇腹に突き刺さった蹴りは少女を吹き飛ばすのに十分なスピードだった。
「たぁぁぁぁ!!!」
脚を押し込む。膝のバネ、純粋な脚力を生かした一撃に少女の身体は柱に激突した。
「よし、入ったな。ま、こんなもんかね。」
少女がゆっくちと立ち上がる。
「私には私にはやらなくてはいけないことがある!!」
弾かれたように飛び出した少女の体当たり。エマは防御姿勢を取っていたがそれを外させるほどの速度。視線で追いきれない高速移動に目を見張る。
「そのスピード、何者だ?」
少女は前髪を振り払う。黒髪を黄色のリボンで結う。一本結びした少女の凛々しい顔立ちにエマは笑う。
「私は、伊勢葉子。」
「ヨウコか。セカンドラウンドといこうか。」
二人は自らの得物を構える。
昭宜の短剣の軌道を読み、バックステップで回避する。
「話くらい聞いてくれよ。」
右手の剣を頭を下げて回避する。返し刀の左からの攻撃が降ってくる。悠斗は手首を押さえる。腹に刺さる直前で短剣を止め、短剣の柄を払う。手から零れ落ちたそれを蹴り飛ばし、無力化する。
「別に俺はこの村がどうなろうと興味はないんだよ。」
「うるさいっ!!お前なんか、お前なんかぁ!!」
大ぶりに振り回し、掴まれた腕をひっぺがえす。同時にハイキック。スレスレでその攻撃を躱す。昭宜は前に出て、連続で格闘戦を挑む。頭一つ高い悠斗の首、鳩尾、鎖骨、脛を狙い、パンチとキックを使い分け、追い詰めていく。
「うむ。君くらいの年で俺はこんなことできなかったな。流石だ。」
片腕だけでその攻撃を巧みに受け流す。飛んできた拳を相殺し、蹴りを脛で受け止め、悉くその攻撃を躱す。
「足元がお留守だ。」
悠斗は昭宜の脚を引っ掛ける。同時に左肩を一気に押し込む。バランスを失った身体はその場に倒れこんだ。
「一応、手加減はしてるつもりなんだけどね。」
昭宜は仰向けになった状態で天井を見ていた。見慣れたこの天井。幼いころから見てきた天井がいつもより高く感じた。
僕にとって、大切なものは二つだけだ。一つは兄さんたちだ。
「昭宜、きっとこの家の砦となるのは君だ。だから自分で何でもできるようにならなくちゃ。」
そう言って頭を撫でてくれた善次兄さんの手は大きかった。6歳上の兄は僕から見れば憧れの存在だった。なんでも万能にこなし、完璧で優しい兄の姿は理想像としていつも僕の前にいてくれた。
「こんな妾の子供なんて入れるんじゃねぇよ。こんな奴を弟なんか呼びたくねぇよ!!」
「常之、言葉を慎みなさい。昭宜だって立派な弟の一人だ。少しは心を開いてやりなさい。」
「けっ。こんな野郎、俺は絶対認めねぇよ。」
常之兄さんはいつも僕をいじめてくる。僕が妾の子だから、汚らしい子だって。顔を合わせれば言ってくる。毎回、善次兄さんがフォローしてくれる。
「あいつも本当は嬉しいんだよ。いつも弟としてしか扱われないからな。だから兄貴面したいんだよ。だけどあいつ不器用だからな。」
「けど、常之兄さん、いつも僕を怒ってるもん。」
「そうだな。俺からしっかり言いつけておくから安心しな。大丈夫。弟のことは俺がしっかり守ってやるからな。」
そういって微笑んでくれる兄は大人なんだと教えてくれる。そして常之兄さんは暴言を吐いてくるが手を出したことは一度もないことに気付いたのは数日後の話だった。
妾の子の僕だったけど、兄さんたちはいつも自分を気にかけてくれていた。その気持ちがこの家の中では一時の平穏だった。
もう一つは母だ。
母は妾、いわゆる愛人だった。お父様の不倫がすべての原因だった。元々お父様と兄さんたちの母は仲が悪かったらしい。この村の閉塞感に嫌気がさしていたらしい。性格も苛烈だったせいか、兄さんたちにもいつも暴力を振っていた。そこに現れた妾とその子。怒りの矛先がこちらに向かうのは明らかだった。
特に同性の母には明らかに当たりが強かった
「あんたなんか、顔だけで選ばれたアバズレが!!」
「あなたが彼を誘惑しただけじゃない!!私たちの家庭を壊すつもりなの?」
「あんたのせいで全部が壊れたわ!!私の生活も、人生も!!」
母と目を合わせるたびいつも怒鳴っていた。時には手も出ていた。しかし、そんな家庭であっても母は決して折れなかった。
どれだけ罵られても、手を出されようとも僕を守ってくれた。
「どれだけ罵られようとも、手を出してはいけないわ。あなたは強いのよ。だからどんな仕打ちでもめげずに耐えなさい。」
「」
口癖のように言っていた母さんは間違いなくその体現者だった。この言葉でどれだけ救われたてきたか。母親が抱きしめてくれたあの暖かさ、そんな暖かさの中の生活は僕にとって楽しく、嬉しいものだっt。
あの時までは。
朝、起きたのは周りが騒がしかったからだ。家の人や、兄さんたちが忙しなく右往左往している。
目をこすりながら部屋を出れば、いつもの中庭が見えるはずだった。お爺さんがいつも手入れしている庭が。
目に飛び込んだ景色は、信じられないものだった。赤い糊がこびりついた岩、波打つように整えらていた小石は荒れている。
中庭の真ん中で倒れている物、その着物には見覚えがあった。母さんがいつも好んで着ていた黄色の御召。
乱れた髪と、引き裂かれた橙の帯。間違いなくそれは母だったものだ。
兄さんたちが駆け寄ってくる足音、下女たちの怯える声、大人たちの足音、全ての音が遠く感じる。視界も段々と暗くなり、僕は気を失った。
目を覚ました時、布団の横には父さんと兄さんたちが座っていた。そこで僕は全てを聞いた。母さんが夜中に殺されたこと。その犯人が兄さんの母だということ。
その時に母さんが死んだことを実感した。
そして、泣いた。それは強かった母さんが死んだことへの悲しみなのか、兄さんの母を悪者としてしまったからなのか、理由は分からなかった。ただ背中をさする兄さんたちの手が温かった。その感触だけが心の支えだったことは覚えている。
短刀が耳を掠める。耳たぶから流れる血を拭う。手加減しているとはいえ流石に防戦一方では分が悪い。そう考えながらエマはナイフを逆手持ちから正手持ちに変えた。葉子の短刀を注視する。
「さっきまでの威勢はどうしたのかしら?それとももうお終いかしら。」
「フン。手加減しているだけさ。私の目的はあんたを殺すことじゃない。時間さえ稼げばいいだけだからな。」
「―どういう意味かしら?」
「私たちの目的は一つ。西園寺という名を持つ者を探している。心当たりはないか?」
「そんな戯言、聴く意味はないわ。あなたをここで殺すもの。」
葉子は腕を下から突き出す。エマはナイフで受け止める。身体を受け流し、勢いを殺す。懐に入ったエマは肘打ちを脇腹に打ち込んだ。
「ウッ!!」
短刀を振り払い、エマから距離を取る。
「私たちもむやみに貴様たちを殺したいわけじゃない。ただ貴様に殺意があるなら別だ。少なくとも貴様らより修羅場は潜り抜けてるつもりだからな。」
「小癪な!!!」
大ぶりの攻撃をエマは軽く回避していく。攻撃の合間に腕、足、腹、肩にパンチとキックを軽く入れていく。徐々に攻撃の速度が下がっていく。それに対しエマの回避スピードは一切衰えない、むしろ反撃する腕の速度は上がっていく。一瞬の隙にエマは葉子の腕を掴む。襟を掴み、一本背負いで体を落とす。
仰向けに倒れた身体を畳の上に投げ出し、少女は泣いた。
「邪魔をしないで!!!私の、私たちの……!!!」
それ以上続かない少女の言葉にエマは無言を返した。
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