第六幕

何時間経過したときだろう、開いた縁側の戸から橙の日が部屋を照らしていた。

少女が顔を上げた。真っ赤にはらした目尻をこすり、外へ視線を向ける。

「来た‼」

晴樹もその声に呼応し、飛び起きる。

平屋の外へ出る。日も完全に落ち、あたりは真っ暗だ。街灯もない、あるのは月明かりだけだ。

しかし晴樹の瞳は前に立っている男とその巫女の姿を知覚していた。

身長は晴樹よりも少し低いくらいだろうか160後半あたりだろう。癖のついた髪に焼けた肌、ジャケットにはチェーンがところどころついている。一目で見てわかるチンピラだ。ただ彼の履く靴は磨かれ、似合わないほど端正なものだった。巫女は紫色の着物を纏い、男の半歩後ろで立っていた。



「あんたも朝の奴らと同じか?」

「そうだ、ゴミクズ野郎。俺は常之つねゆき。朝は俺の兄がお世話になったな。」

低い棘のある声、その気迫に身の毛がよだつ感覚を覚えた。確かに目の前の男は昼の男に似ている。特に瞳だ。義務遂行への意志、


そして写真の様に朝の出来事がフラッシュバックする。赤黒い血、吹き出す内臓、あふれ出る死臭、自らが手を下した『死』。全身にこびりついた血糊が固まっている。一抹の吐き気と恐怖心がそこにあった。


「お前は兄さんを殺したんだ。腹を掻っ捌き、その血をまき散らしたんだ。死して償え‼」

常之は地面を蹴り、上段蹴りを繰り出す。晴樹は頭を下げ、その攻撃を躱す。頭上を抜ける脚の風圧を髪で感じる。低い姿勢から相手の顎に向けて右拳を振り上げる。アッパーを常之は首を傾けることで躱した。二人はバックステップで距離を取る。元の位置に戻り、互いに構える。


「はぁあああ‼‼」

常之が大きく振る被る。野球のアンダースローのように振る腕からは細い縄が伸びた。指向性を持った縄は暗黒に溶け込み、晴樹に回避の手段を奪った。

晴樹もチェーンソーを生み出し、構える。

(どこから来るのか…?)

注意を張り巡らせる。視界の左端で何かが動くのを感じた。振り返る瞬間、そこから蛇の如く縄が飛び出した。チェーンソーを薙ぎ、その紐を切り刻む。しかし足に違和感を感じる。見れば、足には縄が巻き付き、その動きを封じていた。


「何...!」

チェーンソーでその縄を切ろうとするも歯が立たない。


「その縄を舐めない方がいいぞ。」

常之は腕を振り上げる。縄が引っ張られ、晴樹は倒れた。即座に体を捻る。瞬間、晴樹がいた場所の地面から縄が飛び出した。細く鋭利なは晴樹の服を切り裂いた。



舞は相対する巫女と牽制しあっていた。丸鋸の回転音、少女の持つ鞭が地を撃つ音。処女の鞭がこちらを狙ってしなる。丸鋸のハンドガードでそれを抑え、一気に接近する。少女は後方へ回避し姿勢を整える。


「その能力、鞭打ちか。」

「さぁ、どうかしらねぇ。私は加古華。あなたの名前は?」

「櫛本舞。能力は鋸挽だ。」

「へえ、能力まで教えていいのかしら?」

「その口ぶりからどうせ知っているだろう、朝の私たちを観察でもしてたといったところか。」

「正解。おっしゃる通りだわ。」


華の鞭が円弧を描きながら撓った。舞は後方へ回避する。バチンという激しい破裂音と共にその場の空気が震える感覚を覚えた。

舞は丸鋸の回転数を上げる。大きく振りかぶりながら華に急接近する。その歯を鞭の柄で受け止める。ゴリゴリと音を立てその歯は柄を切断していく。切断しきる直前に華の脚が舞の鳩尾へ突き刺さった。

「ぐぇぇ。」


距離を取ろうとするも丸鋸の歯が食い込みすぎて逃げれない。仕方なく丸鋸を消滅させ、距離を取る。

「あらら、もう一発くらい蹴り飛ばしてあげようか思ったのになぁ。」

残念そうな華の猫なで声がひどく気味の悪いものに感じられる。舞は再生成した丸鋸を構える。互いに睨みあう。鞭が動いた。音速を超える先端が丸鋸のグリップに絡みつく。引っ張られた舞の身体の動きが止まる。鞭を一気に手繰り寄せる。

引っ張られた体に中段蹴りが炸裂する。腹にめり込んだ足を離し、逆の脚の回し蹴りが炸裂した。側頭部への強い衝撃、脳震盪によってあらゆる感覚が麻痺する。耳鳴りも止まぬうちに更なる攻撃が舞を襲う。連撃の内の一発が鳩尾を穿った。

その一撃に体がぶっ飛ぶのを感じた。呼吸が止まる。舞は地面に転がることしかできなかった。





「うぉぉおおおお‼‼‼」

常之の鞭に対しチェーンソーを傾け、防御していく。ベチンッという大きな音を立てる。晴樹はその気迫に押されていた。

一撃一撃が重い、明確な殺意と共に繰り出される鞭の打撃は急所を狙ってくる。


「殺してやる‼殺してやる‼」

獣の如き低い声が背筋を凍らせた。その恐怖が身体を萎縮させ、行動に遅れを生み出した。

晴樹の脚に縄が掛かった。

「しまった...‼!」

即座に叩きこまれる鞭の衝撃。音速を越えた衝撃はガードを外すには十分だった。あまりの痛さにチェーンソーで守っていた部分が露出する。

「もらった‼‼」

鞭の連撃が首、肩、内太腿、脇腹に容赦なく殴打していく。

「ガッ…‼」

服が破れ、皮膚が腫れ、内出血のような赤い痣が浮かび上がる。


「ぐぁぁぁあああ‼‼‼」

痛みが全身を走る。死ぬほど痛い。折れた肋骨が肺に刺さったのか口内に血が溢れる。呼吸さえ息苦しく感じる。

しかしこれは俺が受けるべき呪いだ。


地面に伏した身体を起こそうとする。背中に重い脚が乗る。それは常之のものであることは自明だった。

それでも晴樹は体を起こそうと、腕に力を入れる。腕の力で一気に地面を突き飛ばす。舞い上がる砂埃に乗じて身体を仰け反らす。常之の脚が離れた隙を突き、体を起こす。全身の打撲は体を支えるには心もとない。しかしそれでも立ち上がる。

幽鬼の如くゆらりと体を起こす晴樹に常之は些末な恐怖を感じた。その恐怖を振り払うように大きく叫んだ。


「万物を繋ぐその黒縄は時を絆し、時に縛られる‼大国主オオクニヌシ‼‼」


常之の持つ縄は握る部分から鎖へと変化していく。黒い鉄と生まれ変わるそれは先に巨大な分銅が結びついていた。

ジャラジャラと音を立てていた鎖は徐々にその音をビュンビュンと変え、常之の周りを覆うように振り回された。

晴樹はチェーンソーを構えなおす。両者睨みあい、互いの行動を観察する。

巫女の器として覚醒した両者、常人を超越した研ぎ澄まされた五感が攻撃へのタイミングをうかがう。

相手の心音、眼球の動き、舌に残るアドレナリンの苦み、鼻腔を貫く血の生臭さ。すべてが二人を包み込んだ。

一瞬だった。二人は同時に足を出し、同時に得物を振り回した。鎖がチェーンソーのガイドに絡まり、その回転を止め、分銅がガイドを破壊した。チェーンソーの回転によって鎖は断ち切られた。構わず武器を捨てた二人の右パンチが互いの頬を殴り飛ばした。身体が後方に飛び、仰向けに倒れた

二人は同時に立ち上がり構える。晴樹は前傾した構えを取る。直立気味に構える常之。常之の右フックを左腕でガードする。

晴樹の掌底が鳩尾に刺さる。そのまま右足の蹴りを側頭部に炸裂した。動きが止まった瞬間に右ストレートを喉を貫いた。

常之の身体が崩れるその瞬間、晴樹の脚に鎖が絡みついた。最後の力を使った右ストレート。パンチを腕でずらす。そして右の裏拳。目尻を捉えた一撃は常之の動きを完全に止めた。


「クソが…。兄貴に…顔向けできねえな。」

倒れた常之はそう言い残し、灰として消えていった。脚に巻き付いた鎖はない。晴樹は巫女の方へ歩いて行った。





舞の体は大木に括り付けられていた。移動しながら戦っていたが、どうやら森林近くまで来ていたようだった。


「早く降参してくれないかなぁ?」

穏やかな声の主を睨みつける。


「そんな怖い顔しないでほしいわ。せっかくの可愛らしい顔が台無しよ。」

余裕を含んだ物言いに怒り任せに腕をもがく。しかし鞭は切れるどころかより強い力で縛り付けてきた。


「私だってこんな可愛い子、傷つけたくないもの。」

「……なぜだ?なぜ私を殺さない?」


華の眼が鋭く光ったように見えた。それは月に照らされたなのか、彼女の眼から発されたものなのか。


「あなたを殺すのは簡単なことよ。だけどそれじゃ私たちの契約が十全と言えなくなってしまう。だから少し時間を稼がしてもらったのよ。」


「時間稼ぎ?」

「そう。彼は私たち『巫女』の統一された願いとは別の、『もう一つの願い』を願った。それによってちょっと私の器は少し変なのよ。あなたの器、茶色の髪のあの子と死闘を行う。その願いを叶えるまでにあなたの器が『祭り』から除外されてしまえば私たちの契約は不履行、魂は輪廻を外れ、永遠の放浪者となってしまう。だから彼とあなたの器の決着まで時間を稼がせてもらったというわけよ。」


そう呟く彼女の姿は美しかった。薄紫の色留袖が月に照らされ、口元のほくろが彼女の妖艶な雰囲気を強めていた。舞はその姿に見とれていたのかもしれない。しかし自らを縛る鞭が鎖へと変化していくことが舞を現実に引き留めた。


「彼、解放をしてしまったのね。」

「解放か……。」

舞は謎の違和感を抱えていた。彼女の能力が鞭打ちであるのかだった。確かに彼女の持つ武器は鞭だ。しかしそれにしては強度が高すぎる。本来鞭の使い方は殴打、殴ることだ。しかし彼女は殴打に用いたのはごく数回、それ以上に巻き付き、絡め、拘束に多く用いている。

(なぜだ?…………≪≪まさか≫≫、!?)


「加古華、お前の能力は鞭打ちじゃない‼真の能力は……」


「ご名答。この日の国で認められた断罪、時に安楽に、時に恥辱を与え、今もなお行われ続ける血縄の巫女、絞首。それが私の能力。」

「彼も開放をしたわけだから、私も出し惜しみなしといったところね。」


華の瞳が薄紫に染まった。解放だ、直感的に理解した舞は丸鋸の歯を樹木から生み出した。左腕がぼとりと落ちる。生まれた空間に体を滑り込ませ、拘束を解いた。


「へぇ。体を犠牲に拘束から抜け出すんかぁ。けど片手で勝てるほど私は甘くない。」


黒い鎖が生き物のように複雑な動きで翻弄する。舞はその攻撃に丸鋸で応戦する。


(相手の能力が割れたことで真に警戒すべきは殴打ではなく、捕縛‼さらに相手はかなりの手練れ。なかなかに手強いな。)




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