第七幕
私にとってそれは夢のようだった。この村に生まれ育ったのは室町時代と呼ばれるようになる時代だっただろうか。室町幕府が東西に分かれあらゆる国間で戦は発生し続けていた。その中で強力な力を持ち、国を治める者、戦国武将の始まりだった。
村の中でも優れた美貌を持っていた私は武将の養子として『駒』になった。争う国の嫁として、いや嫁という名を被った人質として。
私はあくまで『駒』、最悪切り捨てることができるお飾りの嫁だった。
不自由のない暮らし、争いもなく優雅に彼と笑いあえる日々はまさしく夢だった。
しかしそんな日常はすぐ無くなってしまった。私は鬼とされた。それは私の国の、村の『祭り』のせいだ。風の噂だろうか、村で秘匿に行われてきたあの『祭り』。その狂気は国を伝い、隣国のこちらにまで移ってきたのだろう。
私の夢はそこで終わった。
時に間者として、時に鬼として牢に入れられた。厠以外なにも無い孤独の牢。ただただ日の進みを眺めることしかない世界。十分な食べ物も出ず、瘦せ細っていく指、衛生も悪い中、私の指は無くなった。左手の薬指。失ったことにさえ気づかなかった。
それは腐り落ちたのか、引き千切れたのだろうか。
その檻から解き放ってくれたのは誰だったのだろうか。今はもう思い出すこともできない。どのくらい監禁されていたのか、足がしびれて動けなかったが、それでも一歩踏み出した。
既にその場は戦場だった。男たちは刀を取り、殺意を持って、敵を屠る。それは私が原因だろう。旗印がそれを物語っていた。
早くここを去らなければ、どこか遠く、だれからも追われない場所へ。
『共にここから出よう。』
彼の声は優しかった。駒ではなく私を人として扱ってくれた。久しぶりだった。 しかしそれは一瞬の夢幻だった。
逃げることも叶わず、私は捕まった。
意識の混濁が晴れたのは河川敷の石が膝に食い込む痛みによってだった。私はいつの間にか白い装束を着ていた。この時私は全てを察していた。これから行われるは私の死罪。目の前には私を連れだした男がいた。その手には麻縄が、その目には悲しみが。その縄が首に巻き付けられ、男の縄を持つ手に力が込められた。頸動脈の圧迫によって徐々に意識が消えていく。頭に血が昇ったときのように自分の顔が紅潮していくのを感じていた。そして自分はここで死ぬということも。
最期の景色は自分を連れ出した男の涙だった。
「……私は約束を果たさなければならない。その為にもあなたを倒す。」
黒い鎖が舞の脚を掴んだ。後方へ回避しようとしていた舞はバランスを崩した。地面に倒れこむ舞、それを見下ろす華。二人の視線が合う。
舞は丸鋸を投げつける。しかしそれは躱された。
「おしまいね。」
「あぁ。お前がな。」
舞は笑った。放り投げられた丸鋸は左手に握られていた。すでに落ちているはずの左手に。その左手は丸鋸と共に高く打ち上がった。振り下ろされるそれは華の背後から首筋を切り裂いた。
「どう…して…?」
舞は立ち上がりながら言う。
「私の能力、鋸挽は自らの意志で切断した己の身はその『繋がり』を残す。それは神経であり、遺志であり、殺意でもある。」
落ちている左腕を拾い上げ、切断面を近づける。切断面は互いに惹かれあうかのように繋がり、その傷口を接続した。
「へぇ…、私の知らない能力。部外者が故の変則者か…。あなた、いや、あなた達ならこの呪いを、悪夢を覚ましてくれるのかもしれないわ…ね…。さようなら若い巫女、あなたの幸運を祈っているわ。」
華はその視界が朧になるのを見た。それは間違いなく涙だった。最後の景色、彼の顔はそっくりだった。この時代に招かれ、彼を見た時私は運命を信じた。もう一度彼に会えるのなら、今度こそは逃げたい。700年の檻を。
涙を零しながら華は消えていった。その場に残ったのは灰だけだった。
舞が空き家に戻ると家の前には晴樹がいた。
「ふっ。互いにボロボロだな。」
「全くだ。」
「しかし、どうしようか。俺達の居場所は相手さんには筒抜けのようだな。」
「こちらの行動を監視する者がいるということか。となればうかうかと道草を食うわけには行かないな。」
夜道を歩きながら二人は言葉をかわす。互いに周囲を警戒する。
歩いていくとぽつんと建った一軒家が目に入った。時間として22時前、野宿をするか決めかねていた二人は警戒を強める。
「あの家、光が付いている。泊めさせてくれるか?」
「いや、危険だな。『祭り』は村全体の儀式だ。奴らと同様に命を狙ってくる可能性がある。」
「けれど、このままとはいかないだろ。お前の腕も、俺の服も。」
舞は自分の左腕を押さえた。いくら繋がりが残っているとはいえ斬ったことには変わりない。切断面はまだ痛む。
「……わかった。だが家主が敵の場合、相手を殺せるか?」
舞が尋ねる。
「……分かった。」
古い木造の平屋、作りは昼の建物と変わらないだろう。戸をノックする。
「すみません。」
少しすると戸が開いた。そこには老年の女性がいた。晴樹の姿を一瞥し、尋ねる。
「うーん、ここらでは見ない顔だねぇ。ところでこんな時間になんの用かな?」
「事故で彷徨っていたら、ここに出てきて。今夜一晩だけ、休ませていただけないでしょうか?」
「そうかい。そうかい。難儀なもんね。どうぞ上がってらっしゃい。」
女性はそう言い、玄関の戸を大きく開けた。
「何もなくてごめんなさいね。ご飯も無くてねぇ。」
「いえ、止まらせてもらえるだけで十分です。」
客間に座らせてもらった二人はその場で座り込んだ。
「一ついいか?」
舞がおばあさんに尋ねる。
「あなたは『祭り』をどう思う?」
にこやかな微笑みを絶やさず、答えた。
「そうね。昔からこの街に根付く風習だねぇ。毎年毎年幼い子が生贄になるのは悲しいものね。ここは蛭子村からはちょっと離れてるからね。少し疎いけど、あれは『悪夢』だね。お嬢ちゃん、どうしてそんなことを聞くのかな?」
舞はその質問には答えなかった。
「申し遅れていたね。私は河本菊。まぁゆっくりしていきなさんな。」
そういい菊は部屋を去っていった。
「なぁ、昼とさっきの件だが、あいつら兄弟らしい。なにか知ってるか?」
「奴らは吉永家。『祭り』を主導する大本だ。本来、『祭り』は巫女が個人で戦うものだ。しかし吉永家の跡取りを争う際、この祭りと同時にそれを決める。その跡取り候補の一人さ。これから私達が戦う相手も吉永家の者だ。」
「そうか・・・。」
晴樹は菊の言葉に引っ掛かっていた。
(『悪夢』か。)
晴樹は畳の上に寝転がる。明かりを消した天井は暗く、得も言われぬ恐怖を感じた。睡魔というものが感じられない自分が怖いのかもしれない。いつもの夢、いつもの悪夢。あれを見なくて済むことに安堵したいはずなのに。それは自分が人を殺したことへの負い目なのか、興奮なのか。
「眠れないのだろう?巫女の器となった者は人という制限を超える。食事することさえも、睡眠を取ることさえも必要にならなくなる。すまない。」
「いや、いいんだ。俺にとってはこれが心地良い。」
晴樹は寝転びながら考えていた。今日の出来事に、自分が殺したという事実に。俺はまた殺してしまった。そんな自分に嫌気を感じる。
そんな身勝手な自責の念が胸を強く締め付けた。
障子の向こうの景色に目をやると夜明けが来たことに気づいた。暗かった空がだんだんと青みを帯びてくる。舞は隣でぐっすりと寝ていた。その顔は幼く、年相応に無邪気だった。
「起きましたか。早いですね。」
戸の向こうには菊がいることに気づいた。
「あなたはなぜ戦うのですか?」
その一言に晴樹は背筋を凍らせた。この人は自分が『祭り』の者だと気づいていた。どうする気だ、寝込みを襲いに来たのか?思考を加速させ、様々なパターンを予測する。
「いえいえ、あなた達を差し出す気はありませんよ。ただ、なぜ戦うのかを知りたくてね。その髪と服を見れば器だってことくらいわかりますよ。」
「どうして、昨日はあんな嘘を?」
「まぁまぁ。ババアの戯言ということで。それよりも、理由なき強さは己を滅ぼすだけですよ。その戦いに、その行動に意味を見出さなければそれは獣と変わりない。理性を持って暴を制する、それこそが人が人たる所以ですよ。今のあなたは獣でしょう。」
晴樹は一呼吸置き、その問いに答える。
「実際のところ、俺にも分からないんです。ただただ巻き込まれて、あれよこれよ人を殺した。この手で殺した。」
「そういえばなんですが、器って男しかいないんですか?」
「そうですね。『祭り』が死者を顕現させていることは知っていますか?」
「えぇ。」
「それ以前、およそ200年くらい前までと言われてますね。『祭り』は生きた少女を使っていたのですよ。けれど、それでは足りなくなったのですよ。子供の数が。そこで偶然村に来ていた男が呪いを掛けた。生者ではなく死者を用いる『祭り』を。それによって生贄を選ぶ必要がなくなりました。なんせ巫女は生えてくるのだから。そしてその呪いに加担したのが吉永家。その時からこの村では奴らが牛耳るようになったわけです。そしてその家督を継ぐのは男。結果的に『祭り』に参加するのは男だらけというわけですよ。」
「そんなことが…。」
「惨いと思いますか?しかしこれが因習なのですよ。この村の、この土地を縛る…。」
「いつかあなたの戦いに理由を見つけられることを心から望んでおりますよ。その背中に背負った罪に見合った、価値のある理由を。」
その目は笑っていない。優しさでもない。只心を見透かすかのように静かで鋭い瞳だった。
菊はそう言い、踵を返す。
「そうそう。裏口の戸締り、どうだったかしらねぇ…。」
含みを持った言葉に晴樹は察した。
「舞、起きてるか?」
「勿論。とにかくここからの逃亡ですね。どこに行きましょうか?」
「どうせこっちの行動は筒抜けさ。速攻で相手を抑えるのが一番だな。」
「となれば、南方。吉永家を攻め落とす、といったところだな。距離としてはそう遠くない。さっさとケリをつけるべきだな。」
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