第5話 トモダチ、という言葉
私の影法師が二つになってから、私と高坂さんの間には奇妙な共犯関係のようなものが生まれていた。
学校では、まだお互いに距離を置いている。彼女はクラスの中心で笑い、私は教室の隅で息を潜める。何も知らないクラスメイトたちには、私たちが一緒に帰っていることなど想像もつかないだろう。
でも、放課後を告げるチャイムが鳴ると、彼女は当たり前のように私の半歩後ろに立ち、校門を出る頃には隣に並んで歩いていた。
「今日の帰り道、あっちの路地を通ってみない?」
高坂さんは、最近こんな提案をよくするようになった。
「なんだか、空気が悪い気がするんだよね」
彼女は澱みを視ることはできない。けれど、その気配だけは敏感に感じ取れるようになってきているらしかった。
「あんたには関係ないでしょ」
私はいつもみたいにぶっきらぼうに返す。
「関係なくないよ。水無月さんが一人で無理しないように、私が見張ってるんだから」
「…監視、ね」
「うん、監視」
彼女は悪びれもせずに笑う。その笑顔が、私の心の壁を少しずつ、本当に少しずつ、削っていくような気がして、私はいつもそっぽを向いてしまう。
その日も、私たちはそんなやり取りをしながら、駅までの道を歩いていた。不意に、空が暗くなったかと思うと、大粒の雨がアスファルトを叩き始めた。
「わっ、すごい雨!」
高坂さんは鞄を頭に被せる。あっという間に、私たちの制服は黒く濡れていく。
「どっか、雨宿りしないと…」
彼女がキョロキョロと周りを見渡すが、都合よく屋根のある場所は見当たらない。私の家は、ここから歩いて数分の距離にあった。
「ねえ、水無月さんの家、この近くだよね? 少しだけ、雨が弱まるまででいいから、お邪魔させてもらえないかな」
その言葉に、私の心臓が凍り付いた。
「無理」
自分でも驚くほど、冷たくて、強い拒絶の声が出た。
「絶対に、嫌」
「え…」
高坂さんは、私の過剰な反応に驚いて、言葉を失っている。
あの家に、高坂さんを入れるわけにはいかない。
あの人たちに、高坂さんを会わせるわけには、絶対にいかない。
私の世界の、一番暗くて、一番汚い場所に、彼女のような光を入れてはいけないんだ。
「そ、そっか。ごめんね、変なこと言って」
高坂さんは、すぐに我に返って、無理に笑顔を作った。
「あそこのバス停まで走ろう!」
私たちはびしょ濡れになりながら、使われていないバス停の小さな屋根の下に駆け込んだ。ぎゅうぎゅうに体を寄せないと、二人とも雨に濡れてしまうほどの狭さだった。気まずい沈黙が流れる。雨音だけが、やけに大きく聞こえた。
沈黙を破ったのは、高坂さんだった。
「水無月さんって、家族と住んでるの?」
ぽつりと、投げかけられた質問。
私は答えなかった。ただ、バス停の古びた時刻表を、意味もなく見つめる。私の表情が硬くなったのを、彼女は見逃さなかっただろう。
「ごめん、また変なこと聞いた」
「……」
「私ね、水無月さんのこと、もっと知りたいなって思うんだ」
雨音に負けないように、彼女ははっきりとした声で言った。
「…やめときなよ。ろくなことないから。私に関わると、不幸になる」
自嘲気味に、言葉が漏れる。それは、本心だった。
「ううん、知りたい」
彼女は、濡れた前髪を指で払いながら、私の目をまっすぐに見た。
「だって、友達だから」
ともだち。
その言葉が、私の耳には馴染みがなさすぎて、うまく意味を理解できなかった。脳が、その単語の処理を拒否しているみたいだった。
「…は?」
間抜けな声が出た。
彼女は、少し照れたように笑う。
「私が勝手に思ってるだけだから、気にしないで。でも、友達が一人で大変な思いをしてるのに、知らないふりなんてできないよ」
彼女は、私の戦いを手伝うだけじゃない。私の心の奥にある、誰にも触れさせなかった闇にまで、寄り添おうとしている。その覚悟が、痛いほど伝わってきた。
やがて、あれほど激しかった雨が嘘のように、勢いを弱めていく。雲の切れ間からは、オレンジ色の光が差し込み始めていた。
「…雨、やんだね」
「うん」
私たちはバス停を出て、再び歩き始めた。
濡れたアスファルトが、夕日を反射してキラキラ光っている。
帰り道、私はずっと、高坂さんが言った「友達」という言葉を、心の中で反芻していた。
その言葉は、凍り付いた私の心を少しだけ溶かすような温かさを持っていた。
と、同時に。
いつか、この温かさを失ってしまうことへの恐怖を呼び覚ます、冷たい刃のようにも感じられた。
「友達、か…」
夕暮れの空を見上げながら、私は誰に言うでもなく、小さく呟いた。
私の世界に入り込んできた眩しすぎる光が、これから私に何をもたらすのか。
その答えはまだ、雨上がりの空の向こう側にあって、見えそうで見えなかった。
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