人肉ステーキ ―起源の肉―

概要


◇◆◇


“人肉ステーキ”の起源を描く第三章。

十六歳の少女・日冨見臨ひとみのぞむが、“父の教え”によって狂気の扉を開く。


母の消失、血の遺産、そして“最初の食事”。

恐怖と愛情が一体となる、原点にして最も美しい惨劇。


◇◆◇


夜の静寂を破るように、包丁の音が響く。

トントン……トン。

それはまるで、心臓の鼓動のようだった。


まだ十六歳の日冨見臨ひとみのぞむは、厨房の隅で父の背中を見つめていた。


白いコックコートに染み込んだ油と血の匂い。

火の赤が彼の顔を照らすたび、目の奥に“獣”のような光が走った。


「ひとみ。料理ってのは、命の再構築なんだ」


父・日冨見剛は、鉄板に肉を乗せながら言った。


「肉を切る。焼く。盛り付ける。

 そうして人は“命を芸術に変える”んだ。

 だが……本当に芸術を知るには、“人の肉”を扱うしかない」


ひとみは笑った。冗談だと思った。

だがその夜、冗談ではなかったことを知る。


◇◆◇


翌朝、母が消えた。


血の跡も争った形跡もない。

ただ、冷蔵庫の奥に一枚のメモが残されていた。


> 『お前が本当の味を知る日を待っている。父より』


冷蔵庫を開ける。

中には――見慣れぬ肉の塊。


それは、どこか懐かしい形をしていた。


震える手で、ひとみは包丁を取った。

切ると、肉から母の香水の匂いがふわりと漂った。


恐怖で吐きそうになりながらも、

その断面の“美しさ”に目を奪われてしまった。


「……きれい」


涙が頬を伝う。

だが、次の瞬間、ひとみはその肉を焼き始めていた。


ジュウ……という音。

にんにくとバターの香りが部屋に広がる。


涙と煙の中で、彼女はフォークを握り、

震える唇で肉を口に運んだ。


柔らかい。


優しい。


体の芯にまで染み込んでくるような――“母の味”。


「……おいしい」


その瞬間、何かが壊れた。

そして、何かが生まれた。


◇◆◇


数年後。


ひとみは自らの店を開いた。

店の名は「ビストロ・ヒトミ」。


それは亡き母の名前でもあり、

“食べた母への供養”でもあった。


彼女は厨房に立ち、包丁を研ぐ。


鏡のように磨かれた刃に、

今も、あの夜の火が映り込む。


「父さん。私もわかったわ。

人を食べることは、罪じゃない――感謝なの」


冷蔵庫の中には、あのときの母の指が一本だけ、

今も氷に閉じ込められている。


それを見つめながら、ひとみは微笑んだ。


「あなたの味、ずっと守るから」




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